長崎本線配線図 その6(東園~道ノ尾)
長崎本線の配線図のご紹介の6回目、最終回です。
今回は喜々津~浦上間の旧線部分です。
最初は1976年3月です。(※1)
・長崎電化の際、旧線部分は電化から取り残されました。
・本川内駅はスイッチバック駅です。何でこんなところに?と思わずにはいられないのですが、新線の方には長いトンネルがありますので、諫早から長崎への道は結構険しいのですね。
続いてほぼ現時点です。(※2)
・長与駅は、1番線が下り本線、2番線が上り本線であるところは変わっていませんが、1・2番線のどちらにも上下列車の発着が可能になっています。
・高田(こうだ)駅は1994年の開業です。
配線図は
※1印・・・NZさん
※2印・・・キハ65さん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。
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本川内は元々信号場から駅に昇格したと記憶してます。駅前後は20‰の勾配区間で、起点方の松の峠トンネルがサミット。難工事だったそうです。大草・長与の駅間が長く、新線開通まではここに交換設備が必要だったのでしょう。ただ当時ホームは一面しかなく、片方の旅客列車が客扱いすると他方の列車は通過せざるを得ない配線。シーサス一組だけの山間の小駅でした。
投稿: キハ65 | 2021年12月28日 (火) 07時04分
キハ65さん
>他方の列車は通過せざるを得ない
余り気にしていませんでしたが確かにそうですね。
四国の坪尻と新改も同じですが、ダイヤ作成上困ったりはしないのでしょうか。
投稿: f54560zg | 2021年12月31日 (金) 16時37分
戦時中(昭18)の信号場設置で、重要港湾かつ造船所(三菱造船)があった長崎への物資輸送目的なので、旅客のことなど考えてなかったのでしょう。
突貫工事で交換設備を作った感があります。旅客駅になったのは戦後です。
投稿: 北東航21 | 2022年1月 1日 (土) 12時51分
各位、あけましておめでとうございます。
坪尻や新改と違って、本川内のシーサスは本線が直線となっていて制限80キロで通過できる構造(変形シーサス)でした。北東航21様のご投稿のように、後から追加した設備である事が見え見えですが、本線が大きな速度制限を受けないというのはある意味メリットでもあったように思います。
もっとも20‰の勾配途上、坂を登る列車が80キロで通過できたとは思えず、恩恵があったのは坂を駆け降りる下り優等列車だけであったと想像します。
投稿: キハ65 | 2022年1月 3日 (月) 08時17分