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2020年8月26日 (水)

運転曲線 その2

基準運転図表(運転曲線)のその2です。今回は姫操→吹操です。

El1_20200821223701
・スタートの姫操は通過ですね。
・御着駅は停車と通過の2パターンで描かれています。
・速度種別は書かれていません。

El2
・例によって50~60km/hぐらいでの運転が続きます。

El3
・鷹取駅は停車です。
・神戸駅を過ぎたあたりで速度は33km/hぐらいにまで低下しています。

El4
・吹操に到着です。

時期についてですが、西明石~須磨間が複々線でないことから1965年3月以前と思われます。前回の下りと同時期であるとすれば1962年9月から1965年3月までの間でしょうか。

資料はNZさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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コメント

 なつかしい配線図です(年がバレます、もうバレていますね)
 須磨~兵庫の3線時代は短かったので時期は特定できると思います。
鷹取は下り貨物の着発ルートが省略されています。通過列車のルートは記憶にありません。
 神戸はホーム下り方に今も制限40kが残っています。R200の曲線と分岐器が曲線中に有るためです。
 平均速度が低いのものんびりしています。43-10以降は60~70k以上で走るのが普通になって、EF15が悲鳴を上げていました。 
 吹田操は本来の到着線ではなく、直通列車の着発線に到着しています。
 中間の電車駅にある「相」という信号機は「場内相当」の略で、閉塞信号機だけれど手動でも扱えるという信号機でした。
 実用面からは便利ですが規程面から問題とされて閉塞信号機に変更されました。したがって閉塞番号も変わっています。
 JR化のあと再び変更され、現在では0号閉塞と呼ばれています。閉塞番号ももちろん再変更です。
 この再変更の理由は運転士に駅接近を意識付けるためとされています。通過列車にとっては迷惑千万なことでした。
線路を跨ぐガードの記入があることから、乗務員用の現場資料であることがわかります。ガードと踏切は見落とすことのない目標ですから。
もうひとつ、制限速度の記入がありません。正式書式では図中に明記されてひと目でわかるようになっています。

C6217 さま

詳しい解説ありがとうございます。

この区間は、急勾配はありませんが、都市部の線路にまつわる事項が現れるわけですね。
鷹取で、一旦速度を低下させた後、再加速してから停止するような図になっていますが、ここも分岐器の速度制限が関係しているように思って見ていました。

閉そく信号機の名称は、大鉄局では「○号閉そく」というのでしょうか。東京では「第○閉そく」と言うようですが、このあたりはホームを「○番線」と言う東京と、「○号線」と言う大阪との文化の違いがあるようですね。
JR東になってから、東京近郊はATOSが導入されて、運転取扱駅ごとに閉そくの番号がリセットされるらしく、2桁番閉そく信号機がザラにあります。ATC進路には、20番台の閉そく進路標識も建っていました。(デジタル化されてどうなったのか未確認です)

たいへん貴重な図表の公開をありがとうございます。

NZさんとf54560zgさんに深く感謝申し上げます。

また C6217さんにおかれましては「相」という信号機についてのご教示ありがとうございます。恥ずかしながら、図表をみて「相」って何?と思っておりました。

図表に関しては無知なのでコメントはできませんが、やはり須磨~兵庫間が3線であることについて、非常に興味を持ちました。

当初は、単に、下り列車線が省略されているだけと思ったのですが、須磨駅の列車線の線路番号が5番線ということで、省略されているわけではないと確信した次第です。

f54560zgさんがすでに記事にされている「須磨配線図」

http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-8100.html

などを見直しますと、昭和33年の図面では、須磨~兵庫間が4線化されており、これはやはり「フライング」だったのでしょうか?当該記事ですでにf54560zgさんが問題提起されていますが、あらためて疑問に思いました。

