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2020年11月28日 (土)

天王寺駅の客車回送

天王寺駅始発/終着となる阪和線~紀勢線直通客車列車に関して、天王寺駅と車両基地との間での車両の回送方法についてはかねてからよくわからない点がありました。
そこで今回はその真相に少しでも近づくべく、ネット情報を探しまくってみました(笑)。

本題に入る前に、時刻表で調べた「天王寺駅始発/終着となる阪和線~紀勢線直通客車列車」をご紹介します。
ただし時刻表1966年10月号と1968年10月号だけですが(汗)。
Photo_20201127203401
・1966年当時は臨時急行を含めて5往復が設定されています。有名なのは後に「はやたま」と命名される夜行の921・924列車ですが、それ以外にも3往復のローカル列車があります。意外だったのは1963年の時刻表では921列車に相当する列車が気動車列車(新宮発913D)だったことですね。
・1968年10月改正で昼行のローカル客車列車は天王寺駅に顔を出さなくなり、定期で残ったのは921・926列車だけになりました(1972年3月頃に926列車は924列車に列車番号が変わっています)。この状態がしばらく続きましたが1986年に客車列車としては姿を消しました。

 

さて本題です。
まず、調査範囲は関西線が電化された1973年以降とすることとしました。よって対象となる天王寺駅始発/終着の阪和線~紀勢線直通客車列車は自動的に921列車、924列車、および臨時客車列車となります。
同時にこの時点では和歌山客貨車区には営業用客車の配置はなくなっていますので、客車は竜華操車場と天王寺駅間を関西線経由で回送されるものと考えています。

よくわからないことの具体的な内容は以下の3つです。

A:回送列車を牽引するのは直通列車の牽引機(EL)か、それとも別の機関車か。

B:別の機関車が回送列車を牽引する場合、天王寺駅構内で関西線と阪和線間の客車入換作業を行うのは直通列車の牽引機(EL)か、それとも回送列車の牽引機か(ELが回送列車もけん引する場合は、ELが入換を行うものと考えます)。

C:別の機関車が回送列車を牽引する場合、直通列車の牽引機(EL)の天王寺までの単機回送は阪和線経由か、関西線経由か。

 

以下、ネットをいろいろ探しまくってかき集めた情報ををご紹介します。
リンク先様につきましては、誠に申し訳ありませんが勝手にご紹介させていただきました。m(_ _)m

●①最初はこちらのサイト様。

https://rail.hobidas.com/kokutetsu2/archives/2014/07/8620_1.html

・時期は1964年6月です。調査範囲からは外れるのですが、興味深い写真でしたのご紹介しました。
・8620が客車を押し上げている写真が掲載されています。竜華から客車を引いてきたのか、単に天王寺駅構内での入換作業だけを受け持っていたのかはわかりません。
・天王寺からの牽引機(EL)は阪和線を単機回送されて来て、ホームに据え付けられている客車に連結されるものと思われます。
・天王寺行きの場合にどうするのかはわかりませんが、8620がホームの客車を引いて坂道を下っていき、残された電機が単機で鳳に帰っていくのでしょうか。

 

●②次にこちらのサイト様。

http://mahoroba.kir.jp/sepia/ryuuge.htm

・時期は1968年8月です。これも調査対象範囲外なのですが、同様に興味深い写真です。
・最後のほうにDF50が客車を牽引して竜華操を出発していく写真が掲載されています。
・説明文は以下の通りです。
============================ 
夕方の紀伊田辺行きの普通列車の客車を天王寺まで回送するDF50。
機関車を拡大して見るとDF50-37でした。急行大和の間合いで昼間はこちらでアルバイト?
加美方向へ走っていく上の列車。現在は久宝寺駅があるあたり。朝の新宮行きの客車を回送する時は、加美~天王寺間は時刻表には載っていないにもかかわらず、お客を乗せていました。
============================
・冒頭ご紹介した列車時刻と照らし合わせると、「夕方の紀伊田辺行きの普通列車」とは天王寺17時23分発の126列車だと思われます。
・下り急行大和は湊町9時17分着、上りは湊町19時23分ですので、その間のアルバイトは成立しそうです。
・天王寺駅構内での入換方法は不明です。DF50があの坂道を上り下りしていたとしたら面白いのですが。
・そもそもの話なのですが、DF50が加太越えをしているとは知りませんでした。てっきり亀山以東、紀勢線だけの運用かと思っていましたので。

