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2021年8月25日 (水)

阪和線配線図 1979/07 その1(天王寺~富木)

東北地区から離れまして、今回からは阪和線の各駅の配線図のご紹介になります。

全体としては1979年7月、1983年12月、1994年9月の3つの時期となるのですが、まずは1979年7月時点のものを何回かに分けてご紹介していきます。
今回は天王寺~富木間です。

19790701nsah
・天王寺駅の5番線には機回り線があり、また阪和連絡線から4番線へのルートがあります。

19790702nsah 
・長居駅にはホームが描かれていませんが、多分島式2面だと思います。この後も同様にホームが描かれていない駅がたまに出てきます。
・長居駅は1955年10月までは車扱、1961年10月までは小口貨物の取り扱いが行われていました。

19790703nsah
・杉本町駅2番線の和歌山方には向かい合った安全側線が設けられています。この安全側線から和歌山方の部分、阪和貨物線への上り貨物列車が進入する線路は6番線という名前だったように思います。
・杉本町駅は1947年2月から1955年10月まで連合軍専用線での貨物扱いが行われていました。この専用線は昔の空中写真を見ると阪和貨物線とダブるような位置関係に見えるのですが、阪和貨物線は専用線廃止前の1952年9月に開業しています。このあたりはどうなっていたのでしょうか。
・堺市駅も同様に1946年7月から1958年6月まで連合軍専用線での貨物扱いが行われていました。昔の空中写真を見ますと、専用線は和歌山方に向かって左側に分岐し、現在の警察学校から金岡公園あたりに伸びていたようです。

19790704nsah
・この時代、上野芝駅には待避線は設けられていません。また、1965年2月までは貨物扱いが行われていました。

19790705nsah
・鳳駅の貨物営業は現役です。おそらく8番線が貨物着発線ではないかと思うのですが、運転上はいろいろとややこしそうです。
・東羽衣支線は本線と同時開業です。
・鳳電車区に隣接して東急車輛大阪工場(帝国車輛←梅鉢車輛)があります。但しこの時代は既に鉄道用車両は製造されていなかったようです。

これは以前ご紹介したものですが、1977年3月に私が調査した鳳駅です。(※)
197703ro

また、これらの記事も合わせてご覧下さい。

 天王寺配線図
 天王寺 1976・1978・1992・2017
 1976鳳
 東羽衣 1980/3/13
 阪和線 1976~1978

 

配線図は※印を除きT.Mさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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コメント

いよいよ阪和線ですか 戦時買収国電線であり尚且つ高速電鉄であった阪和電鐵其の為主要駅の配線は高速列車直線運行式配線は見物ですね

関西私鉄というと標準軌というイメージが強いですが大阪から南下する私鉄である南海と阪和両線は狭軌です 南海電鉄は1885年開通の阪堺鐡道に遡る蒸気鐡道起源の私鉄で有り尚且つ明治末の私鉄国有化から外れた為最古の現存私鉄である 昭和に入り南海電鉄の山側に略直線で大阪和歌山間を結んだのが阪和電鐵であるライバルである南海電鉄に対し狭軌でありながら大出力の電動機を積んだ高性能電車で挑んだ 唯略直線で結んだ関係で人口の少ない区間であったので乗客数は伸び悩んでいた 起死回生に起点天王寺から紀勢線に直通する観光用客車列車を運行鐡道省より客車を借りてモヨ100重連で牽引し直行した 更にC57形蒸気機関車を半流線形で造る計画もありました 鐡道省では大阪と和歌山を結んでる線は迂回経路であったので直接結んでいた阪和電鐵に目を付け戦時買収という形で国有化 買収国電としては破格の高性能電車駅設備等超一流の国電となった 緩急接続駅では本線急行副本線は緩行という高速電鉄基本駅配線である 貨物扱い駅では副本線の外側に貨物設備を設けるという配線である

阪和線は、くろしおに乗って白浜に行ったきりです。つい最近まで381系だったと思い込んでいたのですが、'70年代前半ですからキハ80系だったことが解りました。覚えているのは、天王寺の紀勢ホームに中間改札があったのと、帰りにステデパの駸々堂で鉄道ファン誌を買ってもらったくらいです。

>連合軍専用線
未知の話題の提供ありがとうございます。さっそく空中写真ほか、ネット検索(^^;)してみました。

こちらからは、国鉄天王寺に関する動画を紹介しておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=86jxEANQPs0
↑天鉄局の歌。最近見つけたのですが、くるものがあります。

現在、沿線在住です(生まれは大正区)。

快速に乗っていますと、鳳までは最高速度が低いので、何とももの足りません。

高架になる前の(南田辺~百舌鳥)は上下線別改札の
駅も多く、私鉄っぽさが目立っていた印象ですね。

>高速電鉄基本駅配線
開業当初から複線電化だったところが他の国鉄線とは雰囲気が違うところなのでしょうね。

>天鉄局の歌
当時、各管理局ごとに局歌があったのでしょうか。

高速電鉄の基本配線は複線相対式ホーム緩急連絡駅は本線急行追い抜き副本線緩行退避 退避列車と追い抜き列車間の乗客の乗り換えはドアtoドアが基本です 此の原則は新幹線にも生かされてます急行列車が出来るだけ減速しない配線です 阪和線に初めて乗車したのは未だ旧型国電全盛時代の頃快速運用の旧国最前部に乗車全速力で通過駅を突進する様は東鉄では味あえない流石に元高速電鉄出自の阪和線です

