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2021年6月 9日 (水)

混合列車 その9

混合列車についての記事のその9、最終回です。

今までの記事では43-10時点の貨物・旅客時刻表をもとに混合列車らしきものを拾い集めてきたわけですが、同様のことを55-10時点、57-11時点、59-2時点でもやってみました。

 

最初に55-10時点です。

5510sg

・43-10時点では200本ほどもあった混合列車らしき列車ですが、55-10時点では20本あまりになってしまいました。
・貨物時刻表と旅客時刻表とで運転区間が異なる列車はありません。ですので中間駅で客車の解結を行うことはなさそうです。
・釧網本線では、貨物時刻表を見ますと637列車と632列車の斜里駅、636列車の東釧路駅に着時刻が記載されていますので、これらの駅で貨物の積み下ろしが行われていそうです。旅客時刻表でのこれらの駅の停車時間は10分から14分です。これ以外の列車は貨物時刻表では着時刻が記載されておらず、貨物扱いはないのだと思います。
・根室本線と清水港線では貨物時刻表に途中駅の着時刻は記載されていません。貨物列車としてはノンストップということのようです。
・倉吉線では429列車と430列車以外の列車に打吹駅での着時刻が貨物時刻表に記載されています。但し停車時間は5分から10分程度と微妙です。
・日中線の会津加納駅は1983年まで貨物営業を行っていたハズなのですが、貨物時刻表には掲載がありません。

 

続いて57-11時点です。

5711sg

・貨物時刻表から倉吉線が消えた以外は、列車本数としては変わっていないようです。
・釧網本線では、貨物時刻表に着時刻が記載されているのは646列車の東釧路だけになりました。
・倉吉線ですが、打吹駅と西倉吉駅は1983年まで貨物営業が行われており、ネット上にも1983年3月での目撃情報があります。日中線と同様ナゾです。

 

・59-2時点ではこれらはすべて消え去ってしまいました。

 

以上、長々と時刻表から拾い集めた混合列車らしきものをご紹介してきましたが、最後にその中で感じたモヤモヤについて。

●貨車を連結しない混合列車はあったのか?
(貨車を連結しない時点で「それは混合列車じゃないだろう」という気もしますが(汗)。)
49-10に荷貨が一元化される前では小口扱貨物という小荷物輸送と大差ない取り扱いがありました。貨物の大きさだけを考えれば、必ずしも貨車でなくても旅客車の片隅に積もうと思えば積むことができそうです。ごく少量の貨物のためにわざわざ貨車をつなげるのも非効率です。
ただ実際そのような運び方がされたことはあったのでしょうか。同じ国鉄とはいえ旅客局と貨物局のナワバリ争いもありそうですし。
49-10以降は貨物はコンテナ貨物と車扱貨物のみとなりましたので、貨物を輸送する場合は必ず貨車を連結する必要があります。

●そのこととも関係するのですが、次は途中駅での貨物の積み下ろし方法の問題。
小口扱貨物であればわずかな停車時間でも貨車から積み下ろしが可能ですが、車扱貨物となると貨物側線での積み下ろしとなり、入換作業のためのそれなりの停車時間が必要になります。しかしながら今までご紹介してきた列車を見てみると、「こんなんで入換なんてできるの?」と思うような停車時間(5分とか7分とか)しか設定されていないケースが多々見受けられます。
ローカル線であれば5分もあれば入換が可能なのか。入換動車や人力を駆使しているのか?
それともさすがに5分では無理なので入換を行わずに貨物の積み下ろしをしていたのか・・・。

よくわからない点がいろいろあります(汗)。

 

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コメント

ご無沙汰しております。

昭和55年10月1日改正 全国列車ダイヤ(発行所 交通書房)によると、日中線は混621~混626の3往復体制になっています。上りの混622と混624は、会津加納駅で8分程度の停車時間がありそうです。でも、この程度の停車時間で入替ができたのか疑問ではありますが・・・。