 

●③次はこちらのサイト様。

http://hirose13mm.cocolog-nifty.com/bbs001/2013/02/post-828f.html

・時期は1977年1月23日です。
・「はやたま」は阪和4番線からの出発のようです。
・説明文は以下の通りです。
============================
「はやたま」は、竜華のEF58と客車で組成されているのだが、天王寺には別々にやってくるのである。すなわち、客車は関西線経由でDD13が牽引してきて、EF58は阪和線経由でやってくる。なんと、高架線~地上線の連絡線をEF58が降りて、地上線の客車を転線するというのである。
定刻になるとDD13のヘッドライトが近づいてきた。寝台車を2輌つないだはやたま編成だ。EF58が阪和ホームに入るので、急いで上がる。居る居る、EF58の28番だ、ヘッドライトこそ2灯シールドビームに改造されているが、大窓のきれいなカマだ。ほどなく、入替信号が「進行」を現示して、連絡線に出発した。先台車を大きく揺らして、下っていく。本当にEF58が連絡線を通るのだ。
============================
・924列車に関してはDD13が竜華から回送客車を牽引するようです。
・DD13の任務は関西線部分まで、阪和線まで客車を押し上げるのはEF58のお仕事のようです。
・EF58は阪和線からやってくるのですね。なんで関西線を通らないのでしょう。運用上、たまたま和歌山付近にいるからなのでしょうか。竜華にいるにも関わらずわざわざ阪和線経由でやってくるのはちょっと考えずらい気が。

 

●④次はこちらのサイト様。

http://outdoorsite.biz/railway/el/ef58/ryuge/ryuge.htm

・時期は1984年4月です。
・18番目の写真で阪和1番線に進入した臨時急行「きらめく紀州路」が、19番目の写真ではEF58の推進で坂道を下っていきます。
・23番目の写真では同様に阪和1番線に到着し、これが4番線に転線したのが24番目の写真だと思われます。EF58はまだ湊町方に連結されていますので、この後機回しして自分で引いて帰るのか、それともDLが後方に連結されるのかはわかりません。
・これは臨時列車ですので921・924列車がこれと同じかどうかは不明です。また天王寺始発の臨時列車の場合にこれの逆になるのかどうかもわかりません。

 

●⑤次はこちらのサイト様。

https://mamezoo.com/pc/PC-CLUB/LOG/LOG-C19.html

・RJ誌に掲載された記事の内容が書かれています。時期は1984年5月のようです。
============================
鉄道ジャーナル別冊「なつかしの国鉄客車列車」の中の「闇夜の国からブルーの使者」新宮~天王寺921レの記事の最後に「長居は無用と荷物車に乗った構内係の誘導で推進運転、急勾配の渡り線を通って下へ降り、方向を変えて環状線と関西線上りにはさまれた中線へ出る、ここで機関車を付け替えて竜華に向かうのである、921レを降り、環状線のホームへ出て103系をまっているとEF58が目の前に止まるという寸法だ」と書いてありました。
============================
・これを見る限り、921列車の場合はEF58がそのまま竜華まで回送客車を牽引していくようです。

 

●⑥次はこちらのサイト様。

・1985年3月の竜華機関区のEF58の運用が掲載されています。

https://ef5866.hateblo.jp/entry/2018/03/18/%E7%B4%80%E5%8B%A2%E6%9C%AC%E7%B7%9A_%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%AE%A2%E3%83%AC%E9%81%8B%E7%94%A8

・これを見ると、924列車の牽引機は単機(単253列車)で関西線経由で天王寺に行き、921列車の牽引機は客車を連れて回921列車で竜華に戻ることになっています。行きと帰りとで違うのか・・・。

 

●⑦次はこちらのサイト様。

・1985年9月の竜華機関区のEF58の運用が掲載されています。

http://tnk-ko.a.la9.jp/ef58_kisei85/ef58_keise85.html

・上記のサイト様とほぼ同じなのですが、帰りが単機(単250列車)となっています。

 

