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2020年12月22日 (火)

天王寺駅の客車回送 その2

 以前、天王寺駅始発/終着となる阪和線~紀勢線直通客車列車の回送方法について記事を書かせていただきました。
 天王寺駅の客車回送

その後480042さんから1980年(昭和55年)10月改正の関西線・環状線の列車ダイヤをご提供いただきまして、これを拝見してるといろいろと確認できた部分がありますのでご紹介したいと思います。

ダイヤの全体は以下の通りです。

00216rd
・2時から16時です。

00142rd
・14時から2時です。

大変申し訳ありません、細かくて見えないと思います。全体の雰囲気だけ感じて下さい(汗)。

 

とりあえず921列車が天王寺に到着する5時前後と、924列車が天王寺を出発する23時前後に絞って細部を見て見ます。

まず5時前後です。
00_921rdcc
これからわかることは、
・4時32分頃、竜華操から天王寺に向けて単251列車(左の赤線)が出発する。
・5時37分頃、天王寺から竜華操に向けて単252列車(右の赤線)が出発する。
・続いて5時51分頃、同じく天王寺から竜華操に向けて回232列車(青線)が出発する。
ということですね。
一方、5時ちょうどに921列車が天王寺駅に到着します。

それぞれがどのような列車であるかを推測すると、
・単251列車は客車を引き取りに向かう(多分)DE10の単行列車。
・単252列車は、921列車を引いてきたEF58が客車をDE10に預けて一足先に単機で竜華操車場に向かう単行列車。
・回232列車はDE10が921列車の客車を引き連れて竜華に向かう回送列車。
といったところではないかと思います。

天王寺駅での客車の入換手順についてはこちらの記事をご覧下さい。
 天王寺駅での客車入換
実際にはEF58が先発していたようです。

 

続いて23時前後です。
00_924rdcc
これらからわかることは、
・20時10分頃、竜華操から天王寺に向けて回237(?)列車(青線)が出発する。
・次に20時44分頃、今度は天王寺から竜華操に向けて単254(?)列車(左の赤線)が出発する。
・次いで21時42分頃、竜華操から天王寺に向けて単253列車(右の赤線)が出発する。
ということですね。
一方、23時ちょうどに924列車が天王寺駅を出発します。

同様にそれぞれがどのような列車であるかを推測すると、
・回237(?)列車はDE10がけん引する924列車に使用する客車の回送列車。
・単254(?)列車は、回237(?)列車をけん引してきたDE10が客車を天王寺に置いて竜華に戻る単行列車。
・単253列車は天王寺から924列車を牽引するEF58の単行列車。
といったところではないかと思います。

竜華からの出発は客車の回送が先で、DE10はEF58を待つことなくさっさと竜華に帰ってしまいます。
天王寺駅構内での入換が最も簡単になるのは、4番線にDE10と客車を止めて(もちろんDE10は湊町方)、EF58を誘導信号で4番線に入れる方法だと思うのですが、この場合はEF58が天王寺に着いてからDE10が竜華に戻ることになるので実際にはこの方法ではないようです。
DE10が客車を4番線に置いていくのか中1番線(もしくは中2番線)に置いていくのかはわかりませんが、いずれにせよ入換はちょっと面倒になりますね。
198600_20201130201601
 

このほかにも、ダイヤを細かく見ているといろいろと興味深い点がありますので軽く触れておきたいと思います。ただしそれぞれが実際にダイヤに書かれている部分のご紹介は省略させていただきます(汗)。

・まずは荷物列車。拾い出してみると、
荷3041 木津以遠→百済
荷3042 竜華→木津以遠
荷4041 木津以遠→百済
荷4042 百済→竜華?
荷4043 木津以遠→百済
荷4044 百済→木津以遠
荷4046 百済→木津以遠
がありそうです。

ここでNZさんからご提供いただいた東京南局1982年(昭和57年)11月の荷物列車時刻表の一部をご紹介します。5711
時期は少し違うのですが、1980年10月の荷4041、荷4043、荷4044、荷4046の各列車についてはこの時刻表とほぼ同じようです。
残る荷3041、荷3042、荷4042は奈良線経由京都発着ではないかと思うのですが。

・次は回送列車です。竜華操~百済間には客車回送列車がちらほら見受けられます。判読が難しいのですが3往復ぐらいはありそうです。たとえば5時付近の図の右の方、竜華操を6時13分頃に出発する回231列車というヤツ(黄色い矢印)ですね。前述の通り関西線には百済発着の荷物列車が設定されていますので、これ用の客車の回送ではないかと思うのですが詳細はよくわかりません。

・また921列車と924列車のスユニが天王寺駅で荷扱いしていたのか、それとも百済駅で荷扱いしていたのかということも興味を引きます。

 

列車ダイヤにはいつまでも眺めていられる不思議な魅力がありますね(私だけ?)。

 

関西線・環状線列車ダイヤは480042さんよりご提供いただきました。
荷物列車時刻表はNZさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

