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2021年9月 8日 (水)

阪和線配線図 1983/12 その2

阪和線の配線図のご紹介、1983年12月の2回目です。
今回は北信太~長滝間です。

19831206nsah
・和泉府中駅の貨物側線が撤去され、本線の線路名称が3~6番線から1~4番線に変更されています。
・また、1979年7月時点もそうでしたが、和泉府中駅は天王寺方に対しての折り返しが可能です。

19831207nsah
・東岸和田駅は1982年10月に貨物扱いが廃止されましたが、貨物側線はそのままです。
・東岸和田駅も、1979年7月時点と同様、天王寺方に対して折り返しが可能です。

19831208nsah
・東貝塚駅はまだ貨物営業が行われています。

19831209nsah
・熊取駅の貨物側線が撤去され、本線の線路名称が3~6番線から1~4番線に変更されています。
・また、熊取駅も天王寺方に対して折り返しが可能です。
・長滝
駅はまだ貨物営業が行われています。

19831210nsah
・日根野電車区では電留21~24番線が増設されています。

 

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

昭和57年の1月に大正区から阪和線沿線(快速停車駅)に
引っ越しましたが、さきにも申しました通り、
快速と区間快速とがデイタイム2本/時しか
なかったこと、運賃差がかなりあったことなどから
南海利用となっていました。
*高校が南海沿線だったこともあります。

この頃の普通列車は、デイタイムですと
(天王寺ー鳳)が二本、(天王寺ー東岸和田)が二本で、
東貝塚以南の快速通過駅は三十分に一本の
区間快速だけでしたね。

あと、当時は東岸和田がまだ快速通過駅でしたから
熊取の次が和泉府中という、非常に長い駅間距離でした。

東貝塚にしばしばED60が停まっているのを
見た記憶もありますし、EF15や58の牽引する
貨物列車を踏切から見たこともありますが、
沿線利用者でしたら、もっとはっきり覚えていたのにと
残念ではありますね。

ついでながら、杉本町の阪和貨物線の
踏切が、大阪市立大学の学生から
「留年踏切」と呼ばれていたのを聞いたことが
あります。
*昭和50年代あたりからのあだ名のようです。

>留年踏切
1979年7月のその1の記事で、伊26さんからも同様のコメントをいただいております。それだけ有名だったのですね。

東岸和田~長滝の7駅のうち5駅が2面4線で、2連続(東岸和田・東貝塚)、3連続(熊取・日根野・長滝)という豪華な設備は、電車の本数や駅間距離を考慮すると他の路線ではあまり例を見ない事例だと思います。
これら貨物用の設備があったおかげでJR化後の増発も可能になり、緩急結合がしっかりされて便利になりました。
ただ、数年前までは電車の本数が多かったので、たまにとんでもない待避をする普通電車がありました。
大阪駅から関空快速に乗って接続駅の和泉府中で乗り換えると、東岸和田で後続の天王寺始発の接続待ちがあり、さらに東貝塚で特急の通過待ちをするというものです。さすがに東貝塚の待避には閉口しました。
103系から223・225系置き換えに伴い本数が減ったようですので、今はここまでのものは存在しないと思います。

おっしゃる通り待避設備を持つ駅の配置にはぜいたく感がありますね。また長滝以外は天王寺方に対する折り返しも考慮されているようですし。

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