●⑧次はこちらのサイト様。

http://ef58.info/EF58/EF58vol05.html

EF5839の項に説明があります。時期は1986年1月です。
============================
「久宝寺から関西線を経由して、機関車だけが天王寺まで回送されていましたが、きのくにの臨時などがあると重連単機で回送されます。」
「この列車は天王寺23:00発の新宮行924レの牽引機の回送でした。阪和線の客レは天王寺⇔竜華操車場は牽引機と客車を必ず別々に回送しました。非電化の竜華客車区より竜華操車場駅の電化されているこの線にDLで客車を移し、ELに付け替えて天王寺駅に回送する事はしなかったのです。この日は天王寺22:36発の冬臨9922レ新宮行(列車名は「いそつり」だったかな?)が運転されたので、その牽引機が次位に連結されたのです。」
============================
・924列車の場合は回送客車は別の機関車が牽引し、EF58は単機で関西線を天王寺まで回送された、とのことですね。

 

●⑨次はこちらのサイト様。

https://blog.goo.ne.jp/ef-18/e/91058f644226c47f342364a9f5d1b584

・撮影日が記載されていませんが、EF60506が八王子から竜華に転属したのは1986年3月なのでそれ以降のことと思われます。
・列車名も記載されていませんが、921列車でしょうか。
・説明文は以下の通りです。
============================
阪和線ホームに到着後、急勾配を下って環状線寺田町方面へ伸びる引上線に推進で入り、今度は釜を先頭に環状線と関西線の間の中線へ、その後客車だけはDEかDDで先に竜華に回送され、釜だけが客車の後追いで竜華に単機回送される。
============================
  
・921列車ではEF60が竜華まで客車を引いていくわけではなく、単機で関西線経由で竜華まで戻るようです。

 

●⑩最後に拙ブログ「推進運転」の記事に海南市交通史研究家さんからいただいたコメントです。

http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-79e8.html

============================
天王寺駅での紀勢本線直通客車列車ですが、天王寺始発の場合は竜客からDE10けん引で到着した関西本線下り回送列車は地上線にて機回、一旦名古屋方へ引き上げた後に阪和線連絡線の上り坂を推進にて押し上げていました。
ホームに客車を据え付けると逆の手順でDE10が退き単機でやって来たEF58の連結となります。
一方、天王寺駅到着列車は事前に客車引き取りの為関西本線経由で到着、待機していましたDE10が単機で上り坂を登り客車に連結、坂道を下りていきましたが、地上引き上げ線から直接関西本線には入れないので推進運転にて一度折り返して竜客への上り回送列車となります。
ホームに残されたEF58は単機での回送です。
但し時期によっては異なる手順の場合も有ったと思われます。
なお、竜華機関区EF58EF15重連の旅臨時団体列車に参加したことが有りますが、この際も客車の据え付けは上記の通り。機関車は重連単機にて竜華機関区→阪和貨物線→阪和線→和歌山駅→折り返し阪和線→天王寺駅で行われていました。阪和線の途中駅で折り返せない為に態々和歌山までもって行ったものです。
============================
・時期的にいつ頃のことなのかはわかりませんが、客車の入換はDLが行っていたということですね。
・コメントにははっきりとは書かれていないのですが、雰囲気からしてEF58は阪和線経由っぽく感じましたので、すかさず私から質問。
============================ 
ここ(坂道連絡線)を電機が上り下りすることはなかったんですね。架線も張られていなかったんでしょうか。
============================
・これに対しての海南市交通史研究家さんのお返事が以下の通りです。
============================ 
とりあえず天王寺阪和線ホームから環状線寺田町へ降りる連絡線を下るEF58の画像がありますので、架線は貼られていました。
あと末期の竜華区のEF58定期運用は、単253 竜華から天王寺へ送り込んでから、924レ牽引。
921レにて天王寺着後、単250で天王寺から竜華入区。
単253/単250はいずれも10分程度で走ってますから、阪和貨物線経由ではないです。
============================
・ちょっとここで混乱です。EF58は関西線経由なのか、阪和線経由なのか。どちらもあった、ということでしょうか。
・いずれにせよ、回送客車はDL牽引のようです。

 

