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2021年1月10日 (日)

京橋~片町配線図

今回は片町線の京橋駅と片町駅の配線図のご紹介です。

最初は1958年4月です。
195804kk1
・片町駅は、もともとは浪速鉄道の大阪のターミナルとしての使命を課せられて1895年に開業した駅なのですが、その後は若干のすったもんだがありました。
・この時点では貨物営業も行われており、C11あたりが入線していたようです。

 

続いて1959年1月です。
195901kk
・見やすくするためにやや不鮮明な原図に手を加えましたので、ちょっと怪しい部分があります(汗)。
・yyoshikawaさんのコメントの通り、「近畿車輛」の文字が読み取れます。徳庵に統合される前の姿ですね。

 

続いて1978年3月です。
197803kk1
・個人的には片町駅の印象が一番強く記憶に残っている時期です。
・貨物営業は1970年で廃止されています。このような場所にある駅の割には結構遅くまで貨物を扱っていたのではないでしょうか。
・この頃の片町駅は、熱海駅に対する来宮駅のように、京橋駅の電留線のような雰囲気でした。

19760329c01
・1976年3月29日撮影です。3・4番線の電車の行き先表示は「片町」ではなく「京橋」です。

 

続いて1992年5月です。
199205kk
・JR東西線の工事のため仮設状態です。
・ホームは相対式となり、電留線は1線に減りました。

19920510a04
・1992年5月10日撮影です。
・京橋駅の下りホームの先端にある信号機は京橋駅の出発信号機ではなく片町駅の第1場内信号機です。

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・1992年5月16日撮影です。
・第2場内信号機が見えます。

19920516a02
・同じく1992年5月16日です。片町線の終端部です。

 

最後に2002年3月です。
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・1997年にJR東西線が開業して大きな変貌を遂げたのですが、残念ながら片町駅の名称は消えてしまいました。
・京橋駅折り返しとなる電車に対応するための引上線は残りました。ただし今までは片町駅の構内であったものが晴れて京橋駅の構内になりました。

 

それにしても、あくまで個人的な感想ですが、片町という駅は地味な駅であったように思います。湊町駅も時代に取り残されたような雰囲気がありましたが、片町駅には湊町駅のような風格もなく、駅というよりは電車の折り返し設備のような・・・、スミマセン、あくまで個人的な感想です、失礼しました(汗)。

 

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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コメント

一時的に網島にターミナルが移動したことや、
網島廃止後は京橋が実質的なターミナルだったことなども
ありましょうが、湊町との最大の違いは
貨物設備の有無でしょうね。

そういえば、京橋における環状線から淀川へと
向かう連絡線、一度も列車を見たことがないままに
終わってしまったのが無念でした。
*大阪市場駅も同様。

私が訪れた片町駅は相対式2線だけで、最末期の仮設状態だったのですね。道理で、「あの狭い場所にどうやって昔は多くの線路が敷かれていたのだろう」と不思議に思っていました。実際はかつての駅施設がその南側に広がっていたのですね。
ずらりと並んだクハ79三兄弟?の写真、いいですね。同形式の数ある形態バリエーションの中で、後期の代表的なものが、左から右へ製造年代の順にきれいに並んでいます。
1970年まで行われていたという貨物営業、どんな機関車が来ていたのでしょうか。

ご無沙汰しております。今年もよろしくお願い申し上げます。

貴重な配線略図をありがとうございます。

一番下の配線略図にある「大阪城北詰」駅は、ポイントや交差がないですが、場内・出発信号機が設備されているのが興味深いですね。しかも、イとかロといった記号が付された場内・出発信号機ではなく、連動化されているようです。

