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2021年1月22日 (金)

大阪環状線の配給電車 その1(1980年)

以前の天王寺駅に関する記事で皆様から配給電車についてのコメントをいただいておりましたので、吹田工場を中心に淀川・森ノ宮・日根野の各電車区を巡る配給電車列車の運用について整理してみたいと思います。
今回はその1回目、1980年10月時点での様子です。

鉄道ピクトリアル2018年9月号は配給電車特集で、品川電車区と高槻電車区の配給電車の運用(箱ダイヤ)が掲載されています。
このうち1980年4月時点での高槻電車区の淀川・森ノ宮・日根野を巡る運用はこんな感じで記載されています。198010dhk
左の1~8の数字は私が便宜的に付けたものです。原資料にはありません。
後述しますが、一番下の「配7994」は「回7992」の間違いではないかと推測しています。
・この当時、高槻電車区にはクモル23が5両、クモル24が8両配置されており、これ以外にも向日町、高槻、西明石、網干、宮原、(岡山)を回る運用がありました。
・言うまでもなく吹操~淀川間は城東貨物線経由で、天王寺での環状線~阪和線間の移動は4番線~連絡線(スロープ)経由です。
・鳳は1978年に車両配置がなくなっている(=検修業務は廃止されている)のですが、それでも配給列車は立ち寄っていたのでしょうか。
・列車はすべてが配給列車ではなく一部は回送列車になっており、しかも回送と配給が切り替わるのは天王寺駅になっています。このあたりはナゾです。

 

次に、例によって(汗)480042さんからご提供いただいた1980年10月のダイヤで、時間を追って見てみます。1980101hkr 

1980102hkr
・前述の箱ダイヤの順に①~⑧の番号を付けてみました。
①運用スタートとなる回7993は、吹操18時40分頃という結構遅い時間の出発です。
②淀川区で2時間程度を過ごした後、短区間の回6456で森ノ宮区に移動して、この日は森ノ宮区泊です。
③翌日の朝は早いです。5時20分頃に出区し、京橋駅の入出区線で折り返して天王寺へ行き、阪和線に向かいます。
(この当時、入出区線を利用しての森ノ宮電車区←→天王寺方の折り返しは可能だったと思うのですが(汗)。)
天王寺駅における関西線~阪和線間の移動ルートについては以前ご紹介しましたが、今回は環状線~阪和線間の移動で、例えば環状線→阪和線の場合は下図のようになります。
198803rl
今来た道を横切るのが面白いですね。
④11時30分頃、阪和線から天王寺に戻り、環状線に入って森ノ宮区に入区します。
⑤13時40分頃、淀川区に移動します。
⑥15時50分頃、配7994で吹操に戻ります。
⑦翌日の11時頃、配7991で再度吹操を出発し、淀川で30分程度過ごした後阪和線に向かいます。都島信での停車時間がやけに長いですね。
⑧14時10分頃、天王寺に戻ってきて淀川に向かいます。この日は淀川で日をまたぎ、翌日5時50分頃に吹操に帰ります。ダイヤでは回7992となっており、箱ダイヤの最後の配7994はおそらく回7992の間違いではないかと思うのですが。

 

次に地図でルートを確認します。
198010ab
・1980年10月時点で配給列車が走っていたのは上図の青線の部分です。
・大阪環状線内も走りますが、東側の京橋~天王寺間のみです。大阪駅に顔を出すことはありません。

次回は1988年時点での様子をご紹介します。

 

列車ダイヤは480042さんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

国電区間が広範囲に展開されていた首都圏と関西圏では50年前配給電車の運用が多方面で行われていた 首都圏は大井工場が担当 関西圏は吹田工場が各担当していた 両工場を起点として配給電車は独特の経路で各電車区へ配給資材を運びこんでいました在らぬ所の分岐で別な路線へ転線したり電車線を通過したり旅客線や貨物線を通ったり其の運行は変幻自在であり更に工場入出場車を間に組み込んで回送兼ねていた(旧型国電)首都圏では配給電車と荷物電車を連結した事も有った
首都圏では配給電車の基地が大井工場でしたので大崎駅が始発駅として機能していました 関西圏は吹田工場が配給電車基地ですので吹田操車場が始発駅であったのではと思うのですが 
そんな関係で都内の電車区で最後迄旧型国電を大量に配置されていたのが品川電車区でした実際は大井工場構内でゴロゴロしていた

東京圏の配給電車は、比較的近距離の運用にM+Tが使用され、クル29が多数配置されていました。それに対して新前橋や小山へ行く長距離の運用はクモルとクモニが組んだ2M編成が多く、品川に多数いたクモニ13の中で2両だけの鋼体化改造車が充当されることが多かったようです。
関西圏にはクルの配置が無く全てクモルだったのは、ひょっとして天王寺の急こう配が関係しているのでしょうか?それとも入出場回送車を挟むため?

