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2021年2月 4日 (木)

八戸線配線図 その6(陸中中野~久慈)

引き続き八戸線の6回目です。

最初は陸中中野駅です。
1977年4月(※1)
22197704nn
・棒線駅です。

1987年3月(※2)
22198703nn
・変化はありません。

2000年7月(※2)
22200007nn
・変化はありません。

 

続いて侍浜駅です。
1977年4月(※1)
23197704hs
・交換可能駅です。

1987年3月(※2)
23198703hs
・変化はありません。

2000年7月(※2)
23200007hs
・突如として併合閉そくに関する設備が現れました。一つは併合閉そくてこ(ただしてこ番号は記載されていません)。もう一つは各信号機の腕木の下に描かれた見慣れない記号で、信号機の使用停止表示灯と思われます。どうも1977年や1987年の配線図では省略されていて、2000年7月の配線図に限って記載されているようです。
・今までいくつかの東北地区の配線図をご紹介してきましたが、併合閉そくてこが記載されているのに気づいたのは初めてでした。ひょっとすると気づいていないだけで今までもあったのかも・・・、ということで見直してみると、山田線の上米内駅の2000年7月にも記載されているのを見つけました(汗)。でもそれ以上は見当たりませんで、この時代(2000年7月)に併合の取り扱いをしていたのは盛岡支社ではこの2駅だけだったのでしょうか。

 

続いて陸中夏井駅です。
1977年4月(※1)
24197704ni
・棒線駅です。

1987年3月(※2)
24198703ni
・変化はありません。

2000年7月(※2)
24200007ni
・変化はありません。

 

最後に久慈駅です。
1977年4月(※1)
25197704kj
・八戸線の終点であり、久慈線の起点でもあります。
・45年もの間終端駅であったことに加え、久慈線の開業はこのわずか2年前ですので、中間駅とは言え終端駅の雰囲気が色濃く残っています。
・車両駐泊設備のほか、意外に多くの貨物側線があります。

1987年3月(※2)
25198703kj
・久慈線は三陸鉄道に転換され、JR線としては終端駅に戻りました。
・側線群は撤去され、代わりに三陸鉄道の車両基地が設けられています。

2000年7月(※2)
25200007kj
・変化はありません。

 

配線図は
※1印・・・3RT生さん
※2印・・・KASAさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

2000年に乗車した時は侍浜駅は防風林の中というような印象でした。交換設備は2004年10月16日に撤去され棒線化されました。

そうですか、棒線駅化されてしまったのですか。寂しくなってしまいましたね。

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