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2021年9月15日 (水)

阪和線配線図 1994/09 その1(天王寺~富木)

 阪和線の配線図のご紹介が続きます。
今回からは
1994年9月時点で、1983年12月時点からの変化と、さらに現在の姿(前面展望動画によります)を見ていきたいと思います。
1回目は天王寺~富木間です。

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・1989年7月に天王寺駅の阪和短絡線が単線で開業しました。また天王寺駅2・3番線ホーム先端に渡り線が追加されています。
・その後2008年3月に阪和短絡線が複線化されています。

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・この後、2006年5月に美章園駅~杉本町駅間が高架化され、この際鶴ヶ丘駅に待避線が設けられています。

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・その代わり長居駅の待避線は撤去されてしまいました。

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・杉本町駅では6番線から2番線への第2場内信号機が設置されています。
・現在はさらにいくつかの変化が生じていますが、これについては後述します。 

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・この辺りは変化はありません。

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・この辺りも変化はありません。

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・変化はありません。

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・鳳駅は1985年3月に貨物扱いが廃止され、7~9番線が撤去されています。

・現在はさらにいくつかの変化が生じていますが、これについては後述します。

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・この時点では車両の配置はないものの組織上はまだ電車区ですが、1997年7月には日根野電車区の派出所になってしまいました。

 

続いて杉本町駅の現在の様子です。(※)
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・天王寺方から2番線への渡り線は撤去され、これにより杉本町駅での折り返しは不可能になりました。
・阪和貨物線は2004年の休止を経て2009年3月に廃止されました。従って現在では6番線から5番線への進路はなくなっているのですが、なぜか6番線~下り本線間の渡り線は残されています。
・上り列車が2番線へ進入するルートは6番線を経由するものと経由しないものの2通りがあります。なぜ2通り用意されているのかはナゾです。6番線に何かが止まっている時でも2番線に進入できるように、ということ?
・1番線と3番線には柵が設けられて通過専用になっています。

 

最後に鳳駅の現況です。(※)
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・天王寺方に渡り線が設けられ、1・2番線から上り出発が可能になってます。
・羽衣支線では6番線が廃止され、安全側線も撤去されました。
・3番線に下り出発信号機が設置されました。
・上り第1場内信号機に2番線への進路が新たに設けられています。
・羽衣支線に遠方信号機があるのがナゾです。

鳳駅では折り返しに対する設備が大幅に強化されたように見えますが、逆に杉本町駅では折り返し機能が削除されたことになりますね。

 

配線図は※印を除きT.Mさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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コメント

>今回からは1994年9月時点で、
KIXが開港し単線の阪和新短絡線が、いよいよ本領発揮し始めた頃ですね。ネットの一般への普及が始まる少し前で、草の根BBSのAIRボードで、KIXは新関西国際空港のコードで読みはキックス、との話題が上がっていたのを覚えています。

この翌年あたりから、またまた天王寺駅を利用するようになりました。京橋で外回りを待っていると、3列(2+1)シートの快速が着いても乗らなかった記憶があります。おそらく京橋止めの関空快速だったのだと思います。

天王寺の関西上りホームに着くと、MIOの基礎もあってか何となく混雑していて、以前のように東口跨線橋の下で大和路快速を待ちました。行き先案内板が見えず、15番のりばからと思い込んでいたら16番から出てしまい、あれっと思ったことが二度もありました。

15,16番のりば(掘割5,6番線)の詳しい使い分けは覚えていませんが、関西線だけでなく紀勢線の"くろしお"に加えて、阪和線の"はるか"や関空快速も着発するようになり、混沌としていたように思います。

杉本町の上り待避線に入る電車は、後続が迫っているものは6番線経由になっていたように思います。制限45km/hで進入できることもあり、少しでも早く本線の進路を開けることに使われていたようです。
下り線から6番線への渡り線は非常用の用途があると考えています。故障した電車を一時的に留置することもできますし、仮に大和川がなんらかの理由で長期間渡れなくなったときも折り返しに使うことが可能です。
阪和線は関空への通り道ですので、冗長性を持たせるべく、様々なことが考えられているのだと思います

インバウンドでやたらと混雑していた間に
気が付きますと、熊取駅の3番線から
和歌山方への折り返しが可能になりましたね。

ヤドリギさん

2013年に、鳳・東貝塚・熊取で折り返し設備が強化されました。
鳳は天王寺方面の折り返しが3番線に加えて1・2番線で可能になり、和歌山方面は2・3番線で可能になりました。
熊取は3番線での和歌山方面への折り返しが可能になりました。東貝塚は、東岸和田の高架工事中に渡り線が使えなくなったので、その代替の意味もありそうです。

JR西日本公式ホームページの2013年9月定例社長会見に「阪和線輸送品質向上の取り組みについて」の記載があります。
https://www.westjr.co.jp/press/article/2013/09/page_4431.html

moni5187さん
関西線が環状線に乗り入れた時は感動しましたが、その後阪和線も乗り入れるとは・・・。阪和短絡線の建設は驚異でした。

くまプーさん、ヤドリギさん
その話題はダメです。この後の記事のネタバレになってしまいます(笑)。

>杉本町の待避線
上り本線から2番線へは制限35ですから、このルートを残しているのは6番線に列車が止められている時ぐらいしか考えられないですよね。
折り返しについては考慮していないのではないかと思うのですが。入標や入信は設備されていませんし、何より天王寺方から2番線へのルートを廃止していますので。
1番線と3番線のホームに柵を設けたのも融通を利かなくさせているような気がしてなりません(もっともこの柵、部分的(ドア部分)が容易に取り外し可能な構造のようにも見えますが)。

フライング失礼しました(大汗。

平成16年の秋だったかと思いますが、鶴ヶ丘駅の近所で
仕事をする機会があり、その時に丁度天王寺方面への
線路が高架化される前後の様子を見ていました。

長居と鶴ヶ丘とで、待避設備を入れ替えたのは
何でなのかと当時は思った次第です。

ついでながら、杉本町のホーム柵ですが、
普通列車の待避が多いことと、市大の学生で
ホームが一杯になることの多いこととが
関係しているのではないかとも思われます。

昔の東岸和田ほどではありませんが、狭いホームですしね。

杉本町の柵の設置理由はおっしゃる通りかと思います。ホーム使用の自由度は下がりますが、安全を優先したのでしょうね。

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