大湊線配線図 その2(近川~大湊)
大湊線の第2回目です。
1987年3月(※2)
・変化はありません。
2000年7月(※2)
・変化はありません。
続いて赤川駅です。
1977年4月(※1)
・棒線駅ですが、かつての交換設備の跡のようなものが描かれています。
続いて下北駅です。
1977年4月(※1)
・大畑線の分岐駅です。
・大畑線の場内信号機が2つ描かれているのですが、これは誤記っぽいですね。
・しっかりした入換線が南北に設けられており、本線引上げをすることはなさそうです。
・昔の空中写真を見ると、日通線はこの図のイメージとは違って結構長く伸びていたことがわかります。
1987年3月(※2)
・大畑線は下北交通に転換され、一気に棒線駅になってしまいました。
2000年7月(※2)
・変化はありません。
・その後下北交通は廃止されてしまいました。
最後に大湊駅です。
1977年4月(※1)
・大湊線の終点です。
・車両基地である大湊運転区が設けられており、この時点では10両の気動車と救援車が配置されていました。1974年まではC11も配置されていました。
1987年3月(※2)
・大湊運転区は1985年3月時点では車両の配置がなくなり、所属車は八戸に転属したようです。
・その後1986年3月までには大湊運転区そのものが廃止されてしまっています。
2000年7月(※2)
・車両基地はなくなりましたが留置線は残りました。
・駅の機回線もなくなって頭端タイプになりました。
ところで、個人的には大湊線は一風変わった路線、という印象です。
うまく表現できないのですが、
・行き止まりの短い路線であるにもかかわらず終点に車両基地(大湊運転区)が設けられている。
・終点の一つ手前の駅で支線(大畑線)が分岐している。
・その支線の分岐方向がスイッチバックの形態となっている。
といったところでしょうか。
残念ながら今に至るまで訪問することができていません(汗)。
配線図は
※1印・・・3RT生さん
※2印・・・KASAさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。
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大湊駅の配線図で転車台の左側に描かれた機関庫には違和感があります。空中写真を見ると分かりますが、実際の機関庫は図で言うと転車台の右上の方で、しかも扇形庫でした。
1982年8月26日に行っているのですが、写真が乏しくあまり詳しいことは判りません…
投稿: クモイ103 | 2021年2月21日 (日) 21時50分
大畑線と大湊線の接続方法は謎です。改正鉄道敷設法別表では既に開業済みの大湊線から分岐する形で「田辺部から大畑を経て大間に至る鉄道」と公告されています。
この制定時に田名部駅だったのは、現大湊線赤川駅で、ここから分岐する馬車鉄道が田名部中心街まで敷設されていました。
なので田名部から分岐すれば良いものを、下北駅を新設してスイッチバックする線形で大畑線を敷設しています。大畑線自体は大間の津軽砲台の強化の資材輸送を目的として陸軍の要請で開業させているので、大湊で陸揚げした資材を運ぶという線形なら理解できますが、大湊港はそもそも下北半島を回り込む必要があり、海上輸送を考慮するとしても八戸港で陸揚げした方が遥かに合理的です。
大湊に車両基地があったのは、海軍の要港部が置かれたからでしょうか。
投稿: 北東航21 | 2021年2月23日 (火) 03時06分
>・その支線の分岐方向がスイッチバックの形態
むつ市の公式サイト>市政>>>市のあゆみ によりますと、
昭和34年に旧大湊町と旧田名部町が、大湊田名部市として合併して誕生、翌年むつ市に改称したとのことです。大畑線開通時は、往来の盛んな大湊駅と田名部駅間で、スイッチバック無しで運行する為に、下北駅から分岐したのではと思います。
投稿: moni5187 | 2021年2月24日 (水) 17時06分
>扇形庫
確かに空中写真と図とではちょっと違いがありますね。それにしても扇形庫とは・・・。
>スイッチバック
確かに大湊と田名部の往来はひとつの要因かもしれませんね。ただ北海道連絡を意図していたとは思えない線形です。
投稿: f54560zg | 2021年2月24日 (水) 19時56分