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2020年8月 2日 (日)

荷物列車 その1

飯田線を北上している途中ではありますが、なかなかの長大路線ですのでちょっといったん一休み、ということで今回は荷物列車についてのお話です。

荷物列車の存在を身近に確認できるのは交通公社の時刻表でした。主要線区のページの一番最後に、旅客列車とは区切られ、「荷物列車」と表示されて掲載されていました。
Dsc_0008r

時刻表1977年3月号を見てみますと、東海道線や東北線などで合計41本の荷物客車列車を確認することができます。
しかしながら荷物列車はこれで全部か、というとどうもそういうわけでもなさそうで、関西線に荷物客車列車が運転されていたことは有名でしたが時刻表の関西線のページには荷物列車は掲載されていません。さらに言うならば子供の頃走っているのをよく見かけたクモニ13やキニ55だって立派な荷物列車のはずですが、これらも時刻表には掲載されていません。

そこで古い鉄道ピクトリアル誌を引っ張り出しました。1977年12月号、荷物列車特集です。
これには1977年3月の荷物客車列車の運転区間が掲載されており、全部で71本が確認できます。
ただし同誌には「1977年4月での荷物客車列車は92本」とも記載されており、4月で増えたのか、それとも3月時点でも71本以外にまだ存在するのかはよくわかりません。

とりあえずその71本をご紹介します。まず西日本です。
01tra
・列車番号が赤字のものは時刻表に掲載されている列車です。黒字のものは時刻表には掲載されていません。
・基本的には荷物の積み下ろしは旅客ホームで、もしくは列車から切り離されて旅客ホームの端の切り欠きホームで行われるものだと思っているのですが、始発駅や終着駅の場合は積み下ろしに時間がかかるせいでしょうか、たとえば東京駅や上野駅ではなく汐留駅や隅田川駅のように隣接する貨物駅で行われています。旅客列車に併結された荷物車の積み下ろしは東京駅や上野駅で行われますので、このあたりの守備範囲はややこしく、そしてまた興味深い気がします。
・宇野線や奈良線にも荷物列車、しかも客車列車として設定されているのはちょっと意外でした。
・荷40列車は隅田川行きですが、東北回送線経由でしょうか、それとも山手貨物線経由でしょうか。

次に東日本。
02trb
・中央線列車の名古屋駅と長野駅は熱田駅と北長野駅との説があります。
・荷2641列車は山手貨物線経由、荷2935列車は東北回送線経由らしいです。特に荷2935列車は結構有名な列車だったようですね。

それにしても時刻表に掲載される荷物列車と掲載されない荷物列車、何が違うのでしょう。
と言いますか、それ以前になんで時刻表に荷物列車が掲載されているのでしょう。

 

続いて、これも鉄道ピクトリアル1977年12月号に掲載されていたものですが、荷物列車の編成順序の一例をご紹介します。
汐留発鹿児島行きの荷31列車です。
31r
・汐留駅を11両で出発し、連結解放を繰り返しながら終点鹿児島駅には6両で到着します。汐留駅から鹿児島駅まで直通するのは5両です。他の荷物列車に継送される車両もあります。
・解結の多くは列車の先頭側で行われますので、入換作業は牽引機が行うのでしょうか。東小倉駅と鳥栖駅では列車最後部での解結ですので別の入換機が行うように思います。
・斜線が引かれている車両は締切扱車で、おそらく途中駅で荷物の積み下ろしを行わない車両と思われます。九州内では郵便車を除けば扱車は1両だけです。

 

最後に、以前の記事からの再掲になりますが、荷物客車列車の写真を改めてご紹介します。0119760314a03
・1976年3月14日、隅田川駅、荷1041列車です。

0219760329b01
・1976年3月29日、大阪駅、荷40列車です。

0319770310a09
・1977年3月10日、名古屋駅、荷38列車です。

0419770315a02
・1977年3月15日、芦屋駅、荷42列車です。

19770811d03_20200725215601
・1977年8月10日、長野駅、荷2047列車です。

0619780310b02
・1978年3月10日、尾張一宮駅、荷38列車です。

0719790830d10
・1979年8月30日、加古川橋梁、荷39列車です。

0819791202e17
・1979年12月2日、直江津駅、荷4048列車です。

0919851108a06
・1985年11月8日、盛岡駅、荷35列車です。

1019861000a01t
・1986年10月、宇都宮駅~岡本駅間、荷1031列車です。

 

