荷物拠点駅 その1
先日の荷物列車 その4の記事で、
1)荷物輸送の発生(1873~)
2)荷物専用列車の誕生(1952~)
3)荷物拠点駅の整備(1964~)
といった流れのお話をしたのですが、ご承知の通り1986年11月をもって国鉄から荷物輸送は姿を消しました(一部の例外を除く)。
よって1964年以降にせっかく整備した荷物拠点駅はさほど長い活躍の期間を与えられないままその存在意義をなくすことになってしまったわけです。
今回はそういった荷物拠点駅の盛衰を、国土地理院の空中写真とGoogleマップをメインに、少しばかりの配線図で追いかけてみたいと思います。
最初に東小倉駅です。
1948年4月。
・国土地理院空中写真USA-R239-No3を加工しています。
・この時点で東小倉駅がどのような状況であったのかがよくわかっていません(汗)。Wikipediaによれば、この5年前までは小倉鉄道としては一般駅ですが鹿児島線としては一信号場に過ぎなかったようで、小倉鉄道との貨物の授受のための信号場だったのでしょうか。しかしながらその割には鹿児島上下本線間(多分)には多くの線路と貨車が確認できますので、授受以外の役割があったのかもしれません。
1961年8月。
・国土地理院空中写真MKU613-C14-26を加工しています。
・荷物基地を含めた改良工事の真っ最中のような感じがします。下り線の移設工事も見て取れます。
1975年3月。
・国土地理院空中写真CKU747-C11-37を加工しています。
・荷物基地と貨物基地が完成しています。抱き込み式のレイアウトなので本線を跨ぐループの道路が設けられているのが珍しいですね。
最近のGoogleマップ。
・すでに列車の発着はなくなってしまったようですが、建屋の撤去・解体等は行われていません。昔の姿をとどめているわけですが、それが逆に寂しさを感じさせる気がします。
続いて隅田川駅。
1963年6月。
・国土地理院空中写真MKT636-C5-23を加工しています。
・水路が入り組んでおり、鉄道と水運とのつながりの強さが感じられます。
1975年1月。
・国土地理院空中写真CKT7415-C24B-12を加工しています。
・赤丸部に荷物基地が設けられました。大きな上屋です。大量の客車が見て取れ、活気が感じられますね。
・水路は埋め立てられています。
1992年10月。
・国土地理院空中写真CKT921-C5B-25を加工しています。
・荷物基地の上屋はキレイに撤去され、コンテナホームに姿を変えてしまいました。
・上方に広大な空き地がありますが、これは東京資材センターと客貨車区の跡地です。
配線図も見てみます。
1978年10月です。
・赤丸部分が荷物基地です。荷物ホームに面した線路は本線で、荷物列車が直接発着できるようになっています。
続いて汐留駅。
1956年3月。
・国土地理院空中写真USA-M324-419を加工しています。
・左側を上下に走るのが東海道線で、右の幾何学的な曲線は東京市場です。
1975年1月。
・国土地理院空中写真CKT7415-C30-42を加工しています。
・赤丸部に荷物基地が設けられました。やはり大きな上屋ですね。
・その周辺には多くの客車が止められています。
1992年10月。
・国土地理院空中写真CKT921-C10-36を加工しています。
・汐留駅の場合は荷物基地だけにとどまらず汐留駅そのものが廃止されてしまいました。更地化されて今後の再開発を待っています。
配線図です。
1961年3月です。
・荷物基地開設前です。
・1967年3月です。
・赤丸部が荷物基地です。隅田川駅と同様、荷物ホームに面した線路は本線です。
上沼垂駅、百済駅、北長野駅、熱田駅、横浜羽沢駅、苗穂駅についてはまた別の機会に。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
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隅田川駅の貨物フェスタでは、コンテナホームに沢山の出店やブースが並び楽しいです。 でもそこが荷物基地の上屋であったとは‥。 今年はコロナでフェスタが中止となり残念です。
投稿: 猫OG | 2020年10月 2日 (金) 20時56分
猫OGさん、来年が楽しみですね。
投稿: f54560zg | 2020年10月 3日 (土) 18時00分