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2020年9月 5日 (土)

荷物列車 その3

今回は荷物電車列車、荷物気動車列車といった荷物専用列車のお話をしたかったのですが、これらについての情報があまり得られませんでしたのでこれは早々にあきらめて、併結列車を含めた運用中心のお話にします(汗)。

鉄道ピクトリアル誌1977年12月号には各区所の荷物電車の運用順序(列車番号だけが順番に書かれたもの)が記載されていますので、これと時刻表を突き合わせてその一部の運用ダイヤを作成してみました(一部に推定が含まれます)。
いつの時点のものかがはっきり書かれていないのですが、1977年4月ころでしょうか。

 

最初に長岡運転所のクモニ83・クモユ141です。
R_20200826192601 
・すべて旅客車との併結で荷電単独での運用はありません。
・併結相手は115系(新ナカまたは高シマ)が中心ですが、一部に70系との併結があります。
・特徴的な列車としては、
  449Mと454M・・・70系6両にクモニとクモユの両方が連結されます。
  439M・・・70系10両にクモユ141という11両の長大編成です。

 

続いて三鷹電車区のクモニ83と松本運転所のクモユニ82です。
R_20200826192602
・ほとんどは旅客車との併結ですが、1往復だけ大糸線でクモニ83の単独運用があります。この当時大糸線用として北松本支所にはクモユニ81が配置されていましたので、クモユニ81にとってはナワバリを荒らされて心穏やかではなかったろうと思います。
・併結相手はほとんどが115系ですが、一部に165系の急行や80系との併結があります。
・特徴的な列車としては、
  442M・・・長野~松本間では8両の115系にクモニ1両とクモユニ2両が連結されて11両となります。
  1234M・・・神領区の80系12両にクモニ83がくっついて13両編成になります。

 

もう一つ、品川電車区のクモニ13です。これは主要駅の発着時刻も掲載されていましたのでそのままダイヤ化しました。
子供のころ、東京駅などでよく見かけた記憶があります。
Photo_20200825191802
・大きく分けて京浜東北線主体の運用(K01、K03、K05)と中央線主体の運用(YD01)があります。
・基本的には荷電単独運用ですが、横浜線の1441と1540は旅客車に併結のようです。
・中央線運用のYD01は日によって高尾方面に行ったり青梅方面に行ったりするのか、それとも2両で出発して途中で二手に分かれるのかがよくわからないのですが、荷物は主に新聞らしいので、そうであれば二手に分かれるパターンの可能性が高いような。
・13時45分頃の東京駅には3両のクモニ13が集まります。
・前述の通り荷物は主に新聞らしいのですが、実際にどの駅で荷物の積み下ろしをするのかが興味深いところです。
・KASAさんのサイトで新宿駅の渡り線が最近撤去されたことが話題になっていましたが、クモニ13もこの渡り線を通過していたはずです。http://railwaytrackdiagrams.web.fc2.com/others/others20200630.html

 

このほかの区所で特徴的な運用としては、
1)新前橋電車区のクモユニ74・クモユニ82、荷41M~荷44M。
隅田川をクモユニ6両を連ねて出発し、途中で分割されて最終的には水上2両・黒磯2両・小山経由両毛線1両・新前橋経由両毛線1両に分かれ、その後これらがまた一つにまとまって6両で隅田川に帰ってくるという運用です。
荷物電車列車の代表格ですね。
2)幕張電車区のクモユニ74・クモハユ74、荷31M~34M。
新前橋区と同様で、両国を4両で出発し、千葉で4方向(総武・成田・内房・外房)に分かれ(いずれも旅客車に併結)、最後はまた4両で両国に戻ってくる運用です。
千葉駅では複雑な入換作業が行われていたのではないでしょうか。

 