東京付近の国電区間で其の線だけの頭端終着駅というのは略皆無ですね(鶴見線の末端部は頭端でない)比べて大阪の片町駅は片町線だけの頭端駅中学頃から興味有る駅でした社会人になり大阪の旧型国電を見物がてら(京阪神間緩行線の旧国主体でした)片町線は関西でもゲテモノ国電が特に集まった線でしたのでより興味が有りました 旧国全盛時代の片町駅は島式ホーム一面二線に留置線のみで貨物関係の線路は訪れた時には既に有りませんでした 頭端ターミナル駅ですが近所に繁華街が有る様でない何と無く場末の駅といった印象でした 唯ホームに置かれたベンチが戦前のと戦後のが仲良く置かれていたのが面白く思いました 其れにしても京橋と片町は近接しており何か一つの駅といった印象でした

>どんな機関車が来ていたのでしょうか。

記事の冒頭にありますように、C11が活躍していたようです。配線図では、片町には転車台がありませんから、C11が最適だったと想像しています。おそらく、1970年までに奈良運転所に在籍していた、C11126、156、158、175、あたりでしょうか。

SLの聖地だった湊町と違い、片町でのSL写真は、なかなか見つかりませんが。以下サイト様に、C11175を京橋の片町方で、撮られた写真がありました。
https://c55220ta.blog.fc2.com/blog-entry-97.html

記事の冒頭に書かれているのを忘れたコメントで失礼しました。
1970年といえば大阪万博の年、もう大都市圏にSLはいなくなっていたという先入観念があったのですが、最後までC11が務めていたのですね。

moni5187様のご紹介サイトを見ました片町駅が遠望できますね 当時貨物を扱う駅では何処でもそうですが貨車が多数留置されていました片町駅も例外なく側線に貨車が留置されてるのが伺えます 京橋駅に停車しておるC11175が牽引しておる貨車はワフが二両だけですね 片町着の貨物列車は下り線を横断して着発線に入線二番線を利用して機回しし引き上げ線に転線し到着貨車を仕分けし発送貨車を着発線へ据え付けて発車する
南3番線にホームの様な物が描かれてますがどなたか御存知有りませんでしょうか?

1990年代、片町線を利用していた際、京橋の西口改札を出て、ダイエーへ行ったのを思い出しました。yyoshikawaさんのおっしゃる様に、かつては近畿車両の京橋工場だった事が解りました。その跡地に開店したものの、今は…。

片町線のオレンジ色の旧国は、1970年代に環状線内から見た記憶はあります。京橋から見えたからか、残念ながら片町までは行っておらず、後にJR東西線が開通してから、207系の車内から付近を眺めた程度になります。

南3番線のホームですが、大阪市の公式サイトの写真に写っています。大阪市 都島区 戦後70年記念画像アーカイブ 場所別
https://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu520/miyakojima/sengo/map.html
>片町>片町、工廠跡、大阪城
(>片町は、下にもう一つあります) 

古い空中写真を見ますと、南の寝屋川方向に通路があって、右岸の道路に繋がっています。どの様な貨物のやり取りがあったのでしょうか。

moni5187様御指摘の都島区戦後70年記念画像アーカイブ閲覧して見ました 当時の片町駅付近の様子が解る貴重な写真ですね片町駅構内を俯瞰して撮影した何枚もの写真を繋ぎ合わせてパノラマ写真にして表していており面白く見ました

島式ホーム時代の片町駅はホームのあちこちに「京橋方面からの折り返し乗車は片町駅までの乗車券・定期券が必要です」という趣旨の掲示がありました。

そして、意識的にホーム中央長手方向に柵や椅子が配置されていて、時折、夕方ラッシュ時に係員が配置され、不正摘発が行われていました。

今の仙石線あおば通駅とか、どうなんですかね?

>片町駅の貨物扱い
どんな貨物列車がやってきてどんな入換が行われていたのか興味深いですね。
昔の写真のご紹介、ありがとうございます。

>大阪城北詰
確かにおっしゃる通りですね。気づきませんでした(汗)。

>座席確保
そうですよね、そう考える人は多いでしょうね。特に大阪だと・・・、スミマセン、大変失礼しました。

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