以上を整理すると以下のようになります。
Qp
A:回送列車を牽引するのは直通列車の牽引機(EL)か、それとも別の機関車か。
・基本的には別の機関車(DL)牽引となるようですが、列車によって、時期によってELの場合もあったようです。
・EL牽引の場合は、クモイ103さんのコメントの通り、竜華操では架線の張られた着発線での出発・到着になりますね。

B:別の機関車が回送列車を牽引する場合、天王寺駅構内で関西線と阪和線間の客車入換作業を行うのは直通列車の牽引機(EL)か、それとも回送列車の牽引機か。
・直感的にはDLのお仕事のような気がするのですが、意外にも基本的には直通列車の牽引機(EL)が入換作業を行うようです。EF58があの坂道を上り下りするわけです。
・ただし①の例では8620(回送列車を牽引してきたのかどうかは不明ですが)が押し上げていますので、海南市交通史研究家さんがおっしゃる通りDLが入換を行っていた時期もあったのかもしれません

C:別の機関車が回送列車を牽引する場合、直通列車の牽引機(EL)の天王寺までの単機回送は阪和線経由か、関西線経由か。
・基本的には関西線経由ですが、前述の通り直前の運用が和歌山で終わる(もしくは次の運用が和歌山から始まる)のであれば阪和線経由であっても不思議ではない気がします。

 

今回は1973年以降に範囲を限定しましたが、それ以前はどうだったのか、ということも気になります。
・和歌山客貨車区に客車が配置されていた時期には、和歌山~天王寺間で客車の回送を行うことはなかったのでしょうか。天王寺駅の阪和5番線には機回り線が設けられていた時期がありますので、それを考えると可能性はあるかも。
・さらに言うならば、天王寺終着客車列車がそのまま始発客車列車として折り返すことも考えられますが、冒頭の1966-10の時刻表からはそれらしい列車は見当たらないですね。
・また、和歌山始発・終着の紀勢線客車列車に充当する車両を、阪和貨物線経由で竜華~和歌山間を回送することがあったらそれも面白かったと思うのですが。

 

それにしても、関西線と阪和線を繋げるために天王寺駅のあの急坂をEF58や客車を上り下りさせるなど、よくやったなぁ、とつくづく感じてしまいます。

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コメント

入念な調査、おつかれさまです。
ご紹介のURLの半分は、当方もチェック済でした。
関西線上(天王寺~加美)の回送シーンを撮られた方が、おられるかと思いまして、探しているのですが、一向に見つからずです。夜間のは、まあとしまして、夏場なら早朝のは、撮れるかと。それなりの注目度だったのか、ますます謎は深まります。

いつも拝見しております。また、ご無沙汰しております。

昭和59年の3月に天王寺駅で天鉄のお座敷臨時列車の撮影をしていました。
牽引機はEF58-44でした。天王寺駅阪和線ホームへの到着と、その後関西線・大阪環状線の間にある中線へ転線の様子を写真に撮っています。ただ、この後どうなったのかは見届けていません(少なくともネガの次の駒は全く関係のない写真)。非常に残念です・・・。

中線に入線時には、湊町方に機関車がついています。ですからあの急な坂をEF58+12系6両を推進運転で下ったあと、前進で中線に入ってきていることが確認できました。

①竜華機関区に電気機関車の受け入れ設備が整うのは1968年3月です。それ以前の阪和線用電機の配置は鳳電車区でしたので、それまでは連絡線は入換機の担当と思われます(竜華から牽いて来たかどうかは不明ですが)

⑩海南市交通史研究家さんのコメントを見ると、EF58+EF15の重連回送を竜華→和歌山→天王寺で行ったとありますが、
https://circle.kyoto-np.jp/train/20161207/1166.html

これを見ると天王寺発の阪和線内はEF15単機、折り返しは場所不明ですがEF15+EF58になっています。

http://www.uraken.net/hyon/073ef58and15/01.html
こちらのサイトを見ると、どうも往路は和歌山あたりで先頭にEF58を連結、復路は先頭のEF15和歌山あたりで解放したようです。
そして、連絡線を通って天王寺駅4番線に転線してくるときはEF58は客車を従えていて、その後、客車がなくなり、単機で4番線に停まっている画像があります。

