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2021年6月13日 (日)

津田沼~千葉間の複々線化 その1

少し前にNZさんから津田沼~千葉間の複々線化時の線路配線の変遷を示す資料をご提供いただきました。大変貴重な資料かと思います。ありがとうございます。
全体についてはおいおいご紹介させていただくとして、今回はそのうちの千葉駅に限ってをご紹介したいと思います。

 

●一番最初は、KASAさんのサイトで1966年3月の素晴らしい配線図がご紹介されていますので、まずはこちらをご覧いただくのがよいかと思います(汗)。

千葉駅(昭和41年3月現在) 

・千葉駅の線路配線は特徴的です。
・お茶の水方に複線分岐がありますが、ここでの振り分けはちょっと複雑です。複線分岐~ホーム間の線路には、図面の上側は西4番線(下り)、西3番線(上り)と名前が付けられていますので、説明の都合上とりあえず下側の線路にも下りは西2番線、上りは西1番線と勝手に名前を付けることとします。
・下り列車は西2番線と西4番線に振り分けられるわけですが、1・2番線到着列車(電車)及び3~6番線到着列車(鴨川方面)は西2番線、7~9番線到着列車(銚子方面)は西4番線に進みます。線路的には西4番線から3~6番線への進入が可能ですが、信号的にはそのような進路は設定されていません。
・上りの場合は0~3番線出発列車が西1番線、4~9番線出発列車が西3番線に進みます(3番線からは西3番線に進むことも線路的には可能ですが、進路として設定されているのは西1番線です)。ですのでたとえば6番線に到着する下り列車と4番線から出発する上り列車は千葉駅のお茶の水方で2回平面交差するという、妙なことになっています。
・この時点で千葉駅を中間停車駅とする列車(千葉駅が始発または終着ではない列車)は主に急行で下り16本、上り18本程度であってさほど多くはないのですが、千葉気動車区への入出区列車も相当数あったでしょうから千葉駅のお茶の水方では競合がネックになっていたのではないでしょうか。
・鴨川方と銚子方とではホームが離れていてホームで鴨川方←→銚子方の折り返しができない構造となっている関係か、お茶の水方に引上線が設けられています。

 

●続いて1975年頃です。
111975bt1
・これは以前ご紹介したもので、私が現地調査したものです。前述の通り西1、西2は私が便宜上付けた名称です。
・西1~西2間の渡り線が増えており、これにより4~6番線からも西1に進むことが可能になりましたが、実際にそのような運転がされていたのかどうかはわかりません。
・この時点では電化の進展により千葉駅を中間停車駅とする列車は下りで65本と66-3の4倍になっていました。ネック度がアップしたのではないでしょうか。

 

●続いては1979年10月頃です。(※)
21bt
・ちょっと見づらいかもしれません。申し訳ありません。
・鴨川方の配線が微妙に変わっており、2番線の鴨川方は行き止まりになっています。
・東京方では引上線が撤去されました。この代替として西千葉駅東京方に行き止まりのY線の形態で黒砂信号場が設けられています。Wikipediaには黒砂信号場の開設は1980年11月となっていますので、この時点では仮開業だったのかもしれません。
・また西2番線(仮称)から3~6番線への進入ができなくなったため、3~6番線へは西4番線経由となりました。西2番線は緩行電車専用です。

NZさんからいただいたコメントもご紹介します。
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・千葉駅構内東京方にあった引上線がなくなった代わりに黒砂信号所が設置されました。
・緩行線と快速線を分ける分岐器の95ロハは可動K字てっさです。
・西千葉駅は高架橋にあり、図右端の登戸Boは跨線橋ですから、10‰勾配で高架から地上に降ります。
・3番線(外内房)から緩行線に進出できるルートがありますので、そういう経路で運転していたのでしょうか?
・109、110分岐器で構成されるシーサスは工事中なので、くぎ付け鎖錠だったり線路が途切れていたりしていますね。
・0番線は、内房からの貨物列車がここで待ち合わせをするパターンがありました。
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●次のステップです。1980年7月頃かもしれません。(※)
41bt
・9番線が撤去されました。
・東京方では複線分岐がなくなり、下り線が分岐するだけの形になっています。このため上りは0番線~8番線を出発するすべての列車が西1番線経由となりました。下りは1・2番線到着列車(緩行電車)が西2番線、3~8番線到着列車が西4番線経由です。
・従来の黒砂信号場のY線は撤去され、将来快速線となるであろう線路上に単純な行き止まりの形で設けられました。途中の線路はちゃんと場内・出発信号機も設けられた本線(単線自動閉そく?)なのですが、ここに進入できるのは7番線だけのようです。
・それにしてもこの黒砂信号場、律儀にここまで千葉駅から2km余りを回送していたのでしょうか。千葉駅の構内側線として(当然黒砂信号場は廃止)、もっと手前で折り返せばよいように思うのですが。いったん「黒砂信号場 36km400」として開設し、将来も存続することがわかっていたのでこのような形をとらざるを得なかったのでしょうか。

