津軽線配線図 その3(郷沢~中小国)
津軽線の各駅の配線図のご紹介の3回目です。
1987年3月(※2)
・交換設備が設けられました。当然有効長はかなり長いです。
1987年3月(※2)
2000年7月(※2)
続いて蟹田駅です。
1977年4月(※1)
・津軽線の輸送上の拠点駅です。
・本線は上下の2線のみです。下1は本線ではありません。
・折り返し列車が設定されていましたので、下り本線から上り出発が可能になっています。
2000年7月(※2)
・入換信号機が設けられました。蟹田駅で構内運転による入換が行われるようになったということですね。
・誘導信号機も設けられているのは、併結や縦列に対応するためでしょうか。
1982年の郷沢駅、蟹田駅の様子はこちらをご覧下さい。
蟹田 1982/3/24
配線図は
※1印・・・3RT生さん
※2印・・・KASAさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。
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国鉄時代は朝に青森から来て蟹田で折り返す客車列車があったと記憶しているので、機回しを下1でやってたのですかね。
本屋側の上本で折り返しできるようにしなかったのは、連動装置の都合でしょうか?
投稿: 北東航21 | 2021年4月13日 (火) 19時56分
昭和54年10月1日改正の津軽線列車運行図表(盛岡鉄道管理局)を見ると、蟹田始発となる列車は1日3本設定されています。
5:56 922D 前日941Dの滞泊
6:32 924 921列車(5:51着)の折返し
20:42 940D 939D(20:38着)の折返し
このうち、924列車と、940Dには(下本)と書かれているので、下り本線で折返していたものと思われます。特に、940Dは折返しが4分ですので、転線する時間はなかったのでしょう。
やはり、上下本線を振り分ける21号、51号分岐器がスプリングポイントだったのかなと思います。
なお、奥内、蓬田、蟹田の上下本線の有効長はすべて200メートルと書かれています。
1987年の線路図に五稜郭方と書かれていますが、青函トンネルが開通したのは、1988年です。ちょっとフライング気味でありますが、当時の人たちの青函トンネルへの期待や意気込みが伝わってきそうですね。
それにしても、蟹田駅の線路の発展ぶりはすごいですね。
丸の中に点を打つ誘導信号機の記号は、灯列式ではなく、1灯を点灯させる方式だからでしょうか?
投稿: NZ | 2021年4月13日 (火) 21時22分
津軽線の1987年3月の配線図は、終点側が全て「五稜郭方」になっていて、国鉄が長らく建設してきた青函トンネルが、国鉄のうちに開通はしなかったけれど、せめて配線図だけは開通した状態で国鉄のうちに作ろう、という思いが込められている気がします。
実際に青函トンネルを列車が通ったのが1987年秋なので、半年分先取りしています。
投稿: 北東航21 | 2021年4月17日 (土) 00時15分
>スプリングポイント
奥内駅や蓬田駅には書かれているⓈマークが蟹田駅にはありませんのでスプリングポイントではないと思っています。誤記の可能性もありますが。
>誘導信号機
この記号の書き方もいろいろありますね。蟹田駅の場合はおっしゃる通り色灯式だと思いますが。
投稿: f54560zg | 2021年4月18日 (日) 17時37分