五能線列車ダイヤ 1980年10月
今回は480042さんからご提供いただいた1980年(昭和55年)10月の五能線列車ダイヤのご紹介です。
まず全体です。
細かくてよく見えないと思いますので分割します。
・川部から鯵ヶ沢までの区間で運転されている青線の3往復の列車は貨物列車です。この時代ではすでに海沿いを走る貨物列車の姿を見ることはできなくなっていました。
・赤線の2往復の列車は混合列車です。こちらは全線にわたって走ります。
・55-10の貨物時刻表を見てみますと、3往復の貨物列車は掲載されているのですが2往復の混合列車は掲載されていません。以前の記事にも書きましたが、この混合列車は客車と貨車を連結してはいるものの貨車に積まれているのは貨物ではなくて荷物のようです。
・混合列車の定義は、個人的には、営業的な観点で「旅客と貨物を運ぶ列車」(つまり中身の問題)という感じがしていたのですが、実際には運転上の観点で「旅客車と貨車を連結した列車」(つまり外見の問題)のようです。荷物を積んだ車両を連結していたとしても、それがマニやキハユニならば旅客列車であり、ワムならば混合列車、ということですね。
・ただ、なぜ五能線では荷物を輸送するのに荷物客車だけでなく貨車も使っていたのかはナゾです。
ついでですが、1978年(昭和53年)10月から1984年(昭和59年)2月までの間の五能線各駅の営業範囲は以下のようです(停車場変遷大事典によります)。
・1978年10月時点では八森など7駅で貨物営業が行われていましたが、年を追うごとに減っていき、1984年2月にはすべて廃止されました。
・一方、荷物営業が行われていたのは1978年時点では16駅です。1983年(昭和58年)4月では木造駅が廃止となり、その後1984年2月に一気に9駅が廃止され、1985年(昭和60年)3月にはすべて廃止されました。
・1984年でも荷物輸送は行われていたハズですが、列車はすべてDC化されていて貨車を使用した混合列車は姿を消しています。
・1980年では八森駅がまだ貨物営業を行っていますが、立ち寄る貨物列車はありません。書類上は貨物営業が行われているものの貨物列車の発着はなくなっていた(実態としては廃止)ということでしょうか。
列車ダイヤは480042さんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。
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こんにちは。
1982年頃の五能線の混合列車に乗ったことがありました。
客車の荷物車はマニなどの全室の荷物車ではなく、オハユニなど半室荷物の合造車が使用されていました。
半室なので荷物が多く収まらなくなると貨車に載せていたようでした。
投稿: 初老の人 | 2021年8月24日 (火) 14時17分
初老の人さん、こんばんは。
確かに不思議なんですよね。マニを使用すれば貨車は要らなくなると思うのですが。
座席数やけん引定数や列車長などいろいろな制約があっての結果の貨車連結、ということなのでしょうか。
投稿: f54560zg | 2021年8月25日 (水) 22時19分
五能線がオハユニだったのは、ユを使っていたからと思われます。マニにしてしまうと鉄道郵便が乗せれません。
スユニ50が製造される昭和53年までは、荷物郵便合造車はスユニ60・61しかなく、この2形式合わせて157両で、老朽化で次々廃車されている状況で、代替製造されたスユニ50は80両どまりです。
このあたりの事情もあるかと思います。
投稿: 北東航21 | 2021年8月26日 (木) 08時58分
おそらく荷貨一元化の前後で列車の形態(オハユニ+貨車)は変わっていないですよね。面白い列車です。
投稿: f54560zg | 2021年8月29日 (日) 09時23分