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2021年1月 4日 (月)

淀川電車区の入出区 その1(片町線)

1980年3月当時、淀川電車区には103系12両、101系が148両配置されていて(車両配置表によります)、いずれも6両編成が組まれていたようです。
大阪環状線は森ノ宮区の103系8両編成が使用されており、淀川区の6両編成車は片町線と桜島線で使用されていました。

ちょっと古いですが、1958年4月時点での淀川電車区付近の線路配線は以下のようになっています。195804yg
淀川電車区は片町線とも桜島線とも直接つながっていませんので、当然入出区の際は回送列車の運転が必要になります。(その後開設された淀川電車区放出派出所は放出駅に隣接しており回送列車の運転は不要ですが。)

そこで今回は淀川電車区(本区)の入出区の際に運転される回送列車のうちの片町線関係の様子を、480042さんからご提供いただいた1980年3月のダイヤをもとに見てみます。

まず片町線のダイヤの5時~10時です。
101198010_510ktl
・このダイヤには運用番号が記載されているため、大変わかりやすいです。
・色を付けたスジが回送に関連した部分です。細線は回送列車、太線は営業列車です。
・6時32分頃、66運用が本区から出区します(赤線)。回534で四条畷まで行き、折り返し233から営業に入ります。
・6時58分頃、57運用が本区から出区します(青線)。回538で同様に四条畷まで行き、折り返し243から営業に入ります。
朝のラッシュ前に本区から出区するのはこの2編成のみで、あとは放出派出から出区の9編成、片町駅滞泊3編成、四条畷駅滞泊2編成、長尾駅滞泊2編成となっています。本区は検修基地としての役割が中心で、留置・滞泊については放出派出が主力である様子が伺えます。
・8時12分頃、61運用の254が終着放出に到着します(緑線)。いったん派出に入区したのち、8時34分頃出区して回531で本区に戻ります。この後交検のようです。
・8時30分頃、70運用の256が終着四条畷に到着し(紫線)、折り返して8時44分頃、回533で放出へ。同様にいったん入区して9時40分頃回535で本区に戻ります。ただしこの70運用の入区はお昼寝で、夕方のラッシュ前に再度出区します。

次に12時~17時です。
101198010_1217ktl
・16時08分頃、前述の70運用(紫線)が出区します。放出まで回542、折り返して359から営業に入ります。

最後に17時~22時です。
101198010_1722ktl
・18時43分頃、交検を終えた51運用が本区を出区します(黄線)。回544で放出へ行き、そのまま入区します。営業はしません。
・19時07分頃、73運用の396が終着四条畷に到着し、折り返して19時24分頃、回537で本区に入区します(水色)。
・19時55分頃、56運用の408が終着四条畷に到着し、折り返して20時07分頃、回541で本区に入区します(茶色)。

 

以上のように1980年3月時点で淀川区本区の入出区の関係で運転されていた回送列車は8本のみで、(個人的には)思ったほど多くはありませんでした。放出派出所のウエイトのほうが高くなっていたんですね。
回送区間は淀川~四条畷が5本、淀川~放出が3本で、放出ではなく四条畷まで(から)回送となるパターンの方が多いです。
放出派出が開設される前は多くの回送列車が運転されていたのだろうと思います。

 

列車ダイヤは480042さんよりご提供いただきました。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

2021年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
配線図の1958年時点では、森ノ宮電車区はできていたでしょうか?まだであれば城東線(後の大阪環状線)の電車も淀川電車区が受け持っていた筈ですね。
淀川駅で線路番号が振られているところは貨物駅でしょうから、電車区は7線だけ、2線区を担当する電車区としては意外な「狭さ」です。
それと、鴫野駅の片町方にある渡り線が両渡りなのが意外で、背向渡り線はどのような使い方がされていたのかも気になります。
またこの時代、片町駅の規模は意外と大きかったのですね。

