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2020年9月 2日 (水)

飯田線配線図 その11(北殿~辰野)

飯田線の第11回目、最終回です。1977年の北殿駅、木ノ下駅、伊那松島駅、沢駅、羽場駅、伊那新町駅、宮木駅、辰野駅です。

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・伊那松島駅には車両基地があります。1977年3月時点ではED62が9両、ED18が1両、旧型国電が51両配置されていました。
・過去の記事もご覧下さい。
  伊那松島 1978/12/24
  伊那松島 1978/12/24 その2
  伊那松島 2016/1/4

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・Wikipediaによれば伊那新町駅の交換設備は後年(1966年)の設置となっており、他の駅とは分岐器の配置が異なります。

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・ようやく終着、辰野駅に到着しました。
・飯田線からの到着は飯本、下1、上本、上1、飯田線への出発は飯本、下1、下本、上本、上1、上2です。上2は飯田線への出発専用ですね。
・伊那松島駅と辰野駅との距離はわずか8km程度なのですが、この当時辰野駅では10両の夜間滞泊が行われていました。茅野駅でも4両が滞泊していました。伊那松島機関区が手狭なためでしょうか。
・過去の記事もご覧下さい。
  辰野 1978/12/24
  辰野 1978/12/24 その2
  辰野 1988/8/2 動画 その1
  辰野 1988/8/2 動画 その2
  辰野の貨物列車 1988
  辰野 2002/5/1
  辰野 2016/1/4

配線図はNZさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

無事、辰野に到着ですね。
飯田線は、地方交通線といいながら、約200キロの長さがあります。そのうえ、買収私鉄路線であるために駅の数も大変多いので、編集お疲れさまでした。

伊那松島区に電車が51両も配置されていたとは驚きですね。構内は手狭ですが、路線が長いので、夜間はあちこちの駅に滞泊させるというワザが使えますね。
朝の始発列車が設定されていた、すなわち滞泊車両がある駅を昭和50年10月のダイヤからひろってみます。
(この当時は静トヨにも配置されていたのか…)

豊橋 旅客だけでなく、荷電も朝4時半頃出発します
新城 上り
三河川合 上り、下り
中部天竜 上り
水窪 上り
平岡 下り
天竜峡 下り
伊那大島 下り
駒ヶ根 下り
伊那松島 上り
辰野 上り
日中は牛久保で昼寝している電車もいました。(流電を撮りに行った時に、まさにこの状態でした(泣))

NZさん

> この当時は静トヨにも配置されていたのか…

中部天竜にも配置がありました。
ジェーアールアールの国鉄電車配置表1978年版によると、

豊橋機関区(静トヨ)
 旅客車47両(クハユニ56形6両を含む)
 荷物車5両(クモニ83、クモニ13)
 事業用車5両
豊橋機関区中部天竜支区(静チウ)
 旅客車10両
 事業用車1両
伊那松島機関区(静ママ)
 旅客車50両(クハニ67形3両を含む)
 事業用車1両

もちろんすべて旧形電車であり、豊橋のクモニ83(元クモユニ81の100番台)が戦後製、クモニ13が木製車を戦後に鋼体化改造した車両である以外は、全て戦前製です。
とりわけ中部天竜配置のサエ9320は、この時点で国鉄唯一、最後の木製電車でした。
同年10月の改正で、豊橋に80系電車がやってきて「流電」クモハ52が勇退、またクモハユニ64の転入と引き換えにクハニ67が全滅し、中部天竜の配置が無くなりました。

119系とクモユニ147の投入で飯田線に新性能化の波が押し寄せたのは、その5年後のことでした。

飯田線をコンプリートして頂き、ありがとうございます。先だってホームの短い駅でコメントしましたが、最後に沢駅が登場ですね。ここもCTC化時に延伸されましたが、今や棒線駅です。
そんなこじんまりした飯田線各駅からすると、辰野は広々とした構内で行き交う列車の編成も長く、子供心に「幹線だな」と感じたものでした。今や側線もほとんど使われず、寂しさはひとしおです。本屋のキロ数は飯田町起点でしょうか。若干端数が合わない気もしますが。

NZさん
配線図のご提供や、いろいろためになるコメントありがとうございます。始発列車ですが、飯田発豊橋行きというのはなかったでしょうか。一度乗った記憶がありますが、間違っていましたらすみません。

クモイ103 さま

中部天竜のサエなんていう、イカツイ救援車もありましたね。

*****
こまがね伊那天竜 さま

>飯田発豊橋行き

すみません、見落としてました。5時30分頃に飯田を出発して、10時過ぎに豊橋に着く列車ですね。

辰野駅のキロ程について
>本屋のキロ数は飯田町起点でしょうか。

こちらのブログに載っている中央東線の線路図を見ると、大月までは営業キロと線路図のキロ程が一致しています。大月から先は、営業キロの方が線路図のキロ程より大きくなり、その差は徐々に広がっています。
おそらく、線路の改良工事の結果、線路の実キロは短縮されたのでキロポストは建てかえたのにもかかわらず、営業キロは以前のままにしてあるのではないでしょうか。
なお、昭和58年7月の中央線列車ダイヤ(2分目ダイヤ)のキロ程は、東京起点で時刻表記載の営業キロと一致しています。
ところが、『基準運転時分表(電車編)』(首都圏本部 昭和54年10月1日改正)を見ると、中央東線の
特急の基準運転時分は新宿から始まる表で、大月まで76.8km、甲府まで121.7km、小渕沢まで159.4kmとなっていて、これは線路図に近いですが、微妙に異なります。