次は客扱いする荷物客車列車について、別の機会にご紹介したいと思います。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

荷物列車が時刻表に掲載されるのは、その停車駅相互間では列車を指定して託送できるからです(指定料金あり)。
到着時刻がはっきりわかるメリットがありました。
それ以外の区間では「東京の〇〇駅に何時頃に持ち込めば
翌日の何時頃に着く」と経験で判断していました。
いまのように宅配荷物を頻繁に利用する時代ではなかったので、そんなもので十分だったのでしょう。

> 荷40列車
1977年であれば、東北回送線から隅田川へ直行するルートは無くなっていましたから、山貨経由でしょう。
昭和30年代なら東北回送線経由も可能でしたが、記事「三河島配線図」でIDIさんがコメントされている「三河島-隅田川間の平面交差の解消はS42.1.15」の際に、日暮里から常磐旅客線を通って隅田川へ入ることは出来なくなった筈です。

昭和47年10月2日訂補 の山貨のダイヤを見ていますが、荷2641列車が山貨経由を確認しました。
東京北局のダイヤなので、新宿〜田端操しか載っていませんが、いちおう通過時刻を書いておきます。
新宿  4:43
目白  4:47
池袋  4:49
巣鴨  4:54:30
田端操 4:58

見落としてなければ、このダイヤでの山貨経由の荷物列車はこの1本だけです。 

『昭和53年10月大改正 全国 国鉄列車ダイヤ』で、東北回送線のダイヤを見ると、なるほど荷2935列車が東北回送線経由なのがわかります。
東京駅通過が14時30分頃ですから、それは目立ったでしょうね。

同書で荷40列車を探してみましたが、印刷が悪い上に、5時から19時までしか掲載されていないという、資料性に乏しい本なので、東北回送線にも、山貨にも確認できませんでした。

昭和47年当時、時刻表の東海道本線上りページに記載された荷物列車は全て汐留行きでした。
変化があったのは昭和50年3月改正で、東小倉発品川行き荷40レが登場します。品川着は3:37でした。そして同年11月号に掲載された10.21訂補のダイヤで、40レは隅田川行き(品川は通過、隅田川着5:22)となっています。

隅田川発品川行き荷2935列車は白昼に東京駅を通る荷物列車で、EF15牽引でした。
品川で編成全車が汐留発熊本行き急荷35列車継承されます。そしてこの荷35列車が名古屋まで宮原区のEF58と浜松区のEF58の重連になるため、超有名でした。

途中駅の連結解結は、牽引機がやる場合と入換機がやる場合、どちらもありました。
添えていただいた荷31列車で説明すると、名古屋で名荷3のマニ(前から4輌目)を解結し、その位置に名荷5と名荷8のマニを連結しています。
牽引機が全部やると時間がかかるので、名荷3のマニまでを引き上げて、留置場所に押し込んで解放、金荷ワキまでを引き上げて戻す間に、入換機が名荷5と名荷8を編成前部に連結し、入換機が逃げた後に、牽引機が金荷ワキまでの3輌を増結した名荷5の前に連結と言った感じです。
あくまでも推測なので、この通りの作業ではないかもしれませんが。

NZさん
クモイ103さん

東小倉発隅田川行きの荷40列車ですが、1977年当時は品川で列車番号が荷2641列車に変わります。

品川〜隅田川間の荷物列車は設定上は荷2641列車と荷2935列車の一往復のみです。

「交通公社の時刻表」懐かしいです。独身時代、特にSL末期には毎月でなないものの頻繁に購入していました。いまは時刻表とはすっかりご無沙汰です。ところで掲載の時刻表において、荷物専用列車以外に目をやると、大垣夜行がグリーン車付き定期列車として健在で、これに乗って飯田線の旧国や樽見線のC11を追いかけた日々が懐かしいです。また銀河52号ですが下り列車にも拘わらず偶数番号です。(下り奇数、上り偶数となったのは1978年10月2日)。さらにいまでは考えられない静岡行きの臨時夜行がありますが、この列車の目的は何なんでしょう? 4時台に静岡に到着するようにするため停車時間を相当調整しているようです。

北東航21 さん、ありがとうございます。
ということは、時刻表では隅田川まで行くことになっている荷40列車が、実は本欄3個目のコメントでNZさんが書かれた荷2641列車と“同一人物”だったという、ミステリーの謎解きでしょうか。

