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2021年10月 6日 (水)

和歌山市配線図

和歌山市駅の配線図のご紹介です。

 

1976年9月(※1)
197609iama
・南海線を含めた和歌山市駅全体が描かれていますが、南海線の部分は簡略化されているようでホームも描かれていません。
・1番線と2番線の間の9番線や下の方の36番線など、線路名称の付け方がナゾです。

 

1978年3月(※1)
197803iama
・大きくは変わっていません。

 

1980年3月
198003iama
・これは以前ご紹介したものです。
・亀山方の分岐器の配置が変わっていますが、今までのものが誤記だったのではないかと思います。

 

時刻表1978年10月号から、和歌山~和歌山市の10時~14時の間の列車ダイヤを作成すると以下のようです。197810aaia
・11時10分ごろ、よりによって急行同士が紀和駅で交換します。
・12時51分、121列車が和歌山市駅に到着します。この列車は紀和駅で客車1両を解放しています。
・続いてわずか6分後の12時57分、239Dが和歌山市駅に到着し、121列車が機回しなどでモタモタしている間に13時2分に240Dとして先に発車します。
・13時15分、121列車の折り返しの128列車が発車します。

このように紀和駅、和歌山市駅とも交換設備を活用した運転が行われており、短い区間ながら趣味的には楽しい線区でした。

 

最近の様子は以下のようになっています。
202000saai

紀和駅、和歌山市駅とも列車交換はできなくなり、行って帰るの単調な運転しかできなくなってしまいました。

 

こちらの記事もご覧下さい。
 ・和歌山市 1980/3/13

 

配線図は
※1印・・・T.Mさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

南海の南紀直通列車がなくなった段階で
紀和の命脈は尽きた、といったところでしょうか。

冷房はないし、ドアも手で開けるし、といった
すさまじいアコモでしたが、昭和60年3月まで
よく頑張ったものですね。

和歌山市 1980/3/13も合わせて拝見しました。128レが2番線発の新宮行き、240Dが1番線発の五条行きでしょうか。和服姿のご婦人いかにも昭和ですね。
阪和線配線図が始まった頃、南海電車は天王寺の19,20番のりばで見ただけと思っていたのですが。つい最近、橋本から南海に乗って高野山に行ったのを思い出しました。
和歌山線は非電化で、非冷房クロスの気動車だったのを覚えている程度です。電化後も王寺~高田間で何度か乗っていますが、奈良側からは和歌山まで行けるけど…。になってしまい、五条に何らかの境界があるように思います。

>ドアも手で開ける
え!? 手で開けてたんですか? キハ55同等ですよね? びっくりしました(汗)。

>和服姿のご婦人
の上に1番線からの発車時刻が掲示されていますね。和歌山市発の列車は29本ほどあったようですが、1番線から発車するのはそのうちの5本だけだったようです。

「きのくに」のキハ5500・5550ですが、『鉄道ジャーナル』誌
昭和53年12月号の20、21頁にも「扉が半自動」というのが
強調されて紹介されています。

さらに強烈なのは、昭和53年9月に廃止された
週末運転の「きのくに10号」でありまして、
客車時代の名残なのでしょうが、キハ5550の
1両だけで難波から和歌山まで走っていました。

…当然ながらトイレなしです。

ヤドリギさん
追加情報ありがとうございます。
なんともすさまじい列車だったのですね。

 和歌山市駅の配線はピクトリアルの南海特集を見ると和歌山検車場と通し番号になっていて
旅客…1桁
車扱い貨物…10番台
検車場の検修…20番台
検車場の留置線…30番台というようにも見えます。
 ここからは想像ですが、9番線は加太線の旧駅に7,8番線があったかもしれないからという可能性もちらっと頭をかすめたのですが、和歌山港地区の輸送や四国連絡がもっともっと盛んになると7,8番線を作るということもありうるから機回し線は9にしたように思います。

 きのくにの南海車両は高校受験の直前になくなったので撮れなかった思い出の列車です。急行の紀和交換は南海の運転部門からすればディーゼルの運転士が効率的に往復できる具合のいいダイヤですね。
 トイレについては国電区間の阪和線からして使用禁止で南海でも当然禁止です。沿線に家ががっちり立て込んでますし、高架の上も走ります。もちろん紀勢線内では幌をつないでますので他車でできます。
 冷房に関して言えばキハ60とキハ65の中間のようなものを作らないと冷房できなかったでしょう。南海線内は100km/h運転でしたからそれなりの出力がなければ間に合わなかったようです。
 これも想像ですがキハ5501の半自動ドアは南海線内で関係ない人が乗ってくるのを止めるためにやっていたのかもしれません。「特急きのくに号」は、国鉄線各駅着の人にしか特急券を売ってなかったですから。

横から失礼します。
鉄ピクの形式特集を見てもよく分からないのですが、もしかして半自動扉はそもそもキハ55系の基本仕様ではなかったでしょうか?

 実はこのキハ55は南海のは見て知ってますし、島原鉄道でも乗っているのですが、ドアが開いていた状態で乗り込んだのでどちらかわからず、肝心の国鉄車両はそれこそ知らないのです。しかしwikipediaあたりだと「ドアエンジンはキハ10と同じ」で「キハ10は半自動ドア」とあってどうも基本仕様のようですね。今回力むほどのことではありませんでした。
 しかし私はそれならそれで前から別の疑問もあり、急行きのくににつながれていたキハユニ15は客が乗れたのかどうなのかということなのですが半自動ドアなので完全にロックしない限り乗れるということになるわけです。
 この車両客を乗せていた、乗せていないの2説があり窓から手のようなものが出ている写真も見たのでかなり不思議であったのですが、実は黙認状態だったのではないかとも考えられるのです。

キハ55は半自動ドアだったのですね。教えていただきありがとうございます。

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