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2020年11月22日 (日)

竜華操車場・久宝寺配線図

思い出したかのように関西線です。柏原駅からの続きで竜華操車場及び久宝寺駅です。

竜華操車場付近の配線図については以前の城東貨物線の記事などですでにご紹介しているのですが、線区単位でのご紹介となったためあちこちに分散してしまってわかりずらいところがあり、またその後皆様からご提供いただいた資料もありますので改めて整理してみました。ですのでほとんどの資料は再掲で、目新しいものはわずかです(汗)。

 

1958年4月(※1)
195804
・城東貨物線の線路図の一部であるため上り着発線付近しか描かれておらず、その他の本線・側線は省略されています。
・湊町方からは上本及び上3~5に進入が可能です。また場内信号機1Bは回送客車列車の到着線への進路と思われます。
・放出方からは上本・上1~3に進入が可能です。また放出方に出発できるのは上2・3です。
・正覚寺(信)で、放出方からきた線路が関西線上り線に合流した後にさらに関西線下り線に移る渡り線が描かれています。一瞬「あれ?」と思ったのですが、この時点では百済駅は未開業ですので逆線走行はしていませんね。

 

1958年6月(※3)
195806_20201122094901
・操車場としての仕訳線群のほか、機関区、客貨車区が見て取れます。
・着発線群は大雑把に言って下り貨物着発線、上り貨物着発線、下り客車出発線、上り客車到着線、阪和貨物着発線の5つに分かれています。
・この阪和貨物着発線、なんで関西線の着発線とは別に独立した形で設けられたのかが不思議です。阪和貨物線は1952年の開業時から電化されており、その当時は機関区も含めて竜華操車場全体は非電化でしたので、架線を張る範囲を極力狭めるために取って付けたような着発線を設けた、ということでしょうか。あくまで想像ですが。


1969年4月(※2)
196904
上り着発線付近以外は省略されています。 
・6番線が本線になって、湊町方からの進入と放出方への進出が可能になっています。ただし渡り線が抜けているようですが。

 

1970年頃(※1)
197000_20201111222001
・全体は描かれていますがかなり省略されています。渡り線が描かれていないところもあちこちありそうです。
・1968年には竜華機関区に電機が配置されましたので、架線が張られた範囲は広がっていると思います。
・関西線下り場内の進路がよくわかりませんが、おそらく下本・下1~3でしょうか。下り出発は下本・下1~4で、第2出発で関西線と阪和貨物線に振り分けられます。
・関西線上りは第1場内の内方に阪和貨物線→関西上り線の渡り線となる背向分岐器があるのではないかと。第2場内で本線と客車到着線とを振り分け、最後に第3場内で貨物到着線を振り分けるようです。
・阪和貨物線の場内は、関西線上り線に合流する進路と阪和貨物着発線への進路があるようです。出発は阪和2・3番線のほか前述のとおり関西線下り第2出発からの進路もあります。
 

 

1975年頃(※2)
197500_20201111222001
・今更ですが、八尾駅の名古屋方で竜華操車場から続く線路が上下の本線につながっているのはなぜなんでしょう。

 

1978年3月
197803mr
・側線まで詳細が描かれているのですが、いかんせん見づらいです。
・図の右端、関西線の下り線に安全側線が設けられているのですが、砂利盛りの部分が阪和貨物線を越えた先に設けられたような図になっています。本当ならば珍しい気がします。

 

1983年12月(※1)
198312
・実線は架線が張られている線路、破線は張られていない線路ではないかと思われます。関西線の着発線にも架線が張られていますが、下り場内部分と上り出発部分には架線は張られていないようで、奈良方面に電機が向かうことは想定していないようです。
・同様に客車到着線(北1・2番線)と客車出発線(南1~4番線)にも架線は張られていないようです。ということは、例えば天王寺駅からの回送客車列車を電機がけん引することはない、ということですよね。

 