⑤⑥のELが竜華に客車を回送するというのはどうも誤記のような気がします。
⑤の鉄道ジャーナル別冊は所有していますが、この記述通りで転記ミスはありません。4番線と思われるところで撮ったEF58のアップがありますが、回送発車まで見届けた感じではありません。

いつも興味深い記事をありがとうございます。

「関西の鉄道 No.55 2008 爽秋号」(関西鉄道研究会発行)

の108~109ページに、昭和53年5月~8月頃の12系臨時急行「きのくに6号」「きのくに51号」(白浜~天王寺間)の天王寺到着後の天王寺構内での入換の様子が、写真と記事投稿者の方が作成した天王寺駅の配線略図とともにレポートされております。

それによりますと、天王寺到着後、すべて誘導による入換えで、客車は、まずは阪和線の到着線(2番ホームまたは9番ホーム)からEL推進によって、環状内回り線に沿った側線に下りてきて、今度は向きを変え、EL牽引で、大阪環状線を横断し、環状線と関西本線の間の「中線」に入ります。

ここからは、2パターンあるようで、

竜華機関区から迎えのDL(記事では、DD51836)が先着の場合は、DLはあらかじめ環状外回り線に沿った側線に待機していて、そこから「中線」に入り客車を連結し、ELは切り離され、DLが連結した客車は、環状外回り線に沿った側線に入ります。一方、ELは、さきほど来た道を戻り、阪和線の到着線(2番ホーム又は9番ホーム)に戻り、鳳経由で単機竜華に戻るようです。

もう一パターンは、竜華からの迎えのDLが、天王寺に後着の場合で、その場合は、客車を地平にもってきたELが、環状外回り線に沿った側線に客車を押し込み留置し、そして、単機となり、再び、阪和線ホームへと戻り、鳳経由で竜華に戻るようです。

どちらの場合も、客車はDL牽引で、関西本線を竜華客車区へ戻るようです。

ただし、後者(DL後着)の場合は、後から来たDLによる客車の入換と機回しが必要になると思うのですが、そのことについての詳細は記事では触れられていませんでした。

皆様
さらなる関連情報のご紹介ありがとうございます。

>鳳電車区時代
③では鳳方からやってきたELが客車入換をすると書かれており、鳳電車区時代でもそのようなことがあったかも・・・。

>その後、客車がなくなり、単機で4番線
名古屋方に12系が写りこんでいる写真がありますね。4番線での機回しにはちょっと疑問を感じていましたのでこれは大ヒントですね。

>⑤⑥は誤記?
確かに⑤には「機関車を付け替えて」とだけ書いてありますが、「違う機関車に付け替える」とも解釈できますね。また⑥と⑦で、回921列車と単250列車の時刻が同じなのも気になります。

>鳳経由で単機竜華に戻る
関西線ではなく阪和線ですか。どこで折り返すのでしょう。和歌山でしょうか。

924列車はEF58+ユニ1+ハ4+ハネ2の時は機関車がホームの半分程度しかかからないと記憶しています。
921列車に乗車した時は天王寺到着が5時ですので関西本線との乗り継ぎに中線にEF58に止まっている写真があります。
阪和線と関西本線の連絡線の有効長やEF58の軸重制限を受けていた可能性があれば天王寺到着のEF58+12系6両は説明が可能です。

DF50は【急行大和】に使用されて王寺廃止時に拓植から王寺は運用停止にDD51に変更されまた。DF50は全般検査が鷹取工場ですので亀山から拓植から草津から京都に草津線の定期列車にC57+DF50+客車列車で回送されていました。

>鳳経由で単機竜華に戻る

記事を読んだときは、鳳で折り返すという意味だと考えておりました。

https://ameblo.jp/wing3863/
以上サイト様の「朝の鳳駅。」の記事(このキーワードで、画像でググっても出てきます。)に、
>はやたまを天王寺まで牽いてきたゴハチは単機で鳳まで戻り阪和貨物線経由で竜華に入りました。
の記述があります。"はやたま"の運行開始は1978/10/2で、EF5840の廃車は1979/9/20で、その間に撮影されたようです。阪和貨物線内は、単機だったかは不明です。