昭和57年5月現行の関西本線、大阪環状線のダイヤをお送りしました。

*****

ブログ始めました。
タイトルは「鉄道資料箱」です。
前書き程度をつくりましたので、ご笑覧ください。
アドレスは、
https://railbox.fc2.net
です。
よろしくお願いします。

>また921列車と924列車のスユニが天王寺駅で荷扱いしていたのか、それとも百済駅で荷扱いしていたのかということも興味を引きます。

これは天王寺で荷物扱いをやっていました。
ただし、古い時代はともかく、昭和50年代はユは天王寺発着時点では空車です。
和歌山以南で郵便室は使用されていました。大阪-和歌山間は自動車輸送をしていました。

>東京南局1982年(昭和57年)11月の荷物列車時刻表の一部

NZさん、貴重な時刻表ありがとうございます。

無煙化前の荷46レが荷4046レに、荷45レが荷4043レに列車番号が変わり、D51からDD51牽引に変わり、伊賀上野交換で無くなったのかと思いました。

何処で交換になったのかと眺めていますと。荷4046レの伊賀上野発は18:08、荷4043レの着は18:37.30になっていますから、18:23ごろ新堂交換になったと推測しました。

ところが、荷4043レの新堂着は17:15、発は17:23の8分停車ですから、丸1時間逆戻りすることに気づきました。

そして、荷4043レの佐那具発は18:32.30になっていますから、伊賀上野18:35発の250D(1980年10月時刻表より)と、94キロポスト付近で、かち合うことにもなります。

どうやら、誤記がありそうでして、荷4043レの上り列車との交換駅を(1980年10月時刻表より)精査しましたところ。伊賀上野着は17:37.30で、1時間7分30秒停車の18:45発なら、全て"つじつま"が合うかと思われました。

伊賀上野で1時間以上停車だったとしますと、乗務員さんらの夕食タイムだったのかも知れません。当時駅前には、飲食店が数軒、食料品店もありましたから、いろいろ選べたかと思います。今は全て廃墟になっていまして、寂しい限りです。

>「鉄道資料箱」
ものすごい貴重な資料が出てきそうですね。皆様、乞うご期待です。

>和歌山以南で郵便室は使用
鉄道と自動車と、細かく役割分担が分けられているのですね。

>伊賀上野で1時間以上停車
確かに夕食タイムとしては好都合ですね。

いつも楽しく読ませていただいています。バックナンバーで天王寺駅の客車のお話があり、大変懐かしくなりました。
43年10月から2年ほど毎日天王寺駅で926レの入れ替えを見ていましたので、覚えている範囲で。
・18時頃、竜華操車場からC58逆向き+926レの客車で関西線を回送してきて、4番線に到着。
・折返し推進で寺田町方の引上げ線へ。
・折り返して客留線へ客車を停める。
・客車を切り離した機関車は機回し後、しばらく待機して竜華に帰る。ここまで15分程度です。
・一度だけ紀勢線から修学旅行臨で着いて客留線にいた客車を牽いて帰ったのを見たことがあります。
・客留線は3線あって西側に三枝分岐、給水塔がありました。
・926レを牽引する電気機関車は、当時はEF52ですが、当時関西本線は非電化なので、阪和線を来るしかありません。21時頃、竜華→鳳→天王寺(阪和1番線?)に着きます。連絡線を下って寺田町方で折り返し、客留線の客車に連結。
・再び寺田町方の引上げ線へ。
・折り返して連絡線を推進で上がってきて、阪和4番線に据え付け。寺田町方での待機時間が長く、客扱いは22時近くからになったように思います。その頃発車は22時30分でした。
・926レの編成は前からEF52+スヌ31(冬期のみ)+スユニ60+オハフ46+ナハ10+ナハ10+ナハフ10+スハネ30+スハネ30
これだと最後尾がフではないので、スハネフ30だったはずですが、3両しかない車なので、ちょっと確信が持てません。オハネフ12でないのは間違いありません。
学校が終わったら友達と天王寺駅へ行き、庚申街道の跨線橋から客車の入換が終わるまで見て、夕食に帰っていました。機関車の回送は銭湯に行く時間を合わせていました。
皆様のご議論の参考になればと思います。

元阿倍野の住民さん
貴重な情報ありがとうございます。学校帰りに天王寺駅の入換風景を眺めるとは大変うらやましい限りです。
EF52は4番線までは迎えに来なかったのですね。4番線まで来てくれればC58の機回しなどは省けたのでしょうけれど。

あまり資料とかなくて、思い出話ですみません。
926レの場合は客車を客留線で数時間待機させなければならないのでC58が入換していたのだと思います。
実は921レはすぐに竜華に回送するので、多分EF52が4番線まで牽いてきていたのじゃないかと想像しています。阪和線の始発で天王寺駅に行っても客車はもう回送した後なので、実際見たことはなかったですが。
それと日中の4番線は、鳳から吹田への配給電車が折り返すほか、貨物列車が停車して関西線の旅客を退避していることもありました。

貴重な思い出話ありがとうございます。
私が客留線の3枝分岐を見たときはすでに使われている気配はなかったのですが、この時代はまだ活躍していたのですね。

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