>静岡行きの臨時夜行
手元に3月号がなく4月号の情報ですが、運転日は東京発4月30日・5月2日です。
基本的には大垣夜行の救済臨でしょうけど、この時代は静岡までのお客がたくさんいたのでしょうか。

クモイ103さん
そうです。品川→隅田川には荷40列車は存在しません。
50-3改正で、荷40列車の品川到着時刻が掲載されているとのことですが、東海道線の荷物列車は品川では荷扱しないので、品川は運転停車になります。

その時刻を誤って掲載してしまったために訂補で品川を通過扱いにしたと思います。ただ通過駅が終着というのは、おかしいので荷2641列車の隅田川到着時刻を終着にしたと思われます。

「昭和54年10月1日改正 東海道線列車ダイヤ」東京南局調整 を見ています。

荷40列車は廃止されてしまったのでしょうか? 見あたりません。
ただ、昨日見つけた荷2641列車のスジを引き継いでいるような列車がありました。

東小倉発横浜羽沢行の荷2030列車
沼津   23:49 発
横浜羽沢  1:38 着(7番)
機関車だけ単2030列車で新鶴見(鹿島田)へ。

荷1031列車
横浜羽沢    4:02 発 (7番)
新鶴見(前袋) 4:21 着 (3番)
同       4:41 発
大崎      4:57 通過
ここで、列車線が途切れています。

また、逆方向で、荷1032列車
大崎      2:27 通過
新鶴見(前袋) 2:46 着 (5番)
同       3:06 発
横浜羽沢    3:23:30 着 (10番)
という列車が設定されています。

*****

その他の汐留行き荷物列車は、列車線が鶴見で途切れていて、15分後くらいに、東京貨物ターミナルから汐留への線路に現れます。下りも同様です。
また、多くの列車が横浜羽沢に20〜30分停車しています。

東北回送線にも、列車は設定されていますが、荷2935列車はなくなっていました。

この当時は、荷電がかなりの本数設定されています。

昭和54(1979)年10月改正というのは、横浜羽沢駅が開業して首都圏での荷物列車の運転体系が大変革した節目でした。この時の前後でいろいろ比較してみるのも一興かもしれません。(私はついていけませんが…汗)
むかし、鶴見駅から東京方面へ向って右手に並行する貨物線が、やがて真新しい高架線となって離れていき、直角に交わる南武支線へ合流していくルートが開業したのをうっすら覚えていますが、この時だったのでしょう。

昭和51年10月1日改正 東海道線列車ダイヤ(平日) 東京南鉄道管理局調製 が見つかりました。
※欄外に (52・10・1) とあるので、昭和52年10月1日現行かもしれません。

この当時は、横浜羽沢はまだ開業していなくて、複々線は横浜ー平塚間です。平塚ー相模(貨)間は貨物線ダイヤでは2条のうち片方が点線、旅客線ダイヤでは2条に加えて点線の計3条という微妙な書き方です。

まず、荷40列車。この列車は普通列車なので、列車線が細線で紛れやすいですね。停車駅を拾っていきます。
沼津     23:49    発
三島       :56    着
         :57    発 
熱海      0:11    着
         :15    発
小田原     0:35:30 着(上1)
         :46    発
 相模(貨)から貨物線経由
新鶴見(前袋) 1:58    着(3)
        3:16:30 発
品川       :38    着(16)

続いて、荷2641列車
品川      4:09    発(16)
大崎       :14    通過
ここで列車線が途切れています。

*****

荷2935列車
上野    14:10:30 発
東京      :17:30 着(11)
        :35    発
品川      :43:45 着(12)

*****

品川ー横浜間の経由を見ると、
下り列車は急行荷物列車も普通荷物列車も旅客線経由ですが、上り列車は、急荷32列車、急荷38列車、そして荷40列車が品鶴線経由です。

和田洋「客車の迷宮」(交通新聞新書)に、荷物車運用番号からみた列車のリレー状況が記載されていて興味を引きました。
一例ですが「旭航1」は
稚内312ㇾ→小樽46ㇾ→函館2便→青森502ㇾ→京都
のようにですが、荷物車がいくつかの列車に継承されていく様は魅力的です。

