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2020年12月16日 (水)

湊町配線図

関西線の終点の湊町駅です。

1958年6月(※3)
195806_20201214181001
・頭端式です。旅情あふれる雰囲気が伝わってきます。
・転車台や「鍛治場」と書かれた側線など、機関区や検修基地の面影が残っています。
・図の右上は貨車用の転車台でしょうか。

 

1970年頃(※1)
197000_20201214181001
・ホームに面した1・2・4・5番線のほか、中7番線も本線のようです。

 

1975年頃(※2)
197500_20201214181001
・機回り線(旧3番線)がなくなりました。

 

1976年頃

197603
・1976年頃と書きましたが、時期不詳です。もっと昔っぽいです。

 

1988年3月(※1)
198803_20201214181001
・側線群の整理が進みましたがまだ昔の面影があります。

 

2001年1月(※1)
Jr200101
・大きく変わりました。1994年に駅名がJR難波に変わり、1996年に地下化されました。もはや面影はありません。

 

2014年3月(※2)
Jr201403
・変化はありません。

 

未公開写真を少しだけ。

19760328b02
・これでも一応湊町駅での撮影です(汗)。1976年3月28日撮影です。

19920516g01
・これ以降は1992年5月16日撮影です。場内信号機です。

19920516g02
・振り返って名古屋方です。

19920516g05
・ホームの端付近の人道橋からです。地下化工事が進んでいます。

19920516g10
・1番線です。

19920516g15
・3番線です。

19920516g12
・3番線の終端です。名古屋から続いた関西線175kmの終端でもあります。

 

配線図は
※1印・・・T.Mさん
※2印・・・KASAさん
※3印・・・NZさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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コメント

湊町駅の一番線は出発専用だったのですね 1976年頃の配線図では二番線と四番線間が離れていたのは元々間に機回し線があったのが後に撤去されてので離れた儘だったのですね 関西鐡道時代には湊町駅の機関車ターンテーブル裏に小規模な修理工場も併設されていた当時貨物駅側には当然ですが掘割が二つ有り艀との間で貨物の積み下ろしをやる為の艀取設備が併設されてました他に貨車用ターンテーブル四つと貨車トラバーサー一つ有りました 小規模な修理工場にはトレーラー用ターンテーブルが二つ存在してました客車庫と留置線は後の配線図と同じ位置に有りました当時も一番線は上り列車が進入出来ない配線で出発専用だったのですが何故か関西鐡道時代には機回し線が存在してます謎です

大正区に住んでいましたが、市バスで難波へと
向かう際、湊町の貨物ヤードが千日前通りを
分断していた関係で、ヤードの手前でバスが
左折し、運河に沿って迂回していたのを覚えています。

昔むかしはヤードと水運との連絡もあったとか
聞いたこともありますね。

歴史のある都市部ターミナル駅の例に漏れず、ここでも貨物の水陸連絡運輸が行われていたのですね。昭和30年代頃までの航空写真でも、船入間らしきものが確認できます。大阪港に入ってきた様々な物資がここで貨車に積み替えられ、内陸部の各地へ届けられたのでしょう。

明治時代に鉄道が登場すると、それ以前から発達していた水運との連携が始まりました。しかしやがて鉄道網や自動車の発達により、内陸水運は取って代わられ姿を消していきます。この湊町をはじめ、梅田や、東京でも隅田川、秋葉原、業平橋に代表されるような鉄道と水運の接続ターミナルは、長い目で見れば歴史の一コマに咲いたあだ花だったのかもしれません。

湊町、旅情といえば「急行大和」になってしまいます。半世紀以上たった現在も、現役時代の様子をWeb上で見ることができ、嬉しい限りです。C57+客車9両+C57で、加太の大築堤に挑む姿や、大河原の大鉄橋に進入する姿は圧巻です。

幼少の頃から「大和」の存在は知っています。改めて時間を調べますと、上りは伊賀上野22時前。下りは7時半頃ですから、間違いなく起きていました。おはよう!こどもショーを見ていると、汽笛の後に走行音が聞こえ「やまと」やな、と家族が言っていたのを、微かに覚えている程度ですが。

皆様
阪和線の天王寺と湊町はどちらも頭端式のターミナルですが、雰囲気は全く異なりますね。湊町はまさに「汽車」のターミナルでした。

地下化されたJR難波駅は当初からなにわ筋線を見越してか頭端式でなく島式2面4線構造なのが面白いですね。

関西線の終点から空港への玄関口へ、そして空港連絡路線の中間地点、なんだか複雑なもんですが。

まだまだ変化は続くわけですね。

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