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2021年3月27日 (土)

片町線配線図 その4(放出~鴫野)

片町線の配線図のご紹介の4回目です。
今回は放出駅と鴫野駅です。ほとんどはすでにご紹介したものですがご容赦下さい(汗)。
京橋駅と片町駅については以前記事にしていますので、
 京橋~片町配線図
片町線については今回が最終回となります。

またこちらの記事も合わせてご覧下さい。
 放出 1978/3/14
 放出 1992/3/28
 片町~鴫野 1978/3/14

 

最初は1958年4月。(※1)
195804htsn
・Wikipediaには、
1895年8月 四条畷~片町間開業
1927年12月 放出~淀川間開業、放出~鴫野間複線化
と書かれている一方で
1932年11月 鴫野信号場開設
となっており、時間的な矛盾があります。鴫野信号場開設以前の片町線と城東貨物線の分岐点がどのようになっていたのかがナゾです。
・放出以東は単線です。鴫野~片町間の複線化は1955年1月で、徳庵~放出間は1969年3月です。
・城東貨物線の貨物列車は南行が5番線、北行が6番線発着です。
・放出駅にはすでに4線の電留線が設けられています。いつ頃設けられたのでしょうか。
・鴫野駅の2番線は片町方、吹田方のいずれにも出発が可能になっています。回送電車用ではないかと思うのですが。


続いて1959年1月。(※1)
19590107htsn
・放出駅の右上部は用品庫線のようです。
・鴫野駅の片町方の渡り線は逆だと思います。

 

続いて1969年4月。(※2)
196904htsn
・放出以東は複線化されたはずですがまだ単線のままですね。
・放出駅の貨物側線が描かれていませんが、これは省略されているだけだと思います。
・鴫野駅のホームが妙な配置になっています。何かの工事中でしょうか、それとも誤記でしょうか。
・鴫野駅2番線の下り出発信号機と渡り線の配置が合っていませんね。

 

続いて1986年頃。(※1)
198600htsn
・放出駅の北行の貨物着発線は6・7番線の2線になりました。
・鴫野駅は1番線と2番線が入れ替わったようです。1番線(木津方面)の片町方には相変わらず逆線の出発信号機があります。

 

続いて1992年4月。(※2)
199204htsn
・起終点が逆です。
・放出駅の貨物側線はほぼ整理されてしまったようです。
・電留線が微妙に成長しています。
・鴫野駅1番線の逆線出発信号機はなくなりました。

 

続いて2002年3月。(※1)
200203htsn
・放出駅はがらっと変わりました。2面4線の合理的なホーム配置で、将来のおおさか東線の開業を見据えてのものでしょうか。
・木津方からは2番線には進入できませんので、放出駅での電車の折り返しは上下ともできなくなっています。
・片町方に引上線が設けられていますが、入信入標が見当たりませんので日常的に使用されるものではなさそうです。
200203ks
・森ノ宮電車区放出派出所です。
・わずか4線の電留線からここまで大きくなりました。

 

最後に2020年頃
20200004htsn
・2008年3月におおさか東線の放出~久宝寺間、2019年3月に新大阪~放出が開業し、放出~鴫野は複々線となってまたまた大きく変わりました。
・基本的には木津方面行きが1番線、久宝寺方面行きが2番線、新大阪方面行きが3番線、片町方面行きが4番線だと思うのですが、2番線からは新大阪方へ、3番線からは久宝寺方への出発が可能になっています。また2番線及び3番線には新大阪方への引き上げのための入信が設けられています。

 

配線図は
※1印・・・T.Mさん
※2印・・・KASAさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

興味深い記事をありがとうございます。

鴫野信号場ですが、

「片町線百年史 森口誠之著 

とれいん工房 1996年8月1日初版発行」

の21ページにある「片町線の廃止駅施設」の一覧表をみますと、鴫野信号場は、1932年11月1日開業で、1933年9月1日廃止とあり、その備考に、

「鴫野~放出間の城東貨物線の線路を片町線本線の複線線路として使用するため設置 鴫野駅設置にともない廃止」

と記されています。

鴫野信号場開設前は、放出~片町・城東貨物分岐箇所までは、単線並列だったのではないでしょうか。 

>片町線と城東貨物線の分岐点
1948年の空中写真から寝屋川橋梁は、西側が片町駅まで単線の片町線、東側が単線の城東貨物線、が併走していて橋梁の北詰に分岐が無いようにも見えます。
KASAさんの仰るように、並列単線だったのかもと思います。

皆様おっしゃるように単線並列と考えれば一番つじつまが合いそうですね。ありがとうございます。

1969年4月の鴫野駅の配線は高架切替中で、上り線が暫定的に高架下り線となるところを使用中ではないでしょうか?

私も最初そう思ったのですが、Wikipediaを見ると「鴫野駅の高架化は1962年」と書かれていたもので・・・。

地理院地図の1961~1969年の写真を見るとまだ上下線とも地上線で単写真の撮影年月日が1964-06-07とあるので、Wikipediaの記述が間違いだと思われます。

手元の写真を見直してみたところ、おおさか東線の工事が始まる前の鴫野駅構内の架線柱の銘板が「1964」、鯰江川橋梁付近の高架橋の銘板が「1963-1」になっていたので、1962年には高架にはなっていませんね。

鴻池新田会所>出版物・資料>展示解説書>片町線ノスタルジイ
konoikeshindenkaisho.jp/down/katamachisen.pdf
(64MB程ありますので)の片町線年表によりますと、鴫野駅の高架化は1964(昭和39)年で、7月13日上り線、11月5日下り線となっています。

1969年4月とされる配線図は、跨線橋が描かれていることから、下り線が地平で上り線が高架の頃ではと思われます。

記憶の中の鉄道>C11 各地 (1)
http://railwayinmemory.sakura.ne.jp/HP0x100_C11_kakuchi(1).html
高架化された下り線をC11158牽引の貨物列車が走る様子がありました。撮影日は1966年11月5日となっています。

下り高架ホームは、島式にも対応する様に幅が広く建設され、後の高架複々線化の際に、おおさか東線の上り新大阪方面、学研都市線の上り四条畷方面のホームに、改良された様です。

皆様
情報ありがとうございます。高架化工事中の暫定的な状態の図になっていたわけですね。

1969年の鴫野駅のホームですが、私が保線職員で片町線受け持っていた昭和60年頃の鴫野駅には駅が移動する前の旧路盤が一部残っていましたが、その工事中のホーム配置ではないでしょうか。
国土地理院の1964年のものを見ると、工事中の様な状態になってます。

床屋のシンさんさん
皆様からのコメントの通り、高架化工事中の暫定的なもののようですね。

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