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2021年1月13日 (水)

京橋~片町間の回送列車

前回の記事で、「1978年頃の片町駅は京橋駅の折り返し設備のよう」といったようなことを書きましたが、今回はこれに関連して京橋駅~片町駅間で運転されていた回送列車について見てみることにします。

1978年頃の片町駅の配線はこんな感じで、
197803kk1
島式ホームに面した1・2番線のほかに2本の電留線(3番線・4番線)が設けられています。
この電留線への電車の出入りについては、普通に考えれば、
①片町駅終着列車が片町駅で入換(=木津方への引上げ)を行って電留線に転線する。
②しばしの休憩後に再度入換で電留線からホームに移動し、片町駅始発列車として出発する。
ということになろうかと思います。

しかしながら、
・京橋~片町は500mしかなく、電車が木津方に引き上げると先頭部が京橋駅のホームにかかりそうなくらいの位置関係になっている。
・京橋~片町間は京橋以東区間に比べて旅客需要が少ない。
といったことが理由ではないかと推測するのですが、実際には
片町駅の電留線に入る列車は京橋でお客を降ろした後にそのまま直接電留線に入る。
②出ていく場合も電留線からそのまま京橋駅のホームに進んでそこからお客を乗せる。
という方法がとられていました。

ただし、わずか500mとはいえ電留線は隣の片町駅の構内ですので、短いながらも京橋~片町間は回送列車となります。一風変わった運転方法のように感じます。
この辺りを、例によって(汗)480042さんからご提供いただいた1980年10月のダイヤで詳しく見てみます。

まず5時から10時の時間帯です。
198010_510kml
・色付きのスジが注目すべき列車で、細線は回送列車、太線は営業列車です。
・片町駅には3編成の電車が夜間滞泊しています。場所は2番線と3番線と4番線です。
・5時ちょうど頃、61運用の202が片町駅を出発します(灰色)。ホームに面した2番線での滞泊ですので片町からお客を乗せて営業列車として出発します。
・5時17分頃、53運用が片町駅を出発します(赤色)。電留線である3番線での滞泊ですので京橋までは回204、京橋からお客を乗せて204となります。
・6時48分頃、55運用が片町駅を出発します(青色)。同様に電留線である4番線での滞泊ですので京橋まで回220、京橋から220となります。
・8時54分頃、52運用の京橋止まりの271が到着します(緑色)。回送(多分回271)となって片町駅3番線へ入ります。

 

続いて13時から18時です。
198010_1318kml
・14時頃、5時間ほどの休憩をして先ほどの52運用が片町駅3番線を出発します(緑色)。回344で京橋へ、京橋から344です。
・14時19分頃、入れ替わりに56運用の335が終点京橋に到着し、回335となって片町駅4番線に入ります(紫色)。
・17時45分頃、3時間半ほどの休憩をして上記の56運用が回378~378で出発していきます(紫色)。

 

続いて19時から24時です。
198010_1924kml
・19時59分頃、54運用が411~回411で片町駅4番線へ(橙色)。そのまま片町駅滞泊となります。
・21時47分頃、52運用が427~回427で片町駅3番線へ(緑色)。そのまま片町駅滞泊となります。
・23時44分頃、60運用が441で片町駅に到着し(茶色)、そのまま片町駅滞泊となります。2番線到着ですので片町駅まで営業列車として運転されます。

 

以上のように、1980年当時は、
・片町駅で3編成の電車が夜間滞泊していた。
・日中の片町駅ではおおむね1編成の電車がお昼寝をしていた。
・片町駅の電留線への出入りのために京橋駅~片町駅間では上下各4本の回送列車が運転されていた。
といった感じだったわけですね。
「路線の終端の駅(しかも都心側)の一つ手前の駅までは営業するが、次の終端駅までは回送となる列車」
「路線の終端の駅(しかも都心側)を回送で出発し、一つ目の駅から営業を始める列車」
というのはなかなか珍しいのではないかと思うのですが。

 

列車ダイヤは480042さんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

終端駅ではありませんが、品川駅の電留線から出庫して田町駅から客扱いしていたのは似たイメージですね。入庫は品川駅構内の引上線で入換でしたが。
深夜の京浜東北線の南行下十条入区電車はかつては東十条行で着後入換入区でしたが、需要が少ないことから客扱いは赤羽まで、以後回送で下十条区直接入区になりました。
逆に北行の直接出区は、赤羽駅の高架が高くなって勾配が東十条駅の直前まで延びたことにより渡り線が設置できなくなり、手間のかかる入換を余儀なくされています。

着席のため不正に手前の駅まで行って折り返す行為はどこでもあるのですね。夕ラッシュ時間帯唯一の京橋始発列車となる17時45分頃の56運用378列車は、貴重な「正当の」着席チャンスだったことでしょう。

十数年前に東京へ通勤していた頃、東京駅の総武快速線や京葉線で夕ラッシュ時間帯に見た「一旦ドア閉め整列乗車」も、その防止策なのでしょう。折り返し始発列車となる上り終着列車が着くと、これから乗車する下りの旅客を待たせておき、上りの旅客の全員降車を確認後、一旦ドアを閉めてまたすぐに開けて、それを合図に乗車させるのです。列を作って待っていた旅客が整然と乗り込む様子を見ていた関西弁の若い女性グループが「カルチャーショックやわあ…」と話していました。今でもやっているのでしょうか。

上記のコメントは「京橋~片町配線図」の北東航21さんへのレスでした。失礼しました。

>1978年頃の片町駅の配線はこんな感じで、

京橋の島式ホームの片町行き側は、柵があって閉鎖されていて、新たにホームが増設されています。初めて利用した際、かつては島式ホームのみだったのかと、すぐに気付きました。

高度経済成長期まっただ中、島式ホームのみの頃は、夕方のラッシュ時間帯には、上りのゲタ電待ちの乗客で、ごった替えしていたと想像されます。そこに片町行きが到着する訳で。

×ごった替えして→○ごった返えして
変換ミスで、失礼いたしました。

> 「路線の終端の駅(しかも都心側)の一つ手前の駅までは営業するが、次の終端駅までは回送となる列車」
>「路線の終端の駅(しかも都心側)を回送で出発し、一つ目の駅から営業を始める列車」

厳密には都心側ではないですが、名古屋地区の117系快速の末期は、昼間は熱田駅で休んでいて、夕方になると金山まで回送して旅客営業というのがありました。

あと、これは留置線とは無関係ですが「荷物列車その2」で出てくる函館本線の荷41列車は、函館ー森間は客車を連結しているにも関わらず回送で、旅客営業は森からでした。

都心側の終端1区間だけ輸送量が段落ちする路線としては、京成本線の京成上野~日暮里間がありますが、回送扱いはないですね。
休日の午後、日暮里から下り列車に乗車すると、上野から空席だらけで来た8両編成の快速特急がたちまち混雑状態となります。平日の夕ラッシュに乗ったことはありませんが、どんな状況なんでしょうか。

古い鉄道雑誌を見ると、昭和51年の片町線京橋駅の
ホームの写真がありました。

『ピクトリアル』誌の同年6月号82頁ですが、
そこには全金属72系とともに、いまの西口の
工事の始まった様子が収められていました。

京橋駅の片町線ホームの拡張の仕方は
天満駅とそっくりですね。

>品川・下十条の電留線
ここは本線だったのですね。知りませんでした。ありがとうございます。

>関西弁の若い女性グループ
でしょうね・・・、失礼しました(汗)。

>熱田・京成上野
結局電留線が本線かどうかの違いになるんでしょうね。もし京成上野に電留線が設けられたら本線となって回送電車・・・となるような気が。

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