クモイ103さん、あけましておめでとうございます。
こちらこそ今年もよろしくお願いします。

>森ノ宮区
この時点ではまだできていません。おそらく城東線・西成線の電車も淀川区が引き受けていたのでは、と思います。

>淀川区の意外な「狭さ」
おっしゃる通りかなり狭いです。ただ西成線電化時(1941年)にはすでに放出に電留線(4線だけですが)が設けられているようです。

>鴫野の両渡り
巽信←→片町へのスイッチバックなんでしょうけれど、貨物だとPPか推進になってしまうので回送電車ではないかと思うのですが。

>片町駅の規模
昔の浪速鉄道のターミナルであった名残かもしれませんが、おっしゃる通り意外感は否めませんね。

嘗て大阪に於いて蒸気鐡道の頭端ターミナルは湊町難波と片町でした 片町駅の北4番はトラーバーサーでないと入線出来ない配線ですね 戦前は片町駅に隣接して車輛製造会社が有りました破線はその名残でしょうか

湊町は独特な駅でしたが、片町も、規模は小さいものの一風変わった駅でした。昔の空中写真を見ると、川に挟まれたホントに狭い敷地であることがわかります。
車両製造会社があったのですね、情報ありがとうございます。

>1980年3月当時、

関西線ほどでは無いですが、片町線も結構利用しました。沿線へは、奈良、天王寺、京橋経由が便利だったのですが。後に木津、長尾経由が遥かに早いことが解り、何度か乗りました。

奈良のキヨスクで買った鉄道本を車内で読んで、関西鉄道がらみの木津付近の変遷は知っていたのですが、京橋付近の変遷は、つゆ知らずで興味深々です。

鴫野から巽信号場にかけては、かつての関西鉄道の網島線なのでしょうか。難読地名の連続ですが、四條畷はともかく放出は楽勝で読めました。

moni5187 さん
ネット上で見ることができる古い地図を照合すると、おっしゃり通り鴫野から巽信号場にかけては、かつての関西鉄道の網島線にほぼ沿っているようです。
網島線は、城東線をアンダーパスして、現在の大阪市立東高等学校のあたりにあった網島駅に至り、さらに城東線桜ノ宮駅まで延びていました。
たしか桜ノ宮駅付近には何か遺構があると読んだ気がします。(ピクトリアルの環状線特集だったかな?記憶曖昧で申し訳ありません…)

追伸
「放出」は、在阪の皆さんには某TVコマーシャルでいやという程(?)耳にこびりついたフレーズですよね。私も1986年から約5年間大阪にいたのでよく耳にしていました。

>某TVコマーシャル

関西ローカルで、京橋の名を一躍有名にしたのは、あのTVCMだと思います。総合レジャービルが京阪旧京橋駅の跡に出来たと知ったのは、ネット時代になってからです。

環状線の北側の渡り線は、かつての京阪本線を越えるガード上にあり、現在は斜め方向の橋桁だけが残っている様です。

環状線の京橋駅の北側で上下本線間に斜め方向の橋桁が残っている状況を、私もだいぶ前に見て一抹の寂しさを覚えた記憶があります。渡り線がちょうど京阪本線を跨ぐ所にあったのは偶然でしょうけれど、そのおかげで現在まで渡り線の遺構が残っているのですね。そう思うと、地平の方には何か京阪本線の遺構があるのか、ちょっと気になりました。

京橋~桜ノ宮付近にはいろいろな遺構が残っているようですね。私もかつてこのあたりの線路沿いを歩いたことがあるのですが、道路の歩道上には多くの犬の〇〇がありまして、要注意でした。

>京橋~桜ノ宮付近にはいろいろな遺構

木津側の有名な遺構としましては、駅の北側に奈良線が、かつての関西鉄道跡の道路を越えるガードがあります。1980年代に道路を通ったことがあるのですが、現在もガード部分の幅員が狭く、明治の建設当時のままのようです。

早速ストリートビュー見ました(笑)。
レンガの橋台、スバラシイです。

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