あと、細かいことで恐縮ですが、線路番号が、昭和33年には、列車線側から1~6番線となっているのに対して、昭和41年には、電車線側から1~6番線となっています。

今回の公開いただいた図面も電車線側から1~5番線となっております。

この線路番号の振り直しは、複々線化に備えたものとも考えられますが、西明石駅などは複々線化後も列車線側から1~6番線となっていますので、須磨駅の場合は、昭和38年の駅舎改築(橋上化)と関係しているのかなとも推測しております。


NZさん、

>2桁番閉そく信号機

総武緩行線などは顕著ですよね(笑)。一方、分岐器がなくても、運転取扱駅の(総武緩行線)市川駅では、場内・出発信号機があり、閉そく番号がたしかにリセットされていますね。

長々と失礼しました。

須磨の番線は列車線側から1~で変わってないと思います。別件で1970・1971年に列車から1~だった記憶があります。無責任な想像では信号扱所の位置で勘違いとか?
 須磨~兵庫の3線のとき、下り通過列車は下り線(後の電車線)を通っていました。ただし鷹取停車の列車は兵庫から後の列車線に入り、鷹取進出は上り電車線と平面交差でした。
 鷹取の進入の力行は速度低下後の上り勾配のためです。旧型貨車は停車駅に進入のとき、35km/hに落とすことに定められていました。分岐制限とは関係ありません。
 旧型貨車はブレーキ力の調整が困難で高速からの停車は現実に不可能でした。だいたい積車と空車の切換すら無かったのですから。
 そのためにとにかく35に落とし、ソロソロと様子を見ながら停車ブレーキを使用していました。
 閉塞番号が20いくつというのは線路図を見るのは楽ですね。最近の0閉塞方式は電車駅ごとにリセットされるので位置表示が煩雑になりました。
 これは外側線と内側線の閉塞番号を揃えているためです。揃える理由はいつでも振替運転ができるため。
 前には記しましたが、この揃えのため130km/hの新快速も信号機間隔が平均500mの区間を目まぐるしく走っています。

 鷹取に客車列車が停車すること。これは国鉄部内の労使関係によるもので、鷹取工場勤務の社員の通勤のためです。後に113系快速となっても停車が続けられていました。
 こんな労使協定は沢山ありました。勤務時間内の入浴は有名ですね。真黒に汚れる職場ではどちらが常識でしょう?

C6217さん、詳しいご教示ありがとうございます。

信号扱所の位置というのは可能性としてあると思いました。

鷹取(神戸貨物ターミナル)~須磨間で下り列車線から上り電車線と平面交差して下り列車線に出るというルートは須磨海浜公園駅を過ぎたところに線路配置上はいまでも渡り線が残っていますね。

須磨~兵庫の3線時代があったという知識が得られましたので、その時期など、検索していきたいと思っております。

あらためて、NZさん、f54560zgにも感謝申し上げます。

細かいことで割り込んでしまって申し訳ありませんでした(汗)。

>須磨~兵庫の3線時代
C6217さんがおっしゃっている通り下り貨物の着発ルートは省略されているようですので、下り列車線も同様に省略されているものと私も思っていました。
しかしながらKASAさんご指摘のように須磨駅の列車線の線路番号が5番線になっていますので???となってしまいました(汗)。
実際、3線時代というのは本当にあったのですね?

3線時代の期間は記憶がおぼろですが、複々線工事のうち須磨~鷹取が早期に完成したので使用開始したものです。
 鷹取の貨物上り進入から兵庫までは以前から鷹取停車の貨物列車が使用していましたから、須磨~鷹取の僅かの区間の追加で須磨~兵庫の上り2線化が完成したわけです。
 鷹取の下り進出→電車線はルートが生きているのか興味津々です。資料よりもカブリツキで確認したいですね。
 もうひとつ、鷹取~兵庫の連絡線(和田岬へのルート)が鷹取入口で下り列車線とクロスしていますが、兵庫西側で連絡線が高架へ登るとき下り列車線の内側へもぐり込んでいれば避けられたのにと残念です。何の支障があったのでしょう。

>鷹取~兵庫の連絡線
そうですね、おっしゃる通りそうすれば支障がなくなりますね。まあ、何らかの事情があったのでしょうけれど・・・。

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