« 阪和線配線図 1979/07 その3(新家~和歌山) | トップページ | 阪和線配線図 1983/12 その1(天王寺~富木) »

2021年9月 2日 (木)

阪和線配線図 1971/10

阪和線配線図 1979/07 その1の記事の冒頭で「1979年7月、1983年12月、1994年9月の3つの時期」と書いたのですが、1971年10月時点のものもあることを忘れていましたので追加でご紹介します。
但しこの1971年10月時点のものは、同月某日に運転される、ある特別な列車のために作成された資料のようで、一般的な線路図とはちょっと毛色が異なっています。

各所に記載されている、特別な列車であるが故と思われる特有の情報についてはスルーして(笑)、線路配線を中心に見ていきます。
この特別な列車は白浜方面から天王寺方面に向かう列車で、これに合わせて線路図も起終点に関係なく進行方向に従った順で描かれています。
和歌山駅から天王寺駅までを一気にご紹介します。

19711001nsah
・前回の記事の1976年の図と同じで、和歌山駅2・3番線は亀山方にはつながっていません。
・紀伊中島駅は紀伊中島と混同されがちなようですね。
・紀伊中ノ島駅の下には和歌山線が通っています。

19711002nsah
・この時代、山中渓駅には副本線があります。現在はありませんので、「何もせっかくの設備を撤去しなくても・・・」と思ってしまいます。6両化による有効長の関係とかがあったのでしょうか。

19711003nsah
・日根野駅は相対ホームのみで副本線はありません。電留線は鳳電車区の派出所だと思います。
・日根野駅、熊取駅は貨物営業が行われています。

19711004nsah
・東岸和田駅、和泉府中駅はともに貨物営業中です。

19711005nsah
・1979年の配線図の鳳駅和歌山方はアヤシイところがあるのですが、この1971年の図もちょっとアヤシイです。

19711006nsah
・杉本町駅の上り貨物用中線は6番線です。

19711007nsah
・天王寺駅5番線の機回り線の渡り線が描かれていないのは誤記だと思います。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 阪和線配線図 1979/07 その3(新家~和歌山) | トップページ | 阪和線配線図 1983/12 その1(天王寺~富木) »

コメント

珍しい資料ですね。○や□は鉄道や警察の立ち位置でしょうか。所轄を離れてから車内で拝謁があるんですね。
しかしのんびり車窓を見ることも出来ないやんごとなき方は移動ひとつでも大変ですね。

天王寺は阪和1番線(ホームとしては8・9番ホーム)到着だったのですね。てっきり4番線(2番ホーム)と思っていました。
https://www.hinomoto-metal.jp/_m/blog/2021/06/4686/
↑このサイトに牽引後の竜華区のEF58(正式に貸出だったので、「竜」の区名札を差してた)の画像があるのですが、操車係の誘導で4番線に進入中です。
客車はさっさと阪和連絡線から下ろしたのでしょうか?

配線図を見る限り、1番→4番の入換は本線引き上げで、そこまでして4番に機関車を移す理由がよくわかりません。

訂正。

機関車が推進で阪和連絡線を下って、客車を留置した後、再び阪和連絡線を通って4番線に来た可能性がありますね。
この当時、関西線は非電化なので、竜華に戻るには鳳あたりまで戻って、杉本町から阪和貨物線経由で竜華に帰区するしかない。

ご無沙汰しております、堤です。
和歌山駅の配線図ですが、パーフェクトです。
天王寺からの夜行(B寝台)に乗るために和歌山から新宮まで乗車しました。
たまたまかも知れませんが、5番に和歌山市からのDF50が牽く客車1両と4番線にEF58の天王寺からの客車編成が同時進入して来て、カメラの位置にあたふたしたのを思い出しました!笑
和歌山から新宮への牽引はDF50でした。
懐かしい思い出です。
突然のメール、、お許しください。

貴重な配線図をありがとうございます。昭和時代を偲ぶことができました。何々Mの記載がある駅があり、ホーム長だと思ったのですが、おそらく停車中の列車の列車番号で、天王寺の4番線の16Dは、13:00発の「くろしお5号」新宮行き。170mは中央改札を出て、タクシー乗り場までの距離でしょうか。

天鉄ヲタさん
この資料からは関係者の緊張感が伝わってきますね。

北東航21さん
貴重な写真のご紹介ありがとうございます。
私も、客車を下ろした後阪和線に戻るために単機で4番線に戻ってきたのではないかと思います。

堤さん
お久しぶりです。
私も和歌山でDF50を見かけたことがあります。関西線経由なら170km程度なのに、紀勢線経由で380kmを亀山からやってくるDF50を見ると感慨深いものがありました。

moni5187さん
列車通過時に、どこにどんな列車が停車しているのか、というのも必要な情報なんですね。

訂正もしくは補足です。
手持ちの'72/10改正の時刻表は、16Dは13:00発の「くろしお5号」なのですが。Webを精査しましたところ、'70/10改正の時刻表は、16Dは12:25発の「くろしお4号」となっていました。1時間止まっているのも何ですから、後者の時刻のような気がしてきました。'71/10の時刻は不明なのですが。

moni5187 さん
> 手持ちの'72/10改正の時刻表
それは1972年3月の山陽新幹線岡山開業に伴う全国ダイヤ改正を挟んでいるので、大幅に変わっているのでしょう。
手元に1971年11月号の時刻表があり、16Dはやはり12:25発の「くろしお4号」でした。阪和線・紀勢本線の時刻は「46.10.21訂補」で、北東航21さんが紹介して下さったサイトによれば、「ある特別な列車」は10月26日に運転された様ですから、時期は一致します。

資料に「和可山」とあるのが面白いと思いました。
「省文」とか「略字」とか言われる用法ですが
ネット検索しますと、旧型国電時代の区間快速の前面方向板にも「和可山」とあるのが
見つかりましたので、かなり定着していたのかとも
考える次第です。

>16D
71-10の時刻表を持っており、実は16Dの発時刻の間違いには気づいていたのですが、「いちいち細かいことを・・・」と気分を害されても申し訳ないので黙っておりました。失礼しました(汗)。

>和可山
手書き文書等で略字を使用するのは鉄道関係でもよく見かけますが、列車の行き先表示にまで使用されているのは珍しいですね。

>16D
71-10の時刻表を持っており、実は16Dの発時刻の間違いには気づいていたのですが、「いちいち細かいことを・・・」と気分を害されても申し訳ないので黙っておりました。失礼しました(汗)。

>和可山
手書き文書等で略字を使用するのは鉄道関係でもよく見かけますが、列車の行き先表示にまで使用されているのは珍しいですね。

クモイ103さん、ならびに管理人さまフォローありがとうございます。時刻表は、そのものズバリのを参照せねばならないことを改めて痛感いたしました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 阪和線配線図 1979/07 その3(新家~和歌山) | トップページ | 阪和線配線図 1983/12 その1(天王寺~富木) »

過去の記事

2024年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