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2021年12月12日 (日)

簡易電源車

今回は唯一九州地区で使用された、20系・24系客車用の簡易電源車についてのお話です。
まず、簡易電源車が連結された列車とその区間を年代順に追いかけてみます。

最初は1963年6月改正です。
「みずほ」が20系化されると同時に熊本編成と大分編成の併結となったため、これに使用する簡易電源車マヤ20が改造により誕生しました。分割併合は門司駅で、編成は九州寄りから電源車・熊本編成・大分編成の順のため大分編成の門司~大分間に簡易電源車が連結されます。
時刻表1963年12月号を元に簡易電源車が連結されている区間のダイヤを作成すると以下のようです。
196312gssn
・マヤ20は門司客貨車区に2両配置され、1両使用の1両予備でしょうか。門司を出て、単純に大分までを1往復する運用だと思います。

 

1964年10月改正では「みずほ」の大分編成が「富士」として独立したため分割併合はなくなり、簡易電源車は一旦職を失いました。

 

しかしながら1965年10月改正で東京~長崎間の「さくら」が東京~長崎・佐世保間の併結列車に変更されたことと、新大阪~西鹿児島・長崎間の「あかつき」が新設されたことで簡易電源車が復活することとなります。
「さくら」の編成は九州寄りから電源車・佐世保編成・長崎編成の順で、肥前山口~長崎間で簡易電源車が連結されます。
また「あかつき」の編成は九州寄りから電源車・西鹿児島編成・長崎編成の順で、鳥栖~長崎間で簡易電源車が連結されます。
時刻表1966年7月号を元に簡易電源車が連結されている区間のダイヤを作成すると以下のようです。
196607gssn
・ここで要注意なのは、分割後の「さくら」の列車番号は長崎編成が1・2で、佐世保編成は2001・2002であることです。後年の長崎編成・佐世保編成を併結したブルトレの多くは、
①長崎編成がロネやシを含む基本編成
②長崎編成が九州寄りに連結
③分割時は長崎編成が併結時の列車番号を名乗る
という形態をとっているのですが、この時は
①佐世保編成がロネやシを含む基本編成
②佐世保編成が九州寄りに連結
であるにもかかわらず
③分割時は長崎編成が併結時の列車番号を名乗る
となっているんです。
・またダイヤ改正前の「さくら」は基本編成が長崎編成で付属編成が博多回転車だったのですが、佐世保編成を連結するにあたり単純に付属編成を佐世保編成にするのではなく基本編成であった長崎編成をわざわざ付属編成に入れ替えています。理由はわかりませんが、簡易電源車が長崎配置であることが関係しているのかもしれません。
・マヤ20は1両が増備されて3両になりました。
・上り「あかつき」で鳥栖へ行ったマヤは下り「あかつき」で帰ってくると思うのですが、上り「さくら」で夕方肥前山口に着いたマヤはどうなるんでしょう。翌日昼前まで肥前山口にとどまるのでしょうか、それとも鳥栖か長崎まで回送されるのでしょうか。

 

1966年10月の改正では、その「さくら」の基本編成が長崎行きに、付属編成が佐世保編成となり、後年の標準スタイルになりました。
時刻表1967年7月号を元に簡易電源車が連結されている区間のダイヤを作成すると以下のようです。
196707gssn
・この変更の結果、「さくら」の簡易電源車の連結区間は肥前山口~佐世保となりました。2両のマヤ20が早岐に転属したのはその関係でしょうか。
・上り「さくら」で肥前山口に着いてから下り「さくら」に連結されるまでの間のマヤの動きのナゾはそのままです。でももし鳥栖や長崎まで回送するんだったらわざわざ早岐にマヤを配置する必要もない気がするので、肥前山口でじっとしているのでしょうか。
・それにしても、わずか3両の特殊な車両を80km程度しか離れていない2か所の基地に分散配置するのはちょっと不思議な感じがします。

 

1968年10月改正で東京~西鹿児島間の列車だった「はやぶさ」が東京~西鹿児島・長崎間の列車となり、簡易電源車を連結する列車の仲間に加わりました。
また「あかつき」が増発され、新大阪~西鹿児島・長崎間の「あかつき1-2号」の鳥栖~長崎間、新大阪~西鹿児島・佐世保間の「あかつき2-1号」の鳥栖~佐世保間で簡易電源車が連結されます。
時刻表1968年10月号を元に簡易電源車が連結されている区間のダイヤを作成すると以下のようです。
196810gssn
・マヤ20は3両が増備され、長崎3両・早岐3両の陣容となりました。
・但しそれぞれの区でどのように運用されていたのかはわかりません(汗)。

 

