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2021年9月26日 (日)

和歌山駅周辺の路線の変遷

配線図からはいったん離れまして、今回は和歌山駅周辺の路線の変遷についてのお話です。
デルタ線や駅名の変遷などこのエリアの特徴については今さら申し上げるまでもないとは思いますが、ご容赦下さいませ(汗)。

 

1989年(明治22年)5月
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・1989年5月に紀和鉄道により和歌山~船戸(仮)間が開通し、これが和歌山市周辺での最初の鉄道となりました。

 

1903年(明治36年)3月
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・1903年3月に南海鉄道が紀の川を渡って和歌山市駅に達しました。
・これに合わせて紀和鉄道も和歌山市駅まで乗り入れ、途中に南海鉄道と紀和鉄道の連絡点が設けられました。

 

1917年(大正6年)3月
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・1904年8月に関西鉄道が紀和鉄道を買収しました。その関西鉄道は1907年10月に国有化され、旧紀和鉄道区間を含む王寺~和歌山市間は1909年10月に和歌山線と命名されました。
・1916年2月に山東軽便鉄道が大橋~山東間を開業し、さらに1917年3月には和歌山駅に近い中ノ島まで延伸しました。

 

1924年(大正13年)2月
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・1924年2月、鉄道省により紀勢西線和歌山~箕島が開業し、この時東和歌山駅が開業しました。初代の和歌山駅が開業してから35年後のことで、東和歌山駅が2代目の和歌山駅となるのはこの44年後です。
・紀勢西線の開通に合わせ、山東軽便鉄道は東和歌山駅接続に変更されています。

 

1930年(昭和5年)6月
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・1929年7月に和泉府中まで開通していた阪和電気鉄道が1930年6月に東和歌山まで延伸されました。但し阪和電気鉄道の駅名は阪和東和歌山駅です。

 

1941年8月
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・1931年4月に山東軽便鉄道は和歌山鉄道に社名を変更しました。
・1932年1月に阪和電鉄に中島駅(すぐに阪和中島駅に改称)が開業しました。1935年1月には和歌山線にも紀伊中島駅が開業し、1936年9月に阪和電鉄は紀伊中島に改称しています。
・阪和電鉄は1940年12月に戦時政策で南海鉄道に合併され、南海山手線と名付けられました。これに伴い、1941年8月に阪和東和歌山駅は南海東和歌山駅に改称されました。

 

1944年(昭和19年)5月
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・1944年5月に南海山手線は国有化され、阪和線となりました。これに伴い南海東和歌山駅は東和歌山駅に統一されました。

 

1961年(昭和36年)7月
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・1944年6月、関西急行鉄道と南海鉄道が合併し、近畿日本鉄道となりました。南海鉄道と阪和電鉄の合併時と同様の戦時政策によるものです。
・1947年6月に近鉄から旧南海鉄道が分離され、南海電気鉄道となりました。戦時政策による合併には無理があったようです。
・1951年に和歌山機関区は新在家に移転しました。
・1956年5月に南海和歌山港線が開業しました。
・1957年11月に和歌山電気軌道が和歌山鉄道を合併しました。
・1959年7月に紀勢東西線がつながり、紀勢本線となりました。
・1961年7月に田井ノ瀬~東和歌山間の短絡線が開通してデルタ線が形成されました。但し短絡線は団臨等のみが使用し、一般営業には使用されていなかったようです。

 

1974年(昭和49年)10月
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・1961年11月に南海電鉄が和歌山電気軌道を合併し、貴志川線としました。
・1968年2月に和歌山駅が紀和駅に改称され、続いて3月に東和歌山駅が和歌山駅に改称されました。
・1968年9月に和歌山操駅が開業し、同時に和歌山操~和歌山間が電化されました。
・1972年3月に短絡線での一般営業が開始されました。短絡線は和歌山線に編入され、田井ノ瀬~紀和間は和歌山線の支線となりました。また紀和~和歌山市間は紀勢本線に編入されました。
・1973年度に和歌山客貨車区は廃止されました。
・1974年10月に田井ノ瀬~紀和が廃止され、これで路線としては現在の姿になりました。