以下、牽引ELの回送(阪和貨物or関西)について考察です。

"はやたま"の運行時(それ以前の③も)は、阪和貨物線。"はやたま"の廃止の1984/2/1以降の④~⑨は、関西線になったと推測してみました。旧客+寝台車か12系等か編成内容が理由では無く、どちらでも、天王寺の例のスロープは登れると思います。

1984/2/1は、百済市場駅の廃止や竜操の機能停止など、全国各地で貨物営業が廃止されています。EF58が、"はやたま"運行時に鳳へ行ったのは、阪和貨物線内で貨物を牽くとか別の仕業があって。以降は、関西線で単機で速攻10分で戻るしか無くなったのでは。と想像してみました。あくまで想像です。

>急行大和
DF50は勾配に弱いという認識なのですが、加太越えでは補機のお世話のなったのでしょうか。

>鳳で折り返す
海南市交通史研究家さんが和歌山折り返しとコメントされていたので聞いてしまいました(汗)。いろいろパターンがあったのでしょうね。

>阪和貨物線内で貨物を牽くとか別の仕業
私もそう思うのですが。何もせずに鳳折り返しで竜華に戻るとは考えずらいです。向きとかは関係ないですよね?

蒸気機関車EX(イカロス出版)2013年春号は、特集が「関西本線昔語り奮闘加太越え」でした。蒸気時代に機関士として加太越えを乗務していた方3名の座談会録が載っています。昭和34年に機関士になった方が、大和は本務機C57で亀山から編成後部にC57を後補機として連結していたと述べています。また、「9両編成の「大和」は、1964年10月改正で終わり、同時に亀山よりのC57補機付き加太越えも終わったようです。同改正より寝台車6両編成になり、C57単機牽引になったようです。それも1965年10月改正よりDF50牽引に変わったようです。」という記述が同志社大学鉄道同好会OB会のホームページhttps://drfc-ob.com/wp/archives/37127にありました。DF50が牽引機として充当されたときには編成が短くなったので、補機なしになっていたものと推測します。

コスモスさん
情報ありがとうございます。DF50は補機なしで越えていたんですね。
「大和」は名古屋~亀山間はSL(C57?)だと思っているのですが。DF50はさすがに名古屋までは顔を出していないですよね?

ウィキペディアの紀伊(列車)の解説の中に「名古屋駅 - 紀伊勝浦駅間をDD51形ディーゼル機関車が牽引していた。かつては、DD51が投入されるまではDF50形ディーゼル機関車が名古屋 - 紀伊勝浦間を牽引していた。」という記述があります。大和ではどうだったのでしょうね。

「主要客車列車編成順序表」によると、「大和」の関西本線内の牽引機は、昭和39年10月1日改正時は全区間C57、昭和40年10月1日改正時は全区間DF50になっています。いずれも単機で、加太越えを含む亀山~奈良間は定数一杯の重労働でした。
ちなみに王寺止まりの「紀伊」となったヨンサントオ改正でもDF50(編成は短くなって“重労働”ではなくなった)、またそのさらに2年後の昭和45年10月1日改正時もDF50です。
手元に資料があるのはそこまでです。

ということは、DF50は名古屋から湊町までの関西線の全線、亀山から和歌山市までの紀勢線全線で運用されていたということなんですね。紀勢線内だけと思っていましたのでちょっとびっくりしました。情報ありがとうございます。

(誤)
924列車はEF58+ユニ1+ハ4+ハネ2の時は機関車がホームの半分程度しかかからないと記憶しています。
(正)
924列車はEF58+ユニ1+ハ5+ハネ2の時は機関車がホームの半分程度しかかからないと記憶しています。

昭和55年11月の(はやたま)の客車運用の記事がありました。亀山~名古屋の短縮後です。編成はユニ1+ハ4+ハネ2です。
竜 華2009(237)2020天王寺
天王寺0551(230)0601竜 華

921列車の回送は230列車ですか・・・。55-10のダイヤでは「232」と読めるのですが、この辺りはいろいろ変化がありそうですね。

>今回は1973年以降に範囲を限定しましたが、それ以前はどうだったのか、ということも気になります。

いつも拝見し楽しんでいます
924レ及び923レの天王寺駅での関西本線←→阪和線の転線の話題ですが、手元のS47(1972)年10月2日改正 構内作業ダイヤ及び同改正機関車運用ダイヤいずれも天鉄局作成を読み解いてみました
(関西本線電化がS48(1973)年10月ですからそれ以前になります)