 40番台は荷物列車に続いての投稿です。宜しくお願いします。
 40年ほど前に、「はやたま」のB寝台で天王寺まで行き、南近畿ワイド周遊券で乗りつぶしをしました。
 阪和線は国電区間ながら、私鉄時代の特徴ある駅舎がたくさんありました。
 また、その他の線区(桜井線など)の委託駅は小ぶりで窓に外付けの格子がはまっていました。また、大きな集札箱が改札の真ん中に床から立ち上げてあるのも特徴でした。
 分割民営化の際に、紀勢線の三重県部分はJR東海となりましたが、この外付け格子付きの駅舎と大きな集札箱は天鉄局の遺産ということで、鉄道管理局の境がよくわかりました。
 ちなみに、名古屋鉄道管理局の駅舎には格子がなく、黄緑色の小さな集札箱が改札付近にぶら下げてあるだけでした。
 月日が経って、駅舎の改築が進んできているので、こういう話ができるのも、あとわずかかなと思います。
 他愛もない思い出話でした。

>各管理局ごとに局歌
YouTubeで、他の局歌ほかJRや私鉄の歌も出てきますが、知らないのばかりです。が、南海電車の歌のイントロだけは知っていました。'70年代の夜7時前の関西ローカルTVで、南海だより(南海フラッシュニュースだったような気もします)という番組の冒頭で流れていました。おそらくパルナスぐらいの知名度だと思います。

1979/07 天王寺の阪和線配線図についてです。
この年あたりから関西線と環状線に乗る機会が増えまして、東口跨線橋をよく利用していました。阪和線側に行く事がなく何も覚えていないのですが、当時の空中写真や113系新快速の写真から阪和跨線橋は出来ておらず、阪和ホームは6連までの対応だったようです。これは意外でした。

1067㎜軌間の高速電鉄として開業したのは東では小田原急行電鐵(現小田急)中部では愛知電鐵(現名鉄)西では阪和電鐵(現JRW阪和線)何れも昭和初期に開業し高速重視の駅配線が伺えます 阪和電鐵は鳳から分岐する東羽衣支線だけですが小田原急行電鐵は新原町田座間間中間から江ノ島線を立体交差で分岐此の時点で既に高速運転を意識した配慮でした分岐部に大野信号所を設け其の後駅と電車区工場等を設けた相模大野駅になった 唯線形は直線的ではなくカーブが多い線形ですので高速運転には少し不向きでしたので戦後連接式特急電車3000系ロマンスカーを建造して高速運転を可能にした事実投入直後国鉄で借り上げ東海道本線で高速試験当時狭軌最高時速である145㎞hを記録し20系(151系)特急電車こだま号への試金石となった 愛知電鐵は熱田豊橋間を最短距離で結ぶ線形は略直線で高速運転に向いた其れは将来静岡へ延伸も視野にいれていたのです 名鉄に統合されても名鉄本線をパノラマカーに乗車すると旧愛電の東線と旧名岐の西線では線形は明らかに違っている愛電の東線では110㎞hで運転しているが名岐の西線では出自が路面電車で有った為カーブが多い枇杷島辺りから漸く良好な線形になりますが木曽川を渡ると再びカーブとなる如何に愛電線が当初より高速運転を意識してたが伺える
阪和電鐵は先に開通していた南海電鐵が人口の多い海岸線沿いに線路を引いた其れに対し山側の人口の少ない所に線路を引いたそして狭軌で最大出力の電動機を積んだ破格な高性能電車で対抗したが乗降客は少なく可也後迄営業利益があがらなかったので起死回生に南紀観光に着目し天王寺から白浜迄直通する特急列車を運行しようと鐡道省より客車を借り運行を始めたが阪和電鐵では其れだけでは飽き足らず鐡道省の最新型蒸気機関車C57を半流線形にした機関車の投入を検討していたが日中戦争から第二次大戦になり実現しなかった和歌山南紀方面に直通出来る阪和電鐵は国有化の対象になり阪和線となったが他の戦時国有化された電鐵に比べると破格の高性能電車高速対応配線の駅等設備面でも格段の差であった

天王寺~杉本町は連続立体化が進み
開かずの踏切が解消され、よくある高架駅になってしまいました。

今日の阪和線は過密ダイヤのせいで高速電気鉄道を全く味わえませんね。遅れを回復しようにも信号現示ですぐ引っかかるので大変ですね。

杉本町北詰の阪和貨物線踏切、市大生は「留年踏切」と呼んでいたそうで。

>高速電鉄
阪和鉄道が和歌山まで達したのは1930年、吹田~須磨間の電化が1934年ですから当時の鉄道省はまだまだ高速電車化には遅れをとっていたようです。
買収国電線区はローカル線区や臨港線区が多かった中で阪和線は例外的でした。後の買収を前提として開業したようでもありますし。

>駅舎
高規格な阪和線はスタート位置が高かったのでその後の変化が緩やかだったのでしょうか。風情のある駅舎、残っていてほしいものです。

>阪和ホームは6連までの対応
阪和連絡線との接続見直しでホームの延伸を可能としたような感じですね。

>留年踏切
きっと何かがあったのでしょうね(笑)。

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