ですが、これをまとめた資料にめくり逢えないまま、今日に至っています。
どなたか、ご存知でしたら資料名をご教示いただけないでしょうか。

既にご存知でしたら御容赦下さい。
「中央本線&64写真館」さんのサイト内で、資料館での主要客車編成表に荷物列車の編成も記載されており、可成り深く研究されておられるようです。
自身にとって荷物列車と言えば、山陽新幹線岡山延伸前頃、英賀保駅から右カーブを経て、夢前川鉄橋に駆け上がった EF58型牽引の荷物列車が鉄橋からストレートに下って来て、可成りの高速で、その先の淡いS字カーブに差し掛かると、カントが付いていたのでしょうか、若干編成を傾けながら通過して行く姿を遠目に見ていたのが、深く思い出に残っています。
当時の時刻表の荷物列車の記載と、修学旅行列車の記載には目が釘付けになったものでした。
今回も、懐かしさに包まれた記事を有難う御座います。

資料が出てきたついでに書いておきます。
「昭和47年3月15日改正 東海道線旅客列車機関車ダイヤ」東京南鉄道管理局 です。

各荷物列車の牽引機です。
荷31列車   浜松 EF58 仕業番5  浜松まで
荷33列車   浜松 EF58 仕業番1  下関まで
荷1031列車 宮原 EF58 仕業番3  京都まで
荷35列車   浜松 EF58 仕業番19 浜松まで
荷1033列車 宮原 EF58 仕業番13 京都まで
荷41列車   浜松 EF58 仕業番14 浜松まで

荷40列車   浜松 EF58 仕業番6  浜松から
荷32列車   浜松 EF58 仕業番1  浜松から
荷30列車   宮原 EF58 仕業番12 広島から
荷34列車   宮原 EF58 仕業番6  下関から
荷36列車   浜松 EF58 仕業番15 浜松から
荷42列車   浜松 EF58 仕業番4  広島から

荷2641列車 東京 EF10 仕業番入87
             品川ー隅田川(山手貨物)
荷2931列車 東京 EF10 仕業番86
             隅田川ー品川(東北回送)


速度種別と牽引定数
EF58牽引の各列車(除荷40列車)は、通客C2 55
荷40列車は、通客C1 60
荷2641列車は、通客E3 ケス不明
荷2931列車は、通客E6 ケス不明

※参考 ブルートレインは、EF65P牽引20系客車編成で特通客C2 48
12系及び14系客車編成では、EF65全機特通客C2 51

○荷40列車は、速度を抑えても牽引定数増やす輸送力列車のようです。
○浜松始発、浜松終着の荷物列車はありませんから、浜松で機関車の交換をしていたようです。
○下関までロングランしていた機関車もあったのですね。
○入87仕業は、隅田川到着後、隅田川構内の入換に従事します。ELで入換をしていたのですね。

皆様
詳しい情報をいただき、ありがとうございます。

刻苦七十年さん
>列車を指定して託送
そのような制度があったんですね。あまり知られていなかったのではないでしょうか。時刻表の営業ページにも書かれていませんし。

クモイ103さん
>荷40列車は山貨経由
そうですよね、線路配線のブログをやっていながらお恥ずかしい限りです(汗)。

SYKさん
>静岡行きの臨時夜行
東京駅は347Mの6分後に出発するのに静岡着は90分後(もしくは130分後)ですから相当な時間つぶしをしていますね。

ねこまるさん
全国の荷物客車の運用表、あったら是非見たいですね。機関車や電車はよく見かけますが、さすがに荷物客車は見かけない・・・。

E10さん
>修学旅行列車
そうですね、これも後ろの方にまとめて掲載されていましたね。

貨物列車の記事でも書きましたが、「一つの列車の定義」って難しいですね。列車番号が変わってしまうと一気に追跡が難しくなります(汗)。


ねこまるさん
荷物車の運用で有名なのは北東航1運用でしょうか。北スミのマニによる運用で以下の継走になります。昭和58年6月1日現在で、ジェー・アール・アール刊「国鉄客車ガイド」の国鉄客車運用表から拾いました。

隅田川荷35レ→青森翌青函153便→函館101レニセコ→札幌413レまりも3号→釧路翌441レ→根室442レ→釧路414レまりも4号→手稲翌荷1043レ→苗穂荷44レ→函館翌青函2便→青森42レ(仙台から荷42レ)→翌隅田川
行って帰ってくるのに6日かかります。