結論から言うと、(この時期は)関西本線~阪和線の連絡線を登り下りしているのは、本線牽引機になります。また竜華操車場(以下竜操)~天王寺間 客車と本線牽引機は別行動でした 

924レの客車は竜操からDE10牽引(回235レ)で(関西本線)4番線=ホーム無=に到着後、入換により客留1番線に留置、DE10は竜操に帰ります(単254)
本線牽引機EF58は東貝塚から回送(単924)され、阪和4番線到着後下りてきて、留置されていた客車を連結し阪和4番線に押し上げ、924レとして和歌山まで牽引
(単924の前運用は和歌山~東貝塚間貨物列車976レの補機)

923レは阪和4番線到着後、本線牽引機EF58により下りてきて(関西本線)4番線に転線 亀山方にあらかじめ竜操から単機回送(単251)されていたDD13が連結され、竜操へ回送(回232レ)されてゆく (本線牽引機は上記924レの折返し運用)
(関西本線)4番線に残されたEF58は阪和4番線に登った後、単機で鳳(折返し)杉本町・阪和貨物線経由で竜操に回送(単923~単1923)、機関区入区

参考になったでしょうか(細かい動きは省略しています)

天テツさん
貴重な情報ありがとうございます。
関西線の電化前は、当然と言えば当然かもしれませんが、電機は阪和貨物線経由、客車はDLで関西線経由だったわけですね。
竜華区の客車を和歌山以南で運用するための阪和貨物線回送とかもあったのでしょうか。

竜華で検索していたらこちらにたどり着きました。
1981年から1985年まで、毎日通学で阪和線、環状線を利用していましたので、はやたまなど懐かしく思います。時間を潰して、わざわざ阪和ホーム9番線への入線を見たりしたものです。私が見たときはEF58の推進運転でした。
さて、ふと思ったのですが、竜華を基準とした場合、阪和貨物経由と天王寺経由では機関車の向きが逆になってしまうのではないでしょうか。そのため、わざわざ阪和貨物経由で機関車を送り込んでいたのではないかと、思いました。
素人の思い付きで申し訳ないです。

orioriさん、コメントありがとうございます。
他に向きが逆になる運用があって、これを戻すために阪和線を経由させているのであればそうかもしれないのですが、そのような運用はないように思うのですが。それにそもそも電機の向きは制約があるのでしょうか、とも思います。

こちら様の記事が掲載される前後に、EF58が単機で早朝の関西本線を走行するシーンを探したのですが、見つからずでした。以下サイト様で後に掲載された模様です。

鉄道もろもろ日記>竜華区のEF58形
http://tetsudounado.blog57.fc2.com/blog-entry-2013.html
紀勢夜行牽引後の竜華機関区への単機回送

今は、おおさか東線の高架が出来て付近は様変わりした様ですが。行き覚えのある加美の鞍作踏切の南詰から、竜操手前の近畿自動車道の高架に向けて、撮影されたのだと思います。
左から、城東貨物、関西上りをテールライトを点けて走行するEF58、関西下り、関西下りから阪和貨物への渡り線、阪和貨物で、奥に関西上りから関西下りへの渡り線が見えます。

moni5187さん
情報ありがとうございます。
「超高速」でねぐらに戻っていたのですね。

2021年9月 5日の阪和線配線図 1983/12 その1(天王寺~富木)において、東佐野付近で夕方に機関車に牽引された客車列車を目撃した記憶を投稿させていただいた者です。
最近話題に上がっている本記事をあらためて読ませていただくと、⑦のサイトに臨時列車として1830和歌山発の列車があることに気づきました。日没直前の時間帯で列車のシルエットが強く印象に残っておりますが、東佐野付近の通過時刻や大阪の日没時間を考慮すると、素人の憶測の域を出ませんが、夏頃の臨時列車であればつじつまが合うような気がいたしました。

くまプーさん
なるほど、臨時の急行ですね。

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