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2021年1月24日 (日)

大阪環状線の配給電車 その2(1988年)

前回に引き続き、吹田工場を中心に淀川・森ノ宮・日根野の各電車区を巡る配給電車列車の運用についてのお話です。
今回はその2回目、1988年3月時点での様子です。

前回の1980年からの変化としては、
・淀川電車区(本区)の廃止により淀川電車区への巡回がなくなった。
・淀川駅自体も廃止となって城東貨物線と大阪環状線を結ぶルートが絶たれた。このため梅田貨物線~桜島線安治川口折り返し~大阪環状線というルートを代替とした。
・クモル23・24は廃車となり、クモル145・クル144各6両、計12両の陣容となった。
といったところでしょうか。

 

まずダイヤを見てみます。運用順序はわかりませんので、テキトーに区切って時間の早い順にアルファベットをつけてみました。198803nk
・Aは森ノ宮区を出区し、回6451で環状線内回りを西九条まで、ここから桜島線に入って安治川口で折り返して梅田を経由して吹田信に向かいます。
・Bは同じく森ノ宮区を出区し、京橋駅の入出区線で折り返して環状線外回り回6454で天王寺へ、西引上線→4番線→連絡線(スロープ)を通って阪和線に移動して日根野へ。
・CはBの逆で日根野から森ノ宮区へ。天王寺からは配6453です。
・Dは吹田信から梅田貨物線を通って安治川口へ、ここで折り返して外回り配6456で天王寺へ、阪和線に入って日根野へ。
・Eは日根野を出発し、天王寺からは内回り回6457で西九条から桜島線安治川口へ、折り返して吹田信へ。
・Fは吹田信から梅田経由、安治川口で折り返して回6460で森ノ宮区へ。
といった感じになるかと思います。

 

運用順序を適当に想像して箱ダイヤを作成すると以下のようになります。あくまで想像です(汗)。198803dhk

 

地図上では以下のようになります。

198803ab
・1980年と比べると京橋~西九条間でも配給電車が走るようになり、大阪駅で配給電車が見られるようになりました。

 

ところで西九条駅の梅田貨物線~環状線間の渡り線(下図の赤線)はこの時点(1988年3月)では完成していたのでしょうか。
1976knrl2
なら・シルクロード博覧会が1988年4月23日からの開催ですのでちょっと微妙です。もし完成していたならば、上記のDとEは吹田~安治川口~大阪~京橋~天王寺よりは吹田~西九条~大正~天王寺というルートの方が距離だけ見れば近道なのですが。
もっとも、仮に完成していたとしても、天王寺駅では、
1)環状内回り線→阪和線の場合は、内回り→1番線→西引上線→4番線→連絡線→阪和線
2)阪和線→環状外回り線の場合は、阪和線→連絡線→4番線→西引上線3番線→外回り
といった入換が必要ですので、大正経由のルートはちょっと厳しいかもしれませんね。
198803knr
(※1)

 

次回は2003年時点での様子をご紹介します。

 

列車ダイヤは480042さんよりご提供いただきました。
配線図(※1)はT.Mさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

「快速シルクロード号」の前面展望では、赤線の部分を通っていますね。1988年3月時点では、微妙なところだと思います。渡り線の枕木に着目しますと、梅田方のは木製で、以前からある様に見えますし。天王寺方のはコンクリ製で、以後に出来た様に見えますし。

この頃と思われる配給がらみの列車を京橋駅内回りホームで撮っているのですが(221系が映りこんでいて、淀川方面への環状線渡り線は撤去済み)、先頭からクモヤ+113系湘南色モハ・モハ・クハ+クル・クモルの6両編成です。

・113系は非冷房でモハのパンタは上がってる
・クモル・クルには車輪が搭載されている
・クモヤとクモルの方向幕は「回送」

時間帯からして、日根野から直接吹田へ向かう回6457ですが、明らかに配給輸送なのに列車としては回送なのかイマイチわからず。

クモル・クルが先頭になると「配」になるのでしょうか?

> 2)阪和線→環状外回り線の場合は、阪和線→連絡線→4番線→西引上線→3番線→外回り
> 1)環状内回り線→阪和線の場合は、内回り→1番線→西引上線→4番線→連絡線→阪和線

外回り、内回りとも新今宮で転線という手もありますね。
ま、仮定の話ですが。

手元の、「昭和60年3月14日改正 阪和線・羽衣線列車ダイヤ(平日) 天王寺鉄道管理局」と「昭和60年3月14日改正 関西本線・大阪環状線列車ダイヤ(平日) 天王寺鉄道管理局」(いずれも2分目ダイヤ)とをつきあわせてみました。

管理人さん作成の、箱ダイヤのうち、阪和線の区間の列車番号は以下のとおりです。
B 環状線 回6454列車 〜阪和線 配6951H
C 阪和線 配6952H  〜環状線 配6953列車
D 環状線 配6456列車 〜阪和線 配6953H
E 阪和線 配6954H  〜環状線 配6457列車

環状線〜阪和線へのルートは、両方向とも、F線経由と書かれています。

Bの運用が、天王寺を境に回送列車から、配給列車に変わっていますが、なにかあるのでしょうか? ダイヤ面上からは、不明です。

放出へは配給電車は行っていなかったのでしょうか?

>回送と配給
なかなか難しそうですね。

>新今宮で転線
おっしゃる通りですね。大変失礼しました(汗)。

NZさん、列車番号ありがとうございます。

>放出
私も気になっていました。答えは知らないのですが・・・。

>放出
1988年3月の時点で、環状京橋と、かつての淀川電車区間の渡り線は撤去済みのようです。巡回ルートが東海道線経由で、放出が含まれないのは、その為だと想像しています。吹田から放出へは、内環(ウチカン)経由になっていたかも。

放出移転後の淀川区へは配給輸送はトラック化されたと記憶しています。moni5187さんの言う内環経由、旧国鉄バス東大阪線ルートです。

また、当初は日根野区所属だった関西線用の電車を昭和60年に転属させて発足した奈良区は、設置当初から配給輸送がトラック化されています。

moni5187さん、北東航21さん、ご教示ありがとうございます。
地図を見れば、放出は道路アクセスがいかにも良さそうで、しかも吹田とは国道一本で直結していますね。これでは配給電車の出番は無さそうです。

トラックに切り替えられてしまいますと(個人的には)興味の対象から外れてしまうのですが、今でも車輪を積んだトラックが人知れず走り回っているのでしょうね。

配給電車が走った最大の理由は、車輪という重量物を運ぶことでした。国鉄時代は車両区の検修線で擦り減った車輪を予備の整備済みの車輪と取り替えて、削正が必要な車輪を配給電車で工場に送っていましたが、現在は車輪を外すことなく削正する装置があって、検修線で在線のまま削正ができます。

日根野にはありますが、森ノ宮にはないため、削正が必要になった場合は奈良で行っていました(2000年頃は、朝の大和路線運用で送り込んで作業して、夕方の大和路線運用で戻していました)。

こんな状況ですので、車輪をトラックで運ぶのも激減していると思われます。

そうですか、車輪を運ぶ時代ではなくなってきたのですね。時代の流れについていけていません(汗)。

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