1986年頃(※1)
198600
竜華操車場は1984年2月の改正で操車場としての役割を終えましたが、それでもまだ百済←→湊町/浪速間及び百済←→阪和線方面間を結ぶ貨物列車の折り返し点という機能は残りました(貨物列車ネタ9(向きを変える列車) その3 の記事をご覧下さい)。しかしながらそれも長くは続かず、1986年11月には貨物列車は廃止となり、名前も竜華信号場となりました。
・その1986年11月には紀勢線の客車列車もなくなり、竜華機関区の電機は定期運用を失いましたが、機関車は1987年2月までは竜華機関区から名前を変えた百済運転区に配置されていたようです。波動輸送があったのか、単に書類上の扱いだけの話なのかは分かりませんが。
・客貨車区に配置されていたお座敷客車などの行方もよくわかりません(汗)。いつ頃まで配置されていたのでしょうか。
・そういった経過を踏まえてこの図を見ると、名称が竜華信号場となっていますので1986年11月以降のものと思われます。貨物の着発線はなく、客車の着発線だけが描かれています。その下側は線路が省略されているように見えますので、客貨車区や機関区設備はまだ残っていたのではないかと思うのですが。
・その一方で、この配線では貨物列車の折り返しはできません。早々に撤去されたのか、それとも
省略されているのか、よくわかりません。
・さらに、阪和貨物線から関西上り線に入る渡り線があるはずと思われるのですが、それも描かれていませんし、放出方からの貨物線もまだ廃止にはなっていないはず(休止なので描かれていないのかも)。そういった点からはいろいろと?な点がある配線図です。

 

1988年3月(※1)
198803_20201111222001
竜華信号場付近には車両基地もなくなり、関西線と阪和貨物線の分岐のためだけの信号場になっています。

 

1992年頃(※2)
199200
・突如として放出方からの貨物線が描かれています。さすがにこれに関係する信号機は描かれていませんが。

 

2001年1月(※1)
200101_20201111222001
1997年に竜華信号場は廃止され、関西線と阪和貨物線の分岐としての機能は久宝寺駅に引き継がれました。
・かつては停車する列車も少なく、上下のホームが離れていた久宝寺駅は全く別の姿となりました。

 

2014年3月(※2)
201403
・久宝寺駅の発展はさらに続き、2008年にはおおさか東線が開通して乗り換え駅となりました。
・阪和貨物線は2009年に廃止されました。

ついでに正覚寺信号場です。
201403_20201111222101
・一瞬戸惑いますが、右から左下に向かうのが関西線下り線、左は放出方です。城東貨物線の面影を残しつつ、電化・複線化で大きく変貌しました。

 

以下の記事もご覧下さい。
 ・竜華操車場 1978/3/14
 ・竜華信号場 1992/4/11
 ・城東貨物線等配線図 その1
 ・城東貨物線等配線図 その2
 ・城東貨物線等配線図 その3
 ・城東貨物線等配線図 その4
 ・城東貨物線等配線図 その5
 ・貨物列車ネタ9(向きを変える列車) その3

 

配線図は
※1印・・・T.Mさん
※2印・・・KASAさん
※3印・・・NZさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

> 1983年12月
> 天王寺駅からの回送客車列車を電機がけん引することはない

「はやたま」の天王寺~和歌山間は竜華区のゴハチが牽いていました。天王寺までの回送にわざわざDLを調達するとも思えません。天王寺への回送列車の出発は下1・2番線、天王寺からの回送列車の到着は上3~5番線を使用し、客車区への出入りにだけDLが出てきて、東引上線を使用して入換をしたのではないでしょうか?

補足です。
「天王寺~和歌山間」と書いてしまいましたが、和歌山以南の電化後はもちろん全区間ゴハチでしたね。
紀勢本線電化前の1976年、のちに「はやたま」と改称される当時の「南紀」に乗った際も阪和線内はゴハチが牽いていたので、一緒くたにしてしまいました。

またまた関西線関係で、ありがとうございます。

竜操(りゅうそう)に関しましては、関西線に乗って幾度となく通っているのですが。関西線SL全盛の頃は、撮影仲間と亀山、奈良へ行くのが限界で、訪問しておらず、写真の一枚も撮ってなくて。実際に行かれた方のコメントに期待いたします。

>1986年頃(※1)
昭和の末期、加美駅から湊町行きに乗った際、上り線を逆走する貨物列車に追い付き、併走状態になって、平野駅手前で追い抜きました。何が起こったのだろうと驚きましたが、そういうことだと解ったのは、こちらのブログを見てからでした。