実キロと営業キロが異なることは新幹線をはじめとしてよくあることではあります。
線路改良工事などで実キロが変わっても、キロポストを直すのが面倒な時は、ブレーキメーター(断キロともいうようです)という距離標を建てて調整します。

いつも長文になってしまい…。

長野鉄道管理局が発行している「写真でつづる長野鉄道管理局の歩み」(昭和62年)に収録されている、昭和55年現在の「線路こう配表」によると、辰野のキロ程は216.420キロと記載されています。西局との分界駅の小渕沢は170.050キロです。
また、新たな数字が出てきましたね(笑)
この資料は、保線区関係で使う図面のようです。

同書収録の1時間目ダイヤによると、
昭和25年10月1日改正
小渕沢 170.1キロ  辰野 216.4キロ
昭和61年11月1日改正
小渕沢 173.7キロ  辰野 219.9キロ
です。

時刻表復刻版 昭和36年10月号では
小渕沢 173.7キロ  辰野 220.1キロ

中央本線は線路の改良工事が続いていたので、節目ごとに改訂されたのでしょうね。

皆様
飯田線、本当に独特な路線です。

>夜間滞泊
NZさんのおっしゃる通り、あちこちに分散していたようです。手元に1977年頃の飯田線の電車運用表があり、これによれば滞泊していた両数でみると最も多いのが天竜峡の16両です。ただしそのうち12両は神領(天竜)・松本(こまがね)・大垣(伊那)の165系で、旧国は4両だけですが(汗)。

>キロ程
確かにその通りですね。まったく気にしていませんでした。

>キロ程
NZさん、私の些細なひとことに詳細なコメントありがとうございます。YouTubeで最近の前面展望を探すと、辰野駅の下り場内信号を過ぎたあたりに216kmのポストがありましたので、おそらく今回見せていただいた配線図の辰野駅本屋216k420mは、キロポストと一致しているのでしょうね。
中央東線で営業キロが変わったのは、Wikiで見る限りでは1980年の信濃境~富士見複線化、1982年の塩尻駅移転、1983年の塩嶺トンネル開業の時だけのようですが、それ以外にもスイッチバックの廃止とか鳥沢~猿橋間複線化など、キロ程が変わる出来事はあるように思います。何か変え(たく)ない事情があったのか、謎です。

鉄道のキロ程には、いろいろあります。建設キロ、実キロ、営業キロ、換算キロ、擬制キロ。一番なじみなのは、運賃料金計算の基礎となる営業キロです。
国鉄の運賃は、1キロメートルあたりの運賃単価×キロ数を5キロとか10キロ刻みなどに区切った対キロ運賃が原則で、遠距離逓減制では単価を下げたり、初乗り区間や特定区間では運賃を別に定めたりしていました。
したがって、営業キロは、実キロを基本に定めているものと思っていたのではないでしょうか。線路改良などで、営業キロを改訂することも、実キロに営業キロを合わせるのだなぁと。
大都市では、市内駅制度があって、中心駅から一定の距離以上との運賃は、中心駅からの営業キロで計算するという特例があり、東京では、東北方面への列車が上野始発でも東京ー上野間3.6キロを加え、中央線方面では東京ー新宿間10.4キロを加えるルールーでした。

やっと本題です。この項のコメントを書きながら時刻表復刻版をめくっていたら、昭和31年12月号では、東京上野2.1キロ、東京新宿6.2キロなのです。昭和36年10月号では現在と同じキロ程になっています。
手元の『旅客運賃料金キロ程早見表 昭和35年3月現在 東京鉄道管理局』という、車掌が車内で精算するときの虎の巻のような冊子をみると、昭和31年の時刻表と同じキロ程です。
主要都市間の昭和31/36年を比較してみます。
東京名古屋 363.3 / 366.0 名古屋大阪
東京大阪  553.7 / 556.4 190.4 / 190.4

東京仙台  349.2 / 352.1 仙台青森
東京青森  737.1 / 740.0 387.9 / 387.9

どうやら、昭和35〜36年に東京近辺の営業キロを改定したようです。あるいは、何らかの事情で割安に設定されていた東京近辺の営業キロを元に戻したのかもしれません。現在、山手線内は特定運賃が適用され割安になっていますが、そのルーツはこんなところにあるのかもしれません。

この営業キロの改定で東京の国電運賃はずいぶん値上げになったと思うのですが、ご記憶にある方はいらっしゃいますか?

上の投稿のうち、

東京新宿間10.4キロとあるは、10.3キロの誤りです。

前の投稿で、「東京近辺」と書きましたが、令和2年の時刻表と、昭和35年のキロ程早見表によって、駅間のキロ程を比較してみました。
結果、山手線と中央線(東京新宿間)が、現在の営業キロに比べて、昭和35年の営業キロが短縮されていることが判明しました。
東京電環内と書けなかったのは、御茶ノ水秋葉原間は短縮されていなかったためです。

当時山手線の内側には、都電が網の目のように路線を張り巡らせていたので、国電の運賃を都電に対抗できるレベルまで引き下げていたのではないかと想像します。

飯田線に配属されていた救援車は他線に比べ沿線の地形状況で側面扉から救援機材を下す事が不能な所が有る為妻面運転台窓脇に両開きの扉(観音開き)を設けて其処から救援機材を下す構造になりました 飯田線の特殊性から造り出されたのです

妻面に両開き扉を設けた救援車、確かに飯田線を考えるとわかるような気がします。

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