« 荷物拠点駅 その2 | トップページ | 荷電運用 59-2 »

2020年11月 4日 (水)

年末荷電の運用

「荷物」つながりで、今回はかつて年末に運転されていた新潟地区~静岡地区の荷物電車列車の運用についてのお話です。
時期は1977年です。

 

最初は「定常状態」から。
19772rr
・1977年12月12日から運転が始まり、13日~15日はお休みして16日から23日まで運転されます。
・列車パターンとしては、
  ①上沼垂駅→村上駅→上沼垂駅
  ②新潟駅→用宗駅
  ③静岡駅→上沼垂駅
 の3パターンです。これらをA編成・B編成・C編成の3編成が交代で受け持ちます。
・3編成はいずれもクモニ83またはクモユニ74の3両編成です。従って全部で9両の荷物電車が必要になります。

 

次に「過渡状態」のその1、9両の荷物電車の「集合」過程です。
19771rr
・連結順序はテキトーです(汗)。
・12月9日から動きが始まります。幕張電車区からクモユニ74が出発し、新宿でスイッチバックして山手貨物線・東北回送線を経由して新前橋に向かいます。
・翌12月10日、今度は三鷹区からクモニ83が2両、同様に山手貨物線・東北回送線を経由して新前橋に向かいます。三鷹からの2両のクモニ83が新前橋に到着すると、前日に到着していた幕張区のクモユニ74と、さらに新前橋区のクモユニ74が連結され、4両編成となって上沼垂に向かいます。
・さらにその翌日の12月11日、長岡所の2両のクモニ83が上沼垂に向かいます。
・一方同じ12月11日、宮原区のクモニ83が東海道線を上っていき、大垣からは大垣区のクモニ83を連結して2両となって静岡に向かいます。また大船区のクモニ83も単身静岡に向かいます。
・以上のような動きにより最終的に上沼垂には6両、静岡には3両の荷電が集結したことになります。上沼垂の6両でA編成とB編成が、静岡の3両でC編成が組成され、翌日からの「定常状態」に移行するわけです。

次に「過渡状態」のその2、9両の荷物電車の「解散」過程です。
19773rr
・同様に連結順序はテキトーです(汗)。
・12月24日、上沼垂のA編成及びC編成はまとめられて6両編成となり、回送ではなく荷物列車として上沼垂を後にします。途中長岡で長岡所所属のクモニ83×2両を、新前橋で新前橋区所属のクモユニ74を解放します。
・3両となった列車はさらに沼津で大船区所属のクモニ83を解放します。このクモニ83は東田子の浦で折り返して横浜へ、ここでもう一度折り返して大船区に戻ります。
・残りの2両は用宗まで行って折り返し、回送で静岡に戻って一泊します。翌12月25日にいったん草薙まで行って折り返し、大垣で大垣区所属のクモニ83を解放、最後はクモニ83が1両となって宮原区に戻ります。
・一方静岡のB編成3両は12月24日、荷物列車として新前橋に向かいます。ここで幕張区のクモユニ74は解放され、今来た道を戻って幕張区に戻ります。
・新前橋に残ったクモニ83×2両は翌12月25日に三鷹区に戻ります。
・これで年末荷電用にかき集められた荷電たちのミッションが終了したわけです。お疲れさまでした。

 

次に、実際に使用された車両について、以前ご紹介した記事の写真を改めて見てみることにします。

19771220a01
・1977年12月20日の神田駅での荷9041M、静岡発上沼垂行きです。すなわちA編成です。
・手前からクモユニ74201(高シマ)+クモニ83007(新ナカ)+クモニ83010(新ナカ)です。

19771223a02
・1977年12月23日の同じく神田駅での荷9048M、新潟発用宗行きです。すなわちB編成です。
・手前からクモニ83800(西ミツ)+クモニ83811(西ミツ)+クモユニ74203(千マリ)です。
・以前の記事ではクモユニ74203(高シマ)と書きましたが、この車両は1977年7月1日付で新前橋から幕張に転属していますので(千マリ)が正しいです。この時点で車体表記がどうなっていたかは定かではありませんが。

19771224a01
・1977年12月24日、東京駅での荷9048M(~荷9049M)、新潟発用宗行きです。すなわちC編成です。
・手前から
クモニ83020(名カキ)+クモニ83011(大ミハ)+クモニ83804(南フナ)です。

その昔は73系を動員してまでも運転された年末荷電ですが、この年が最後となったようです。
何とも風情のある列車でした。
 

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 荷物拠点駅 その2 | トップページ | 荷電運用 59-2 »

コメント

こちらのブログの「荷物列車 その3」に、年末荷電を始めた頃の話を書きましたが(2020年9月 5日 (土) 23時38分)、そこでは、昭和46年(1971)から始まったとのことでした。

その後数年間は、年末荷電は運転していたのですね。
1976年にクロネコさんが宅急便の営業を開始していますので、その翌年で年末荷電は幕を閉じてしまったということですね。

NZさん
クロネコさん恐るべし、です。

この年末荷電は、汐留ー門司間の荷9041/荷9042列車とともに年末の風物詩でした。
ただでさえ荷物が多い年末に、郵便が年内の小包の引受を12/15で休止してしまうこともあり、鉄道荷物に集中したことも影響があったと思われます。
郵便小包が12/15で休止になるのは、年賀状輸送に集中するためで、荷物が少ないわけではなく、荷物列車や急行列車に「年郵」という運用番を差した郵便車が増結されていました。

大和運輸はこの郵便小包と鉄道荷物の不連続性のスキを突いた気がします。

北東航21さん
年末に恒例的に運転される列車として荷9041/荷9042列車という列車もあったのですね、ありがとうございます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 荷物拠点駅 その2 | トップページ | 荷電運用 59-2 »

過去の記事

2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