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2021年9月 5日 (日)

阪和線配線図 1983/12 その1(天王寺~富木)

阪和線の配線図のご紹介が続きます。
今回からは
1983年12月時点で、1979年7月時点からの変化を中心に見ていきたいと思います。
1回目は天王寺~富木間です。

19831201nsah
・天王寺駅5番線の機回り線はなくなりました。
・また阪和連絡線と4番線を結ぶ渡り線もなくなり、これにより2・3番線ホーム先端のシーサスが撤去されてホーム延伸が可能になったのではないかと思うのですが。

19831202nsah
・長居駅の本線の線路名称が2~5番線から1~4番線に変更されました。

19831203nsah
・阪和貨物線はまだ現役です。
・杉本町駅2番線の和歌山方の向かい合った安全側線はなくなり、2番線と6番線がつながりました。ただ、6番線からの出発信号機が1進路分(多分阪和貨物線)しか描かれていませんので、このままでは6番線から2番線には進入できません。ちょっとアヤシイ図かもしれません。

19831204nsah
・上野芝駅に待避線が新たに設けられました。ホームが描かれていませんが、多分2・3番線にはホームのない新幹線タイプだと思います。

19831205nsah
・鳳駅でも本線の線路名称が変更され、2~8番線が1~7番線になりました。
・和歌山方のアヤしかった配線は、この図でもまだちょっとヘンなところが・・・。

 

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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コメント

いわゆる「阪八(ハンパチ)工事」の完成段階でしょうか。

全線が六両対応となったのが、昭和51年の
11月15日からで、その際にホームを延長した
駅は長滝、新家、和泉鳥取、山中渓、紀伊、六十谷だった旨が
『鉄道ファン』誌の昭和52年2月号102頁に
掲載されています。

58年の快速八両化の段階でもデイタイムは
快速と区間快速とが一時間に二本ずつでしたので
駅までの距離が少々遠くても南海を使うことが
もっぱらでしたね。

初めまして。
これまで楽しく拝見しつつ勉強をさせていただいております。コメントするほどの知識を持ち合わせておりませんでしたが、阪和線が紹介されるに及んで、一時期同線を利用しておりましたので、はじめて投稿させていただきます。よろしくお願いいたします。

ヤドリギさんのおっしゃる通り、阪和線のラッシュ時の快速が103系8両で運転され始めた直後ですね。当時は貫通8連がラッシュ時のみの運用のために用意されていました。

杉本町駅については、ご指摘の通りでして、この時点では2番線と6番線はつながっておらず、間にバラストが積み上がっていました。6番線から2番線に進入できるようになるのはJR化後ではなかったかと思います。

この頃はまだ貨物列車もそれなりに動いていましたが、直後に1984/2改正があって、紀勢線ともども阪和線の貨物扱いが縮小され、貨物列車の本数が大幅に削減されてしまいました。その直前の鳳以南の配線図も楽しみにしております。

初めまして。いつも楽しく拝見しております。
私は実家が阪和線沿線ですので、懐かしくなりコメントさせていただきました。線路のそばに住んでいましたので、8両編成が走り始めたことも貨物列車が走っていたことも懐かしい記憶です。
ただ1時間に2本しかなかったので、ヤドリギさん同様、私もわざわざ南海電車を10年以上使っていました。阪和線に戻ったのは1990年頃ですが、その間の配線変更を見れなかったのは残念です。
思い返すと阪和線関連でいまだにはっきり思い出せないものがあります。小学校に上がる前ではないかと思いますが、夕方暗くなったころに天王寺方面に向けて機関車に牽引された客車列車がゆっくりと走っていたように記憶しています。本当にそのような列車があったのか、記憶違いなのか、いまでもはっきりさせることができていないです。

ヤドリギさん
阪八(ハンパチ)工事という言葉があったのですね。初めて聞きました。ありがとうございます。
>全線が六両対応
この時山中渓の待避線が撤去されたのでしょうか?

ナノメーターさん
初めまして。
>杉本町駅
2番線と6番線が繋がったのはJR化ごですか。情報ありがとうございます。

くまプーさん
初めまして。
>機関車に牽引された客車列車
興味を惹かれますね。時期はいつ頃なのでしょう。場所はどのあたりなのでしょう。

f54560zgさん
場所は東佐野駅付近で、時期は1970年代後半です。
紀勢線夜行の送り込み回送かな、と大人になってから思っていました。しかし2020年11月28日の天王寺駅の客車回送の記事にて竜華から送り込まれていたという記事を拝見し、あれはなんだったんだろうと疑問が深まりました。

山中渓駅ですが、くだんの『鉄道ファン』誌に
ちょうど当駅のホーム延長工事中の写真が
見られますね。

待避線は写真からは見られませんが、延長工事部分から
ある程度推測できるようです。

あと、「ハンパチ工事」ですが、
『国鉄全線全駅各駅停車8 近畿400駅』の
202頁で宮脇俊三氏が使っています。

この頃の阪和線の鳳以南はほとんどの駅が
切符を手売りしていましたが、どうやら組合の
影響力が強かったためだったようです。

父の新居探しに付き添って熊取駅へ行った時、
硬券の切符を出されたのが、昭和56年の
夏でした。

くまプーさん
確かに紀勢線の夜行ではないと思うのですが・・・はて? 和歌山以南にはまだ客車列車が走っていた時代ですので、これの竜華への回送でしょうか。
阪和線のダイヤとかがあれば一発なのでしょうが(汗)。

ヤドリギさん
硬券の手売り、懐かしいです。入場時の入鋏も。

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