ある時点での荷物車の全運用表というのは私も見たことがないです。

ただ国鉄本社旅客局(または営業局)はダイヤ改正毎に「荷物列車編成順序表」を作っていたはずです(表紙は見たことがあります)。もしかしたらそこに運用表があるかもしれませんが、当時、中は見せてくれませんでした。

> 全国の荷物客車の運用表
というのは存じませんが、管理局単位の「客車運用表」はあります。研究者がアクセスできる身近な一次情報です。
和田洋氏が引用された「旭航1」の箱ダイヤの出どころも、おそらくどこかの局が作成した客車運用表だろうと思います。

管理局又は支社などが、おそらく主要な時刻改正の度に作成していたと思われます。
自局に所属する客車だけでなく、管内を走る全ての客車が対象で、例えば名古屋鉄道管理局のものにも急行「銀河」の運用が載っています。
これは現場的に必要だから収録していたのでしょうけれど、研究者にとっても都合が良いですね。
当然、荷物車や郵便車の1両ごとに独立した運用も、きっちりくまなく記されています。

私の場合、こうした資料は鉄道博物館のライブラリーで閲覧し、必要な部分を手で書き写しています。
さすがに全管理局の全時代のものは無く、散発的に所々あるだけですが、それでもかなりの量です。
ただし残念ながら、現在コロナ対策でライブラリーは閉鎖中です。
ねこまるさんのお住まいは存じませんが、もし鉄博へお越しになれるなら、再開したら一度探検に出かけられては如何でしょうか。

皆様、こんばんは。

昭和55年10月1日改正時の資料のみですが、

鉄道ファン1982年10月号(258号)
特集「バラエティ・トレイン 国鉄の荷物列車」

の31~42ページに、関 崇博さん作成の

「荷物列車(客車)編成パターン」

が掲載されています。

これが、もしかすると、北東航21さんが挙げられている「荷物列車編成順序表」から作成した資料ではないかと思われます。

すでに横浜羽沢開業後の資料ですが、東海道・東北連絡列車として、荷2631 荷2634列車もでております。

凡例が詳しく、私のような知識がない者にとってもわかりやすい資料だと思います。

編成内容については、運用番号、車種、車両ごとの発着駅が記されています。

「継承」については、列車番号または備考欄に書かれています。

一方、車両ごとにどのように解結され、発駅から着駅にたどり着くかは、表中の「途中解結駅」などから丹念に追っていく必要があるようです。

東海道・東北連絡の荷2631を例にとりますと、実際は横長の表ですが、

列車番号 

荷2631

運転区間(時刻)

横浜羽沢(16:25)→隅田川(18:33)

編成内容

北東荷260 ワサフ 羽(熊)→隅
北東荷61  マニ  羽(分)→隅
北東荷62  マニ  羽(鹿)→隅
キ(機関車)

最大編成 区間 横浜羽沢→隅田川
       両数 3

途中解結駅 空欄

備考     山貨経由

という具合です。

凡例から、「羽(熊)→隅」とは、当該車両が荷2631に連結されるのは、横浜羽沢~墨田川間であるが、、当該車両の発駅は熊本で、熊本~横浜羽沢間は、別列車に連結されていることを示しているようです。この別列車の列車番号等は、全表を自分でみて、個々に追っていくしかないようです。

北東航21 さん(良いお名前)、クモイ103 さん、コメントありがとうございます。
ナカナカ難易度の高い資料であることは良くわかりました。

鉄博にそのような資料コーナーあることも知らずにいました(てか、JRキライで大宮には行っていません)。
気軽に寄れる距離ではありませんが、日帰りヨユーなので、今度行ってみます。
皆さまとブログ主様に感謝。

↑ねこまるでございます。署名わすれました。

KASAさん
「荷物列車編成順序表」を所有している方がいたので、見せて貰いました。昭和53年10月改正版で、旅客局・運転局となっています。

線区毎に、各荷物列車の編成を横長の表で記載してあり、さらに右端に現車と換算両数の記載があります。おそらくKASAさんが転記していただいたものと一致します。

その後に列車毎に縦軸に運用番・形式、横軸に運転区間の表があり、各車の連結区間・荷扱いor締切の表があり、下部に牽引機関車形式・速度種別・定数・換算の記載があります。

