« 河内堅上配線図 | トップページ | 荷物列車 その4 »

2020年9月16日 (水)

柏原配線図

今回は柏原駅です。

1970年頃(※1)
197000_20200912174701
・信号機を見る限り名古屋方から2番線への渡り線があるはずなのですが、描かれていません。

 

1975年頃(※2)
197500_20200912174701
・1番線と2番線が入れ替わり、ホームのない2番線が下り本線となりました。

 

1988年3月(※1)
198803_20200912174701
・変化はありません。

 

2001年1月(※1)
200101_20200912174701
・変化はありません。

 

過去の記事からの再掲ですが写真を1枚だけ。
19760328b03
1976年3月28日、柏原駅ではなく湊町駅ですが(汗)。この当時の湊町駅からは101系の奈良行きと柏原行きが交互に発車していました。
今はほとんどが王寺行きのようですね。

 

配線図は
※1印・・・T.Mさん
※2印・・・KASAさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

 

王寺配線図、亀山配線図の記事にNZさんからご提供いただいた1958年6月の配線図を追加しました。

 

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 河内堅上配線図 | トップページ | 荷物列車 その4 »

コメント

管理人様、おはようございます。

柏原駅、これまた私の思い入れの深い駅ですね。もともと近鉄柏原線との貨物輸送を念頭に置いた配線でしたが、天鉄局時代の関西線電化にあわせて1番線を待避線、2番線を下り本線に入れ替えています。

柏原駅前市街地再開発事業に合わせた駅橋上化で、2面4線の緩急接続駅に改良できないか、散々検討したのですが、近鉄との共同使用駅の解消等が必要で、事業費が膨大となること、久宝寺駅の2面4線化が進められていること等から、配線変更はしていません。

しかし将来の2面4線化を見越して都市計画区域線を調整し、現在も下りホームと自由通路階段の間に将来の待避線用地が確保されています。

その後、線路下に大阪府道を建設する工事が進められており、上り本線から3番線へのP301イロの分岐器移設工事を2017年5月に実施しています。これも複心曲線中に片開き分岐器を設置する計画で、概略検討の段階では随分と頭をひねった記憶があります。

ところで、私の手元にも図面庫の資料整理の際に捨てられそうになっていた竜華操車場停車場平面図や百済貨物駅平面図などがございます。国鉄時代の古いものですが、こうした資料はPDF化してファイルでご提供することも必要かと思います。また個別にご相談させて下さい。

大変、貴重な資料の掲載ありがとうございます。
昭和40年代前半(1960年代後半)柏原駅の線路沿いに祖父母が住んでいた関係で、大変懐かしく思います。
同好の方々への記録の為にコメントさせて頂きました。
ご承知の通り、関西本線柏原駅は近鉄との共同利用駅で、近鉄道明寺線(旧河陽→河南→大阪鉄道)が乗り入れておりますが、当時、社線との貨車受け渡しの為、下り1番線の名古屋方に片渡り線があり、同じく1番線の湊町方に存在していた2線の貨物側線の間で、近鉄の凸型電機が入換を行なっていました。
(余談ですが、当時関西本線は未電化でしたが、上記理由の為、駅構内配線の一部は近鉄により電化されていました。)
本来ならば、1970年頃の配線図に(ご指摘の2番副本線への進路も含め)前述の渡り線が表現されていなければならないと思われますが、何故か省略されております。
更に古い時代(昭和30年頃)には、名古屋方に上下本線を連絡する渡り線も存在していた模様です。
(出典:『関西 電車のある風景 今昔Ⅰ』154ページ上段写真
著者:高山禮蔵氏、出版:JTB、2002年、ISBN4-533-04210-4 C2026)
なお、掲載の資料が運転関係者向けの線路図表であれば、省略もあり得ると考えます。
長文、大変失礼致しました。


>ホームのない2番線が下り本線となりました。
電化の際に中線スルー化して、通過線になりました。下り快速に乗っていますと、右カーブで入って左カーブに、そして直線、右カーブで出て、と、微妙にSカーブになっています。醍醐味のある車窓変化で、柏原通過中とすぐに分かりました。

再び、大和川と関西本線です。柏原から八尾にかけて、ながらかなカーブになっています。これは、旧大和川の川跡に建設された為との事。大和川が付け替えられた後、旧川跡は主に新田になり、明治の半ばまでそのままで、用地確保が容易だった為と思われます。国土地理院地図・空中写真閲覧サービスで、米軍撮影分の空中写真や、明治の地形図を見ますと、当時の様子を伺い知る事ができます。

関西鐡道時代柏原駅は相対ホームに貨車留置兼ねた中線が有る関西方面に於ける標準型の駅配線でした 唯柏原から大阪(湊町)方は複線ですので背向渡り線が有りました 下り方には河陽鐡道(河南鐡道を経て大阪鉄道現近鉄)が分岐しており柏原駅には三線の頭端線機回し線は無い構造の配線です 関西鐡道と河陽鐵道間に連絡用分岐で結ばれております其の儘関西鐡道上り線中線を経て下り線迄連続渡り線を設けていた当初河陽鐵道は関西鐡道に乗り入れる予定で此の様な配線になりました関西鐡道が国有化されたので河陽鐵道が大阪鐡道に社名変更後自社で大阪を目指す事になり現在の近鉄南大阪線を建設し阿部野橋迄開通させた 似た様なパターンに甲武鐡道国分寺から川越を結んでいた川越鐡道が後に山手線高田馬場迄新線を建設したのと同じ頃です
Oldman阪急様のコメント通り近鉄南大阪線関係の貨車授受は主に柏原駅でしたので其れ也に重要な駅でした

皆様、コメントありがとうございます。関西線に対する皆様の熱い想いが伝わってきます。

>柏原駅2面4線
多くの関係要素のバランスを取らなければならない配線設計の難しさが伝わってきます。

>社線との貨車受け渡し
他の駅でもそうなのですが、1970年頃の図は省略されているところが多くありそうなんですよね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 河内堅上配線図 | トップページ | 荷物列車 その4 »

過去の記事

2020年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