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2021年1月 1日 (金)

八戸配線図

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

 

さて今回は八戸駅の配線図のご紹介です。

こちらの記事もご覧下さい。
 八戸 1978/10/3

 

1958年6月(※3)
195806ht
・尻内駅、単線、非電化、南部鉄道・・・。遠い昔の八戸駅です。

 

1977年4月(※1)
197704ht
・東北線下りに出発できるのは下1、下本、八本、八2の4線ですが、八戸線へは下仕1、下1、下本、上本、気、八本、八2の7線から出発できます。東北線上り場内の進路は4線ですが、八戸線場内は5線です。八戸線の重要性がよくわかります。

 

1978年10月。
19781003_20191026165801
・これは以前ご紹介したものです。

 

1987年3月(※2)
198703ht
・上り仕訳線が一部廃止されたほか東京方で微妙な変化がありますが、全体としては大きくは変わっていません。

 

2000年7月(※2)
200007ht
・機関区はなくなり上り仕訳線もほぼ全滅ですが、八戸運輸区(旧客貨車区)と下り仕訳線は残りました。
・さらにこの後も運輸区の八戸貨物構内への移転、下仕線群・気・上仕1の廃止、東北線の第三セクターへの移管など、大きな変化が生じています。

 

配線図は
※1印・・・3RT生さん
※2印・・・KASAさん
※3印・・・NZさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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コメント

皆さま明けましておめでとう御座います 今年も配線図論議の一年である様願っております 尻内駅時代の配線図凄く興味有ります当時未だ健在であった南部鉄道の尻内駅の配線が併記されている事です 良くあるヤードの奥の国鉄構内とは別な裏庭的な位置に旅客用ホーム線と機回し線他に側線一本貨車授受の連絡線が下り仕分け線群の脇に二本記載されてます 不幸にして後に南部鉄道は地震で壊滅的な被害に合い復旧する事なく全線廃止に追い込まれました 同じ様な被害状況であった南部縦貫鉄道と十和田観光鉄道は復活しましたが其の後の社会情勢の変化で廃止となったのは御承知の通りですね

追記 八戸駅の下り仕分け線群の外れにある資材線二本は南部鉄道授受線の名残ですね可也後迄存続していた様ですね

yyoshikawaさん、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
南部鉄道のホームは国鉄ホームから続く長い跨線橋の先にあったようですね。
このあたりのローカル私鉄はみんな残念な結末となってしまいました。

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
私がまだ生まれていない尻内駅時代の配線図大変興味深いですね。
叔父が十勝沖地震を八戸で被災してまして、すぐに外に逃げたので幸い無事でしたが、その時に居た建物は倒壊したそうです。
最近5〜6年程八戸に帰省した際、地元図書館に行っては
八戸駅の文献を探していましたが中々1980年頃の写真は出てきませんね…。87年の配線図にあります上り仕分け線がだんだん無くなっていく状況は小学生時代帰省時の記憶に残っています!貨車が1両もいなくなり、線路もだんだん撤去されていき、八戸駅が小さくなっていく様で寂しかった事を思い出します。

kk35powerさん、明けましておめでとうございます。こちらこそよろしくお願いします。
貨物側線がなくなって更地になり、やがて駐車場になったりビルが建ったり。このような光景があちこちで見かけられました。駅としては機能的になったのでしょうが、コンパクトになることの寂しさは同感ですね。

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