ただ一部列車にはその表の枠外に、「(注)日銀(釧路、札幌、小樽、函館、青森)」という記載があります(例は隅田川発青森行き急荷35列車)。多分、これが当時見せてもらえなかった理由かと。日銀マニの連結位置の記載はありません。

ただ残念なことに荷物車毎の箱ダイヤはありません。

そして東海道・東北連絡の品川〜隅田川の荷2935と荷2641は前運用・後運用の記載で設定があることはわかりますが、それ自体の編成順序は掲載されていません。

ただこの53-10時点での東海道・東北連絡は、
東小倉→品川 急荷2030/品川→青森 急荷1031
青森→新鶴見操 荷1042〜急荷2031/新鶴見操→京都 急荷2033でマニ車8両が直通しています。

急荷2030の3両が品川→隅田川の荷2641に継承されています(北東荷60〜62)。同じ運用番の隅田川→品川が荷2935から急荷35に継承されて東海道を下っています。

ねこまるさん

今しがた確認しましたが、鉄博のライブラリーは今も閉鎖が続いているようです。こまめにHPを確認し続けるしかないですね。
はっきり言って、鉄博の入場者が多くても、ライブラリーだけは別世界でいつも閑古鳥の巣なので、再開しても問題ないようにハタからは見えるのですが。まあ、書庫の膨大な蔵書を消毒とか考えるとゾッとしますけど。

以下一般論:鉄博に触れたついでに。
「博物館」とは何なのか、知らない人が世の中に多いように思います。博物館自身もわかっていないのではないか、と思う場面も。

いちど「博物館法」という法律を見てみて下さい。検索すればすぐ出てきます。
第二条に、博物館の目的として「歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすること」と規定されています。
また第三条に列挙された「博物館の事業」の中に、「博物館資料を豊富に収集し、保管し、及び展示」とか、「一般公衆に対して、博物館資料の利用に関し必要な説明、助言、指導等を行い、又は研究室、実験室、工作室、図書室等を設置してこれを利用させる」といった事柄が書かれています。

私が言いたいことは、博物館の本質は教育・研究施設であって、レクリエーション施設ではない、ということです。第二条に「レクリエーション」という言葉が入っていますが、文脈をよく読めば、それは目的でなく手段の一例に過ぎないことが分かります。

鉄博ライブラリーの蔵書の多くは、鉄道省の鉄道博物館→国鉄の交通博物館から連綿と受け継がれてきたものです。いわば日本の鉄道の歴史に関する資料の総本山とも言える施設です。私はこのために年間パスポートを買っており、一度見たら済む常設展示は二の次なんです。(従ってライブラリーが再開されないと損失です…orz)
線路配線に関する資料をここで探したことがなく、あるのかどうかもわかりませんが、よろず鉄道の歴史に触れる研究を志す人は、(再開されたらですが)行けるなら行ってみてほしいと思うのです。

また長々と失礼しました。

クモイ103さま。
詳細なご説明ありがとうございます。
言われてみれば、古い資料写真などに「交通博物館蔵」みたいなクレジットを良くみましたから、引き継がれていて当然でしたね。

それにしても年間パスボートの熱意はすごいですね。感服いたします。

私も、再開の情報サーチしながら、訪れてみます。

皆さん、こんばんは。

鉄道ファン1982年10月号(258号)は、転居などのドサクサを生き延びたようで、今手元にあります。
この号は、「特集:荷物列車」ということで、KASAさんから紹介のあった「荷物列車(客車)編成パターン」以外にも「荷物車・郵便車オールガイド」という記事もあります。
あと、14ページ~30ページには関 崇博さん執筆の「国鉄荷物列車の現状」という記事も掲載されています。
この記事の中で、15ページに10枚ほどキャンプションなしで写真が掲載されていますが、この中に一枚だけ日銀マニが写って(しまって)います。
この記事には、北東航1・北東航21・北東荷61のみ運用の解説が箱ダイヤ的なものを用いて解説されています。

「併合閉塞」の回でお示しいただいた文献が手元になく、悔しい思いをしています。交通博物館に限らず、各地の図書館等で雑誌のバックナンバーが容易に閲覧できればいいのですが・・・。

皆様
>鉄道博物館のライブラリー
年間パスポートですか、クモイ103さんはスゴイですね。私も昔(神田時代)、何か資料をコピーさせてもらったような記憶が・・・。
なかなか根性がないもので、一般に市販されているような書籍やネット情報を頼りにしてます(汗)。