>2001年1月(※1)
上下の久宝寺駅を統合する際、上り側か下り側かで、協議中とのことでした。跡地南側を市街地と一体化させる方が、利便性が良かったと思われ、予想どうり上り側になりました。竜華水みらいセンターが、転車台の跡地のようです。

クモイ103さん
天王寺までの回送については、この先登場するであろう(?)天王寺駅の記事で書く予定だったのですが、さっそくコメントをいただいてしまいましたね(汗)。ネットを見てみますといろいろなパターンが見つかります。時代によってかわったのかもしれません。

moni5187さん
複線なのに並走したら、知らない人は絶対に驚きますよね。

 1978年 3月の図で、この安全側線が必要なのは阪和貨物の進入と競合する場合です。その時に阪和貨物の出発はあり得ないので、この平面交差は支障しません。
 どこか他でも見た覚えがあります。

竜華操が竜華信なった直後の1986年11月21-24日に、竜華操車場エリアで「竜華鉄道フェア」が行われています。

DD51による体験運転もあり、仕訳10番線から西引上げ線を使用していました。

当時のことを京都新聞の方がブログに書いており、いくつか画像が上がっています。
https://circle.kyoto-np.jp/train/20160609/741.html

竜華から天王寺の阪和ホーム間の客車の回送につきましては、「推進運転」の記事にコメントが寄せられていますね。
往時の天王寺の配線で印象に残るのは、阪和と環状の内側の間に、例のスロープ(推定33‰)のような渡り線があった事です。内回りに乗って、その先の引上げ線を眺めて、寺田町の手前に終端の車止めがあったのを覚えています。

記事「推進運転」に寄せられた「海南市交通史研究家」さんからのコメントを読みました。竜華~天王寺間の回送はDE10が牽引し、EF58は単機回送していたのですね。私の勝手な思い込みで決めつけたコメントをしてしまい、大変失礼いたしました。
なぜわざわざ? EF58が924レの編成を推して連絡線の勾配を登れない、とも考えにくいですが…

クモイ103さん
「推進運転」にもコメントが付いていますが、924レの回送をDE10が牽くのは、天王寺駅の関西線と環状線の間にある中線までだったと記憶しています。
後追いでEF58が単機回送されて、編成に連結して、寺田町寄りの引き上げから阪和線ホーム据付はEF58がやっていました。

おそらく天王寺駅での機回し省略と、上記の1983年配線図にあるように、客車区の到着/出発線が電化されていないためと思われます。

という話が、天王寺駅の配線の時に出てくる予定だったのかと。


北東航21さん
> DE10が牽くのは、天王寺駅の関西線と環状線の間にある中線までだった
失礼しました。
やはりおっしゃる通り、機回しの省略が大きな要因だったのかもしれませんね。天王寺駅は機回しをするには手狭ですから。東京駅でのブルトレ牽引機の“段落とし運用”を思い出しました。

中学校時代阪和貨物線、竜華区よく、撮影に
行ってました、久宝寺駅は上下線離れた駅で
無人駅、当時キャノンAEー1Pと50mm
レンズで撮影してました。

いろいろ調べていますと、クモイ103さんがおっしゃるようにEF58がそのまま回送列車を牽引していたケースもあったようですので、あながち間違いではないかと思います。
このあたりを今整理中です(汗)。

>その1986年11月には紀勢線の客車列車もなくなり、竜華機関区の電機は定期運用を失いましたが、機関車は1987年2月までは竜華機関区から名前を変えた百済運転区に配置されていたようです。波動輸送があったのか、単に書類上の扱いだけの話なのかは分かりませんが。

書類上の扱いだけでした。


>客貨車区に配置されていたお座敷客車などの行方もよくわかりません(汗)。いつ頃まで配置されていたのでしょうか。

昭和61(1986)年11月1日改正でお座敷客車が和歌山に転属しました。このため通称がリウ座からワカ座に変わりました。
天王寺⇔新宮で使用されていた12系は和歌山と福知山に転属しました。
和歌山線で使用されていた50系の転属先は知りません。

ゴハチ信者さん、情報ありがとうございます。
竜華の客車は和歌山に転属したのですか。意外でした。新在家の、旧和歌山機関区ですよね。

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