以下、過去の記事の再掲ですがいくつか荷物電車の写真をご紹介します。

1119780429b02
・1978年4月29日新潟駅、432Mです。クモニ83(新ナカ)+115系6両(新ナカ)です。

1219780430a10
・1978年4月30日新潟駅、439Mです。クモユ141-3(新ナカ)+76304+70008+70009+76049+75006+70016+70103+87009+70049+(クハ不明)(新ナカ)です。

1319780927d01
・1978年9月27日籠原駅、729Mです。クモニ83010(新ナカ)+クモユ141-2(新ナカ)+115系7両(高シマ)です。籠原駅で115系4両を解放した後の姿です。

0119770806b03
・1977年8月6日上諏訪駅、427Mです。クモユニ82002(長モト)+Mc115-323+M'114-359+Tc115-408+T115-328+T115-329+Mc115-324+M'114-360+Tc115-410(西ミツ)です。

0219770811c15
・1977年8月11日篠ノ井駅、432Mです。クモニ83028(西ミツ)+クモユニ82005(長モト)+115系8両(西ミツ)です。

0319781227b08
・1978年12月27日北長野駅です。この時点では441Mのクモニとクモユニは長野到着後に115系から切り離されて北長野までやってきていたようです。

5119770316d01
・1977年3月16日芦屋駅、大阪発姫路行き荷1045Mで、クモニ83(大ミハ)です。

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・1977年12月20日神田駅、静岡発上沼垂行きの年末荷電荷9041Mです。クモユニ74201(高シマ)+クモニ83007(新ナカ)+クモニ83010(新ナカ)です。

 

また、鉄道ピクトリアル誌2017年5月号には多くの荷電運用ダイヤが掲載されています。
・宮原区 昭和47年10月改正 クモニ83・クモユ141  
・宮原区 昭和53年10月改正 クモニ83 
・田町区 昭和53年10月改正 クモユニ74・クモニ83
・国府津区 昭和55年10月改正 クモユニ74
・大船区 昭和61年3月改正 クモユニ74
・大垣区 昭和55年10月改正 クモニ83
・大垣区 昭和60年3月改正 クモニ143・クモユニ147
・長岡所 昭和47年10月改正 クモニ83・クモユ141
・長岡所 昭和55年10月改正 クモニ83・クモユ141
・長野所 昭和53年10月改正 クモニ143・クモユ141
・長岡所/長野所 昭和57年11月改正 クモニ83・クモニ143・クモユ141・クモユ143
・長岡所/長野所 昭和60年3月改正 クモユ141・クモユ143・クモニ143・クモユニ143
・三鷹区/松本所 昭和53年10月改正 クモニ83・クモユニ82
・三鷹区 昭和59年2月改正 クモニ83
・新前橋区 昭和53年10月改正 クモユニ74・クモユニ82
・幕張区 昭和55年10月改正 クモユニ74
・幕張区 昭和61年11月改正 クモユニ143
興味のある方はご覧下さいませ。ゴチャゴチャしてちょっと見難いですが(汗)。

 

最後に荷物気動車。これについては電車以上に情報がありません。
ほとんどは旅客車に併結されるパターンだと思いますが、数少ない荷物気動車列車を夕方近い金町駅で子供のころによく見かけました。下り列車でキニ55の2両編成でした。
鉄道ファン1982年10月号を見ますと、昭和57年5月17日改正では隅田川~平間、隅田川~仙台間にそれぞれ1往復ずつ設定されていたようです。車両は水ミトのキニ55、56、58だと思います。
このほか尾鷲→新宮間に下りのみの荷3031Dという列車が記載されています。これはどこの車両でしょう? 名古屋第一のキニ28? 伊勢のキユニ28?