>鉄道ファン1982年10月号
最近落札しました(汗)。

>「併合閉塞」の文献
480042さん、コメント投稿時にメールアドレスを書いていただければコピーしてお送りします。

北東航21 さん

ご教示ありがとうございます。

隅田川駅を経由しない(急行)便があるのは興味深いです。

480042さん

あの日銀マニが写ってしまっている写真は、当時かなり問題になったとどこかで読んだ記憶があります。

日銀マニといえば、保存もされているようですが、コロナ禍下の現在、日銀本店の店内バーチャルツアーで、その模型が閲覧できるようです。日本車輛株式会社から寄贈された45分の1の模型のようです。

「おうちで、にちぎん」

https://www.boj.or.jp/announcements/education/ouchi.htm/

f54560zg さん
むかし神田の交博の図書室はコピーできた時代がありましたね。その後できなくなったのは、著作権法で複写が許可される法律上の図書館でないためと聞いたことがあります。このへんの事には詳しくないのですが、法律の“なわばり”があって博物館は図書館になれないのでしょうか。
現在の鉄博ライブラリーでも、書物のコピーはできません。ただし、マイクロフィルムの形で所蔵されている鉄道公報などは、フィルムリーダーにかけて閲覧(無料)すると同時にコピー(有料)ができます。ついついコピーボタンを押しまくって…(汗)

KASAさん
「おうちで、にちぎん」見ました。マニの模型も見つけました。最初にバーチャル画像で酔わないように注意と書いてあったのに、今ちょっと気分がすぐれません…

KASAさん
>おうちで、にちぎん
黒い帽子の方、ご苦労様です。

初めてコメントいたします。
西日本の表のうち、

1)荷2045列車の始発駅は京都、荷2046列車の終着駅は京都が正当です。

2)広島発大阪行の荷1032列車が抜けています。

以上です。

ゴハチ信者さん
ご指摘ありがとうございます。
お詳しいですね。今後もよろしくお願いします。

鉄博のライブラリーは、10月14日から再開されたようですね。但し「完全予約制」で、事前に電話が必要です。
私の年間パスポートは本来8月に有効期間が切れているのですが、コロナ休館期間分を延長する特別措置で11月まで使える筈なので、何とか時間を作って行きたいと思います。

なおライブラリーは「閉架式」で、原則的には閲覧申込書を書いて係員に奥から出してきてもらう方式です。
雑誌の最新号、時刻表の復刻版、それになんと日本国有鉄道百年史(!)などは開架で自由に閲覧できましたが、もしかしてコロナの影響で変わっているかも?

鉄博の年間パスポートは4回行けば元が取れますから、さほど「スゴイ」とも思っていません。
なんでも近隣の小さな子供を持つ親たちがよく利用するとか。

初めて書き込みします
懐かしい荷物列車の記事拝見しました、ありがとうございます
昔から荷物や郵便車はマニアからもマニアと思っていました
昔はフィルムも高価でモノクロでもなかなか変えまない時代
今のデジタルがあの頃あればと悔しい思いです
こんなものまで運んだ!日本の鉄道を購入し眺めています

 こんにちは。非自動閉塞に興味を持っていたら、こちらにたどり着きました。宜しくお願いします。
 国鉄末期にチャレンジ20000キロで乗りつぶしをしていました。
 そのころは、函館本線山線に40番台の夜行鈍行列車があり、長い二の後ろに2両だけハが付いていました。
 また、青森からの40番台の列車は時刻表上、八戸どまりだったが、荷物列車の欄の同じ列車番号の二は隅田川行きになっていた。そのまま東京まで乗っていきたかった。
 四国には高知発土讃線方面の夜行鈍行列車があり、車両間を移動して、荷物列車にたどり着いたら、ニレチさんが優しくて、高知まで二に乗せてもらったこともありました。
 東京から田舎に転居するときには、国鉄荷物に布団袋を運んでもらい、地元の駅に取りに行きました。
 以上とりとめもない思い出を書きました。のんびりした時代の思い出でした。

>こんなものまで運んだ!日本の鉄道
ホントに昔はいろいろなものを運んでました。今の若い方には想像できないでしょうね。

>高知まで二
貴重な体験ですね(笑)。いい時代でした。

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