皆様こんばんは。
混合列車の途中駅での解結作業、国鉄では経験できませんでした。よく乗りに行った地元私鉄の混合列車ではたまに途中駅(国鉄接続駅以外)でも作業があり、列車を遅らせて連結したりしておりました。乗客は国鉄列車への接続がありますので回復運転して定時に戻す荒技?(汗)、作業自体は5分掛からなかったと思います。
国鉄はさすがにキチンしていますのでスジに盛られた「5分」、小規模な駅での連結・解放いずれかはできたのではないでしょうか。

これまで述べてきた繰り返しですが、昭和53年12月に乗車した日中線の混624レは、会津村松で機次位のワムを側線に押し込む入換を行っていました。ストップウオッチを持っていなかったので所要時間は計っていません(笑)。

5分で入換となると、特に操車担当さん(車掌さん=列車掛さん)には相当なプレッシャーがあったのでは?
到着車を解放して発送車を連結するとなると最低でも4往復の移動が必要で、ざっと計算してもこれだけで3分程度はかかりそうです。これに加えて、おそらく
・通票の授受
・入換通告
・連結器・ブレーキ管の解放・接続
・通票鎖錠装置への通票のセット・取り出し
・転てつ器の転換
・入換合図
・ブレーキ試験
・客車への手ブレーキの締結・緩解
といった作業も必要なんじゃないかと思うわけで。
場合によっては規定通りでない柔軟な対応が取られていたかもしれませんし(失礼)。

根室本線の混441/混442列車は、混合列車にランクはないですが、特Aクラスの混合列車でした。

下り混441は郵便車・荷物車・座席車2両が札幌発の夜行急行〔狩勝(まりも)〕から直通でした。そのため座席車もスハ45系の運用です。郵便・荷物車も本州から航送の北スミのマニ・オユです。

貨車も最高速度100km/hのコキ10000コンテナ車2両で、少なくとも53-10以降は、上りは釧路発の高速貨に連結されて隅田川まで一直線です。
下りは上りほど速達性が求められてないため直通

すいません。途中で切れていました。
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下りは上りほど速達性が求められてないため直通列車の設定は、手元の53-10貨物時刻表を見るかぎりありません。

記録映画「貨物列車日本縦断」では根室産の昆布が有蓋車に積まれ、鹿児島まで何日もかけて長旅をしました。混442列車のコキ車では根室の海産物が冷蔵コンテナに詰められて東京の市場へ急送されたのでしょうか。なんてことを想像すると楽しくなります。

クモイ103さん
昭和50年代の冷蔵コンテナは未だ発電機を搭載しない簡易タイプしかなく、冷蔵コンテナは専ら農産物輸送に使われていました。
九州方面はレサ10000系、東北方面はレサ5000という冷蔵貨車が投入されていますが、対北海道は連絡船を介して時間がかかることからこれらの高級貨車は回ってこず、海産物輸送は2軸のレム5000がもっぱら使われています。

根室本線の混合列車の画像を見ると、いつも緑のC20かC21コンテナで、簡易保冷のC95は見かけません(元々C95は600個しかない貴重コンテナ)。一方、根室駅構内ではレム5000を見かけるので、海産物は車扱貨物で運んでいたと思われます。

北東航21 さん
ご教示ありがとうございます。なるほどそういえば、その時代の写真には青帯が印象的なレム5000がよく登場しますね。

混441列車は、一般的な混合列車のイメージとはかなりかけ離れて、まさに破格の列車だったのですね。

1980年8月時点での宮之城での話しですが、
有名な気動車がワラ1両を牽引してた世界です。
停車時間僅か3分で貨車を切り離してました。
後方に放置後、スイッチャーが側線に押し込んだと思われます。
参考まで。

昔の旅人さん
なるほど、貨車を置き去りにするだけなら短時間で済みそうですね。

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