写真を2枚だけ。

9119780311d02r
・1978年3月11日和歌山駅、キハユニ1610(天ナラ)+キハ282313(天ワカ)+キハ58599(天ワカ)です。きのくにから解放されたもので、有名どころですね。

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・1978年4月29日新潟駅、キハニ151(新ニイ)です。1形式1両の珍車でしたが、撮影後まもなく廃車されてしまいました。

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コメント

飯田線のダイヤをしまう前に…

昭和50年10月1日訂補の1時間目ダイヤから飯田線の荷物電車をひろってみます。時刻はだいたいです。

荷2041M
豊橋4:40発 中部天竜6:50着
通過駅 茶臼山、長篠城、柿平、池場、出馬、上市場、早瀬、下川合
朝刊輸送のようです。

荷2042M
辰野14:55発 天竜峡17:50着
通過駅 田畑、赤木、大田切、小町屋、田切、高遠原、伊那田島、下平、下市田、伊那上郷、切石、下山村、毛賀、川路
こちらは、夕刊輸送のようです。

いずれも、片道だけの設定なので、帰りは旅客列車に併結されるのだと思います。
また、電車の客室の一部をシートを張って仕切り、荷物を運んでいた電車に乗り合わせたことがありました。

紀勢東線の荷3031Dは、元々名古屋発の夜行急行紀州5号でキニを使って新聞輸送していたのが、昭和57年5月改正(亀山電化)で紀州5号が廃止となりトラック輸送に置き換わった際、道路事情が悪い尾鷲ー新宮間のみ列車での輸送が継続となったため、設定されました。

車両は回送の急行形キハ58+キハ28に、キハ30(またはキハ40)を加えた3両で、キハ30を代用荷物車として使用していました。

59-2改正では生き残りましたが、60-3改正ではなくなっています。いつ無くなったかは把握できていません。

旧国全盛時代に横浜線で八王子よりの旅客列車に併設されたクモニ13が東神奈川で分割後京浜東北線を単行で品川方面に向かう姿を見た事が有ります
当時首都圏国電区間ではクモニ13は各線で荷物扱いをしていた為以外な所で渡り線を利用して複雑怪奇に運行していた同じ事が配給電車の運用でもありましたね・・

旧国全盛時代に横浜線で八王子よりの旅客列車に併設されたクモニ13が東神奈川で分割後京浜東北線を単行で品川方面に向かう姿を見た事が有ります
当時首都圏国電区間ではクモニ13は各線で荷物扱いをしていた為以外な所で渡り線を利用して複雑怪奇に運行していた同じ事が配給電車の運用でもありましたね・・

新前橋のクモユニ74の見事な「6重連」が、京浜東北線から見て三複線の向こう側である貨物線を爆走していく様は、まさに圧巻でした。
(以前「大宮 2011/12/11 その1」のコメントでパンタを全部上げていたと書きましたが記憶いで、片パンだったようです。申し訳ありません)
クモユニ82も居たようですが少数派でした。

この手の荷物電車は、線区によっては115系などの新形電車と70系などの旧形電車の両方に併結される場合がありました。新形電車と旧形電車ではブレーキ制御方式の基本構造が異なるので、そうした線区で使用される荷電は「新旧読み替え装置」を搭載するものに限られます。
クモユニ74の0番台は東海道本線東京口で111系や153系と併結すること前提に作られたため、自身は旧形にもかかわらず新形電車としか併結できません。
クモユ141は「新潟ローカル」の70系と併結するため読み替え装置を備えていましたが、後年増備のクモユ143は70系が姿を消していたため旧形には対応していなかったはずです。

>クモユニ74の…貨物線を爆走していく

荷電はどれくらいのスピードで走っているか調べてみました。

基準運転時分表(昭和54年9月27日 首都圏通達第33号別冊)で、荷電と旅客列車を比較してみます。

東海道線関係
荷電 74形2M20t 通電B6
汐留ー熱海間 104.6km/81分 77.5km/h
特急 183系6M4T 100%乗車 特通電A26
東京ー熱海間 104.6km/76分 82.3km/h
遜色ないですね

荷電 74形2M20t 停電B6
汐留ー熱海間 104.6km/90分 69.7km/h
普通 113系8M7T 100%乗車 停電A1
東京ー熱海間 104.6km/93分 67.5km/h
さすがオールM編成速いです。
※数値は資料のママ