その後は、
・1978年10月に新宮~和歌山操間が電化。
・1984年10月に紀勢本線の和歌山~和歌山市間及び和歌山線の五条~和歌山間が電化。
・2006年4月に南海貴志川線が和歌山電鐵に移管。
といった変化があります。

 

次に国土地理院地図・空中写真閲覧サービスの空中写真から、デルタ線、紀和駅、和歌山機関区(新在家)付近の変化を見てみます。

最初はデルタ線付近です。
1947年9月(USA-R506-4-65を加工) 
194709nsdw
・短絡線が開通する14年前の写真ですが、かなり形になっています。早くから計画・着工されていたものの戦時中中断していたとか、そんな感じでしょうか。

1961年11月(MKK619-C7-9を加工) 
196111nsdw
・短絡線が開通し、デルタ線が形成されました。さらにその上を阪和線が横切っていることもあり、線路に囲まれた土地に目が行きます。

1979年10月(CKK794-C19-9を加工) 
197910nsdw
・元々の和歌山線が廃止されてデルタ線は消滅してしまいました。

 

次は紀和駅付近です。
1947年9月(USA-R506-4-65を加工) 
194709skwk
・ホームの右側(東側)に和歌山機関区、左側(西側)に和歌山客貨車区(当時の名前は違うかも)があります。
・機関区には矩形庫と転車台が確認できます。但し機関車の姿はよくわかりません。
・客貨車区には数多くの客車が止められています。

1961年11月(MKK619-C7-8を加工) 
196111skwk
・機関区は新在家に移転し、客貨車区だけが残りました。
・旧機関区では機関庫は解体され、かろうじて転車台の跡がわかる程度です。
・客貨車区は相変わらず客車で賑わっています。

1975年3月(CKK749-C20-7を加工) 
197503skwk
・客貨車区は廃止されてしまいました。線路は残っているようにも見えますが、一気に車両の気配がなくなりました。

1979年10月(CKK794-C19-8を加工) 
197910skwk
・線路は撤去された模様で、洗車台だけが残っています。機関区と客貨車区であれほど賑わっていたのがウソのようです。
・ポツンと1両佇んでいる客車についてはまた別の機会に・・・。
・現在は高架化・棒線駅化されて、かつての面影はなさそうです。

 

最後に和歌山機関区付近です。
1947年9月(USA-R506-4-66を加工) 
194709kkkw
・用地が確保されている様子がわかります。
・上側(北側)の建物の特徴的な構造は網走で聞いた覚えがあります。

1961年11月(MKK619-C7-9を加工) 
196111kkkw
・機関区が移転してきて転車台や検修庫が完成しています。ただし右側(東側)半分はまだ未完成です。

1975年3月(CKK749-C20-8を加工) 
197503kkkw
・全体が完成しました。
・現在は電車の基地となり、転車台はなくなっているようです。

 

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コメント

昭和48年の時刻表(『携帯全国時刻表』という
関西を中心としたオレンジ色のハンディ版です)の
路線図を見ますと、和歌山線の(田井ノ瀬~紀和)は
路線として表記されてはいますが、いざ時刻を見ると
そこを通る列車はないという状況でした。

1972年3月の短絡線での一般営業開始と同時に田井ノ瀬~紀和間からは営業列車は消えてしまったようですね。

詳しい変遷の紹介ありがとうございます。
合わせて過去記事とコメントも拝見いたしました。和歌山駅から三方向に分岐する形になったのは、人口が異なり比べるのも何ですが、木津駅付近の変遷に似ている様に感じました。
手持ちの'73/3の時刻表(京阪神からの旅行に便利な交通公社)の京阪神路線図には紀和~田井ノ瀬駅の線路は描かれおらず、関西東海地図では(ハズキで凝視したら)繋がっていました。

moni5187さん
>木津駅付近の変遷
同感です。

1961年開通の短絡線は「一般営業には使用されていなかったようです」と書いたのですが、1971年10月の時刻表を見てみますと下りは22本中8本が、上りは23本中9本が短絡線経由となっており、この頃になるとだいぶ状況は変わっていたようです。

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