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2021年1月 5日 (火)

淀川電車区の入出区 その2(桜島線)

今回は前回の続きで、1980年3月時点での淀川電車区所属車の桜島線での運用についてです。

まず、ちょっと(かなり?)古いですが、1958年の淀川駅・京橋駅の配線図です。
195804yg

195804kb
・淀川~環状線京橋間には約1.5kmの短絡線が設けられており、淀川駅及び京橋駅にはそれに対応する場内・出発信号機が設けられています。すなわちこの短絡線は本線で、淀川駅と環状線を行き来する車両はここを入換ではなく列車として通過することになります。
・今回のテーマである桜島線で運用する淀川区の電車はこの短絡線を通過するわけですが、1958年時点ではこの短絡線を通過するのは電車だけではありませんで、猫間信号場から分岐する玉造駅の貨物扱所に発着する貨物列車もここを通過していました。

大阪環状線の配線図は以下をご覧下さい。
 大阪環状線配線図 1958年
 大阪環状線配線図 1961年
 大阪環状線配線図 1979年 ←その後の確認で、1979年ではなく1997年頃のものと思われます。

1978年の淀川区の様子は以下をご覧下さい。
 淀川 1978/3/14

 

それでは480042さんからご提供いただいた1980年3月のダイヤを見てみます。
198010_1ysl

198010_2ysl
桜島線関係は62~65の4運用でまかなっているようです。

以下、運用順に流れを追いかけます。
・62運用(青色)は5時44分頃に回2318で淀川を出区し、京橋からは営業列車2318で天王寺へ。折り返し2339でそのまま桜島線に入り、以降線内往復繰り返した後、ラッシュが終わる9時51分頃に桜島で休息に入ります。15時頃から再び活動を開始し、一番夜遅くまで往復してこの日は桜島泊です。
・63運用(紫色)は桜島を6時50分頃に動き出して線内を往復し、桜島を9時24分頃に出発する2464で桜島線を離脱して天王寺へ向かいます。折り返し2479で終点京橋に到着、回2479で9時24分頃に淀川区に入区します。しばらく休憩したのち、14時58分頃回2566で出区し、京橋から2566で天王寺へ、折り返し2575で桜島線に戻ります。夕方のラッシュをこなし、22時40分、桜島で運用を終了します。
・64運用(赤色)は早朝5時から活動開始です。ひたすら線内を往復しますが、日中はこの1本だけのピストン輸送になります。20時01分頃2728で桜島線を脱出し、終点京橋から森ノ宮区に入区します。
・65運用(緑色)は6時02分頃に森ノ宮区を出区し、2331で京橋からそのまま桜島線へ直通します。線内往復を繰り返して、10時26分頃2488で桜島線を後にして森ノ宮へ入区します。15時50分頃出区して2585で桜島線へ戻り、夕方のラッシュ輸送を行った後20時21分頃2738で桜島線の運用を終えて天王寺へ向かいます。折り返し2755で京橋へ、そして回2755で淀川区に帰ってきます。

 

以上をまとめると、
・淀川区の桜島線運用に伴う回送は淀川~京橋のみで、京橋から桜島線に至るまでの環状線内はすべて営業列車としての運転となっています。この時期森ノ宮区の環状線用車両はすべて103系8両編成となっていましたので、桜島線がらみの淀川車使用列車12本だけが6両編成だったことになります。
・淀川区から桜島線に向かう出区車は京橋での折り返しは行わず、天王寺まで行って折り返す運用です。桜島線から淀川区に戻る場合も同様に天王寺での折り返しです。1958年の配線図では京橋での折り返しも可能な信号設備になっていますが、1980年時点ではこの進路はなくなっていたかもしれませんし、残っていたとしても京橋で折り返す時間的余裕がなかったのかもしれません。

 

淀川区の101系または103系の運用は51~73の23運用があり(51と61はほぼ交検のみ)、このうち桜島線関係は上記の通り62~65の4運用で、残りの19運用が片町線となっていました。

 

列車ダイヤは480042さんよりご提供いただきました。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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コメント

>桜島線から淀川区に戻る場合も同様に天王寺での折り返しです。

大阪から鶴橋まで、大阪環状線を通学で利用してきました。乗車したのは、桜島発の2318の一本前の電車をよく利用しました。103系は冷房車がありましたが、この当時2318は淀川車101系で、非冷房でしたから・・・。

一旦天王寺に向かったのは、京橋駅の本線上での折り返しを嫌ったからだと思います。9時台ですがまだ朝ラッシュの余韻があり、運転本数も多く、折り返しの数分間の停車が難しかったからだと思います。

関西空港の開港に伴い、1994年に大阪環状線に「関空快速」が設定されました。このときのダイヤ改正で、京橋駅南側にある入出区2番線に入ることができるようになったと記憶しています。

そもそもの話になってしまいますが、1980年時点でも桜島線は淀川区が受け持っていたんですね。なんで森ノ宮区の受け持ちではなかったんでしょう。

1980年当時、大阪環状線は8連でしたが、桜島線は6連で片町線と同じ両数でした。なので森ノ宮区は環状線専用として、桜島線は片町線と共通運用にする方が効率的だったのでしょう。

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