東北線関係
荷電 74形6M60t 通電B6
田端操ー大宮間 23.2km/21分 66.2km/h
特急 485系6M6T 100%乗車 特通電A20
赤羽ー大宮間 17.1km/13分 78.9km/h
急行 165系4M5T 100%乗車 通電A6
赤羽ー大宮間 17.1km/14分30秒 70.7km/h
普通+荷電 115系6M6T 200%乗車
      +74形1M10t 停電A3
赤羽ー大宮間 17.1km/14分45秒 69.4km/h
東北貨物線経由です。
荷電の赤羽ー大宮間を計算すると
17.1km/15分 68.4km/h つりかけモーターのうなる音が聞こえてきそうです。

品川区のクモニ13の積み荷はやはりほとんど夕刊でした。青梅に16時頃到着というのは私が小学生時代に福生で見た記憶とほぼ一致しております。
福生に大体15時40分~50分くらいに到着して1~2分停車し、夕刊をどっさりホームに下ろし、発車後はホームの反対側に止めていたリヤカーめがけて夕刊を線路を越すように放り投げ、本人たちはホームを飛び降り線路を横断し、そのまま運んでいきました。(今なら大問題になりそうですが・・・・・・。)

多分、福生以外の主要駅(中神・昭島・拝島・羽村・河辺など)でも同じように下ろしていたのではないかと思います。

ところでそのクモニ13の中央線関係の運用ですが、2両で大崎から一旦三鷹に行って、そこで分割し、先に青梅行きを新宿へ、高尾行きを東京まで回送しているようですね。
高尾行きは東京駅で15時過ぎに夕刊積み込み、青梅行きは新宿で14時過ぎに夕刊積み込みだったようですね。青梅線沿線には昔から中央線沿線より刷版の早い(つまり締め切りが早い)ものが配達されているのがこんなところからも窺いしれます。

さらに青梅線向けが新宿14時すぎということは都心周辺の各新聞社から13時半くらいまでに刷り上がった夕刊がトラックで新宿まで運ばれていたと思われますが、新宿からは他の小田急・西武・京王の私鉄各線でも夕刊用の荷電が運転されていたようですので、結構な量を新宿までまとめてトラック輸送していたと推測され、そうなると、私鉄各沿線の夕刊は中央線沿線より早い刷版のものが配られていたとも推測されます。

また、中央東線のクモニ83にも当然ながら山梨や長野県内まで夕刊が積まれて115系の後ろにぶら下がっていたものと思われますが、午後はほぼ1時間おきに新宿を発車していることからすると、上諏訪辺りまで行くものは当然早い便に乗せる早刷りと言われる版、その後甲府付近向け、大月付近向けなどを順次刷版の遅いもので送っていたものと推測されますね。

ごめんなさい間違えて二回送信してしまいました
東海道本線東京口で111系113系に併結されていたクモユ141 ある日蒲田駅南のタイヤ公園近くの跨線人道橋から上りの東海道本線列車を撮影した時最後部に連結されていたクモユ141方向幕を見てビックリ「米原行き」でした私は何処へ行くのでしょう?・・・
年末の小荷物輸送繁忙時の長編成荷電はとても見ものでした然も全車電動車でしたので当然ながら全車輛パンタを上げて山手貨物線を疾走するのは楽しかったものです 
NZ様のコメントの荷電のスピードデーターは凄いものですこんなに早いスピードで運行していたんですね
常磐線が複々線化されたおり103系だけでの運行しようとしたがラッシュ時ダイヤ上一往復だけ列車が不足急遽松戸電車区に残っていた旧型国電をかき集め8輌編成一本捻出電動車主体の7M1Tや8M編成の列車が快速線を100km/h近くで爆走した 実際に旧国全電動車編成に乗車した時は大音響で快速線を爆走するのはとても楽しものでした

房総地区で他線区で手荷物輸送終了後も暫く荷電が運行していた 当時房総地域は道路事情が悪かったのでやはり新聞輸送の為に運行していたのでした
両国駅が発送基地となってました