NZさんからいただいたコメントです。
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・千葉駅から黒砂信号所まで引上線が後の快速線を先行利用して作られています。
・黒砂信号所はかつての千葉気動車区のあったところで、用地買収をしなくても5線分の敷地が確保できたのでしょう。
・快速線で、西千葉駅の東京方にある総武と房総を振り分ける分岐器は、釘付け鎖錠になっています。
・9番線は撤去されていますね。
・千葉駅の改良工事が、ひとわたり完成するのは、35年後になります。
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●次のステップです。1981年7月頃と思われます。(※)
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・複々線化が完成しました。
・黒砂信号場は中線タイプの貫通型です。
・前述の西1~4番線という名前を使えば、基本的には西1番線が緩行上り、西2番線が緩行下り、西3番線が快速上り、西4番線が快速下りとなるわけですが、0番線出発列車(主に貨物列車?)が緩行線である西1番線通過となるのが例外です。このため西千葉駅東方に緩行上り→快速上りとなる渡り線が設けられています。

NZさんからいただいたコメントです。
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・千葉駅の第1場内は、西千葉駅より東京寄りにあります。
・房総方面下り線が、総武方面上り線を乗り越す立体化が完成するのは、56年12月です。
・快下第3場内から登戸Boの手前までは総武上り列車、房総上下列車が共用する、輸送上の隘路です。
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●その次のステップです。1981年12月頃と思われます。(※)
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・NZさんのコメントの通り、房総下り線と総武上り線の立体化が完成しました。

NZさんからいただいたコメントです。
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・総武方面と房総方面への振り分け、および立体交差が完成後の様子が書かれています。
・38k000あたりに、千葉駅0番線から緩行上り、快速上りへのルートが緩行下り線と交差する箇所に可動K字てっさが設置されています。41イロハニと4台の転てつ器が連動するようです。
・途切れていた3~6番線の東京方の線路がつながりました。
・現在は、7、8番の左に9、10番線が作られ、総武と成田が分離しました。
・さらに、千葉駅の駅ビルが建て替えられ、0番線が廃止されました。
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●最後に直近の様子です。Youtubeの前面展望動画から私が作成しました(汗)。
712019bt
・総武線用に9・10番線が新設されました。1984年のことのようです。
・1番線は行き止まりとなりました。
・0番線は廃止され、このため緩行西行き→快速上りとなる渡り線も撤去されています。
・これですごくスッキリしたような気がします。

 

1番線の行き止まり化、0番線の廃止、緩行西行き→快速上りの渡り線撤去などについてはKASAさんのサイトの掲示板に皆様からの詳しいレポートが掲載れています。

配線略図追加 国鉄・千葉駅(昭和41年3月現在)

千葉駅外房線到着 2016年11月5日

千葉駅 上り緩行線から上り快速線への渡り線の状況 2018(平成30)年11月7日

2018年11月下旬から12月の千葉駅

【千葉駅上り方】保線車用渡り線?

【千葉駅】緩行→快速渡り線の撤去

【千葉駅】緩行→快速渡り線の撤去・続報

【千葉駅】緩行→快速渡り線の撤去・続報の続報

 

また拙ブログの記事にもたくさんのコメントをいただいております。

1975 千葉・東千葉

 

皆様の千葉駅に対する熱い気持ちがあふれていますね。

 

配線図は
※印・・・NZさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

f54560zgさん、NZさん、こんばんは。

たいへん貴重な配線図・線路図の公開をありがとうございます。

また私のサイトと掲示板も紹介していただきまして恐縮です。

津田沼~千葉間の複々線化工事中の「過渡期」の配線図はかねてより見たいと思っていましたので、興味津々で拝見しております。

続きも楽しみにしております。

KASAさん、こんばんは。
千葉駅の掲示板では多くの写真があげられていますのでとても分かりやすいです。
今後ともよろしくお願いいたします。

 東京5方面作戦の複々線化は、1960年代から10年間の花形作戦でした。東京へ行くたびに前面展望で多忙だった記憶があります。
 その中で一番記憶に鮮やかなのは大宮の東北・高崎の立体交差と、平塚の客貨の立体交差です。行くたびに変化進化している情景を見る楽しみは他に例がありません。
 いい思い出を持つことが出来ました。個人の感想を述べて申し訳ありません。
 

C6217さん、今後も「C6217さんの思い出」をどしどしお寄せ下さいませ。

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