>京橋駅の入出区線で折り返して天王寺へ行き、阪和線に向かいます。
(この当時、入出区線を利用しての森ノ宮電車区←→天王寺方の折り返しは可能だったと思うのですが(汗)。)


森ノ宮電車区を出入庫する場合、入出区線を利用しての森ノ宮電車区←→天王寺方の折り返しを行っていました。
この列車ダイヤ上では、入出区線も京橋駅の一部だとでいうことなのでしょう。

配給列車前後の森ノ宮電車区発天王寺方面行き出庫電車が、京橋→森ノ宮間回送となっているのも京橋駅ホームには寄らないからです。

クモイ103様 確かに首都圏にクルが多数配置されてました 関西圏のクモルばかりなのは天王寺駅の連絡線対応かもしれませんね 首都圏でも入出場回送車輌を挟む事は多々有りました ピクトリアルお腹の空いた電車特集に何か理由が述べられているかもしれませんね・・・

吹田の配給ダイヤありがとうございます。
ピク誌2018年でしたか。。。
もっと前だと思って、2010年あたりから遡って探していました(汗

大正区に住んでいた小学生時代、おそらくは
昭和54、55年ごろかと思いますが、遠足の帰りに
京橋か森ノ宮あたりから大正へと向かう環状線の
車内からこの配給電車を見た記憶があります。

大正駅を降りて学校に戻るのはいつも午後3時前後
でしたから、本記事に見えるスジの通りだったのかも
知れませんね。

小学校では、午前中に浪速方面へと向かう
貨物列車の機関車次位に付いていた職員輸送用の
ハフにどうしたら乗れるのかとか、茶色の
配給電車を見たことがあるかとかいった
話題を結構聞いたことがあります。
*ブルトレブームの後で鉄道人気も高かった時代です。

「関西圏にはクルの配置がなく」と書いてしまいましたが、クル29形は1両だけ居たのですね(1978年度に廃車されている模様)。失礼しました。
それと、145系はクモル+クルで良かったので、天王寺の勾配が本当に関係あるのかよくわかりません(汗)。

連投失礼します。

yyoshikawaさま
「お腹のあいた電車がいた頃」はじめ当該ピク誌の各記事を一通り読み直しました。しかし私が見落としているのか、関西地区にクルが少なかった(でも1両だけ居た)理由は分かりませんでした。

皆様
配給列車のルートは本当に複雑で、逆に言えば配給列車を運転するためにわざわざ設けた意外な線路・信号設備があったのかもしれません。

>入出場回送車を挟む
ピク誌に掲載されている写真を見ると、間に車両を挟んだカタチのものは阪和線関係に多く、東京近辺ではそのようなものは見受けられません。偶然でしょうか。

>145系
145系の場合は間に車両は挟めない・・・のでしょうか。

私にとっての配給列車のイメージはやはりクモル・クルなのですが、現在では配給列車の姿も様変わりしたようで。

> 145系の場合は間に車両は挟めない・・・のでしょうか。

145系のクモルとクルは、基本的にはそれぞれ独立して機能したそうです。但し首都圏のATC対応機器がクルにのみ搭載されていたため、そこではユニットを組む必要がありました。
ATCとは無縁の関西地区ではバラしても良かった筈ですが、そうは言っても片方が非動力では回送車両を挟む入換作業に制限があったかもしれません。

ここからは推測です。
関西地区では配給電車を牽引車としても使用していた。そこで旧形時代は入換作業の便を考えてクモルばかり配置された。それも半数近くは両運転台車。クルが1両だけ居た(29003)のは、鋼製配給電車の初期に本社から割り当てられたためで、その後「ウチにはクルはいらない」と断ってクモルばかり導入した。使い勝手の悪いクルは早くに廃車されてしまった。
その後145系の導入にあたっては本社の方針が強く(あるいは国鉄の財政事情が高価な全電動車を許さず?)クモル+クルに統一されてしまったため、回送車両を間に挟むことをやめてクモヤを使用することにした。
・・・というシナリオをでっち上げてみましたが、果たして真実や如何に?

ピクトリアル誌の昭和53年10月号の「トピックフォト」86頁に
「クモハ60トップナンバー消える」と題した写真が紹介されて
いますが、そこでは鳳で廃車となった牽引車代用の
クモハ60001の廃回編成として

クモル23003-クモハ60001-クモル24023

の写真を見ることができます。

旧型配給車の阪和線関係の写真を見ると、間に車両を挟んだものをよく見かけますね。確かに配給車というよりは牽引車ですよね。

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