皆様
多数のコメントありがとうございます。

>荷2041M、荷2042M
荷2041Mは豊橋をクモハ・クハ・クモニ・クモニで出発し(クモハ・クハは回送)、中部天竜から245Mとして辰野まで客扱いを行う列車のようです。帰りは荷2042M(これは単独)で天竜峡まで、そして天竜峡からは1232Mに併結されて豊橋に戻ります。18時間くらいかけての飯田線の往復、ご苦労様でした。

>荷3031D
キハ30ですか、予想外でした(汗)。ありがとうございます。

>東京の渡り線
荷物電車や配給電車のルートでは大いに悩んだ記憶があります(汗)。

>YD01
やっぱり2両が二手に分かれる運用ですよね。ありがとうございます。

『電車』(交友社)の1974年2月号に、
「大活躍!年末臨時荷物電車 <大垣〜新潟間長距離荷電の運転をふり返って>」大熊孝夫(国鉄本社運転局車務課)
という記事が載っています。

<概要>
 東海道対東北・上信越間の荷物は汐留〜隅田川間をトラックで中継していたため、年末輸送に対応できなかったため、昭和46年末から大垣〜新潟間に長距離荷電を運転を開始した。
 使用した電車は、昭和48年末の場合、5両編成の両端をクモニ83、中間の3両はクモハ73、サハ78×2とし、4編成都合20両を長岡、幕張、三鷹、下十条、浦和、東神奈川、松戸、大垣、宮原の9区所から集めた。
 運用は、1日目 15時 大垣発(荷9041M)21時 沼津着
2日目 8時 沼津発(荷9042M)11時 東京着発(荷9041M)21時 上沼垂着
3日目 15時 上沼垂発(荷9821M)16時 村上折り返し(荷9820M)19時 新潟折り返し(荷9440M)20時 上沼垂着
4日目 4時 上沼垂発(荷9048M)13時 東京着発(荷9049M)22時 大垣着

「宅急便」が営業を開始する昭和51(1976)年まで、あと2年。そういう時代のお話でした。

最近のニュースで東北新幹線で鮮魚のテスト輸送したとの記事を見ました 新幹線ならトラック便に比べ速達性が改善されるのじゃあ・・・
国鉄末期頃新幹線で専用車輛を用意して小口荷物を運ぶ計画が存在してました

> 鉄道ピクトリアル誌1977年12月号
言い忘れましたが、私も持っていて重宝しています。国電研究の第一人者である沢柳健一氏の記事ですね。

NZさん、速度に関するデータをありがとうございます。やはり「爆走」と言える状況だったのですね。
常磐線のキニ+キニも、高速の電車列車の間を縫って走るため2エンジン車を充当していたとどこかで読みました。こちらも相当気合の入った走りだったことでしょう。

>大糸線のクモニ83
これ確か、一時期時刻表に掲載されていましたよね。荷物「列車」は各線にありましたが、ここだけ荷物「電車」で、珍しいなと思ってました。

>客室一部締切
辰野の一番線(現0番線)で、始発列車の最後尾(辰野寄り)を締め切って新聞?を積み込んでいたのを思い出します。飯田線に限らず、各地で「一部締切」はされているようですね。

yyosikawaさん
新幹線を使った小荷物便はありました。「ひかり宅配便」というのがあった時期もあり、いずれも本社は旅客局所掌なので、荷物輸送です。

それとは別に開業直後の新幹線で資材輸送(要するに配給電車的な使い方)をした記録が残っています。
下記リンクの5ページ目です。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1911/01/news034.html
電動転轍機部品を作業員とともに東京第一運転所から大阪運転所に臨時の0系新幹線で送り込むって、ちょっとびっくりです。

>大糸線のクモニ83
時刻表に掲載されていた時期があったんですね。掲載される基準がわからない・・・。

>新幹線で資材輸送
貴重な情報ありがとうございます。ドアから積み込めるんですね。

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