1972年3月改正でさらに「あかつき」が増発されました。新大阪~熊本・長崎間の「あかつき3-1号」の鳥栖~長崎間で簡易電源車が連結されます。
その一方で「さくら」は14系化され、簡易電源車のお世話にはならなくなりました。
時刻表1972年4月号を元に簡易電源車が連結されている区間のダイヤを作成すると以下のようです。
197204gssn
・「さくら」がなくなった関係で、肥前山口駅でマヤ20の連結解放を行うことはなくなりました。
・またマヤ20は6両全車が長崎の配置となりました。

 

1972年10月改正で「あかつき」の2往復が14系化され、簡易電源車を連結する列車は「はやぶさ」と「あかつき1-4号」の2往復に減りました。
時刻表1972年11月号を元に簡易電源車が連結されている区間のダイヤを作成すると以下のようです。
197211gssn
・運用区間は鳥栖~長崎間のみで、佐世保には行きません。
・この時点でのマヤ20の配置は長崎に6両で変わりませんが、当然余っていたハズで、1974年3月に2両、1974年12月に1両が廃車されています。

 

1975年3月改正で大幅な変更が行われました。
「はやぶさ」は長崎編成が熊本回転車に変更となって分割併合がなくなりました。その代わりに「みずほ」の付属編成が長崎編成となったのですが、こちらは14系ですので簡易電源車とは無縁です。
唯一簡易電源車を連結する列車として残ったのは「あかつき2-3号」(新大阪~熊本の「明星5-4号」と鳥栖で分割併合)の鳥栖~長崎間なのですが、この列車は24系25形のためマヤ20を使用することができず、最後まで残ったマヤ20の3両が廃車となって新たにカニ25が2両改造により誕生しています。
時刻表1975年3月号を元に簡易電源車が連結されている区間のダイヤを作成すると以下のようです。
197503gssn
・1963年のマヤ20誕生時と同じような1往復状態になってしまいました。

 

そして1978年10月改正では、4往復のブルトレが九州で分割併合を行うもののそのすべてが14系もしくは14系15形となり、簡易電源車を連結する列車は姿を消しました。

 

最後に、1972年以前に肥前山口駅で行われていた簡易電源車を連結した列車の分割併合時の車両の動きを推測してみます。
まず下りですが、分割の場合は簡易電源車を連結していない列車と大きくは変わらないように思います。196810ddds
単行かもしくは他の列車に併結されて佐世保編成をけん引する機関車がやってきます。列車が到着するころまでにはマヤを繋げて待機しているのだと思います。マヤについては前述の通り、鳥栖から来るのか、長崎から来るのか、それとも肥前山口に留置されているのかはよくわかりません(汗)。

 

次に上りの場合。
196810udds
⑤佐世保編成が到着した後、
⑥おそらくマヤを置き去りにして引き上げると思われます。
⑧残されたマヤは長崎編成を牽引してきた機関車か、もしくは入換機に拾われていくのではないかと。

いずれにせよマヤの運用や入換手順については情報がほとんどありませんので、ご存じの方がいらっしゃったらお教えください。

 

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コメント

一点確認です。
カニ25形も「簡易電源車」だったのでしょうか?

とても気になり、ネットで情報収集していました。
要約しますと、1965年10月改正から1972年3月改正までの間、肥前山口での併合で余ったマヤ20が、翌日の分割までの運用時間外に、何処にいたかとのことで。
長崎本線、佐世保線は共に非電化で「さくら」「あかつき」の牽引機がC60からDD51に変わる頃で、マヤ20は改造時にファンが付き、屋根が斑(まだら)に見えるようです。
国土地理院の空中写真で、該当期間と時間で肥前山口駅構内が写っているのを探しますと、1967/07/22 9時前後の撮影分が4枚ほどありました。
肥前山口~牛津間は単線で、1976年3月の配線図の5番線と6番線の間のホームが無く、その中央あたりに「何か」が写っています。西側にDD51が付いたマヤ20のように見えなくも無いのですが、小さすぎてあくまで想像で「何か」です。

クモイ103さん
>カニ25形は簡易電源車か
そうですね、カニ25に申し訳ないですね。失礼しました。まあここは「付属編成用の電源車」ということでご理解いただきたく(汗)。

moni5187さん
実は私もそれらしい空中写真を探してみたのですが、moni5187さんほどの想像力が発揮できませんでした・・・。

当初長崎肥前山口間の簡易電源車乗務員は肥前山口駅到着後発電停止から機関停止を経て翌日の準備を行ない施錠下車。マヤ20は駅構内へ留置され翌日まで滞留です。乗務員1名は借上宿舎で1夜を明かして翌日下りさくら号の乗務と共に長崎へ帰ります。佐世保肥前山口になったら乗務員は施錠した後に指定列車に添乗して早岐区へ帰り、朝は区から指定列車添乗で肥前山口駅へ向かって乗務準備から始まり下りさくら号で佐世保へ向かいます。マヤ20の滞留場所は本線寄りの側線の上り側です。

門タケさん
貴重な情報ありがとうございます。
乗務員さんは肥前山口泊りだったり早岐に戻ったりでしたが、マヤは肥前山口滞泊だったのですね。

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