« 半田・東成岩配線図 | トップページ | 飯田線配線図 その1(豊橋~豊川) »

2020年7月26日 (日)

武豊配線図

武豊線の最終回、終点の武豊駅です。

1965年2月(?)
05196502
・武豊駅と武豊港駅の歴史は、
1886年3月 武豊駅開業。
1892年6月 武豊駅が大府駅方に移転。
(Wikipediaには旧武豊駅は構内扱いとして残ったと書かれています。)
1915年2月 武豊駅より分岐する海岸支線で貸切扱貨物の取り扱いを開始。
1930年4月 海岸支線廃止、同時に武豊港駅開業。
1965年8月 武豊港駅廃止。
となります。この時点では武豊港駅は独立した停車場として存在していたようです。

1978年9月
05197809
・これは以前ご紹介したものです。
・日本油脂線は、専用線ではなく専用鉄道っぽいです。距離も長いですし。そうであればどのような閉そく方式がとられていたのでしょうか。
・専車以外の車扱貨物の取り扱いは1975年11月に廃止されました。
・「ルーブル側線」というのが気になります。

1983年4月
05198304
・大きくは変わっていません。

1990年8月
05199008
・側線が一部撤去され、本線は1線だけになってしまいました。
・専車の取り扱いは1984年1月に廃止されています。

1997年3月
05199703
・上り3番線が行き止まりになりました。

2006年4月
05200604
・すべての線路が行き止まりになりました。

未公開写真をいくつか。
19791224d07
・1979年12月24日、大府方からです。

19791224d05

19791224d04
・武豊駅本屋です。

 

こちらの記事もご覧下さい。
 武豊 1979/12/24

 

配線図は一部を除きT.Mさんよりご提供いただきました。
ありがとうございます。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 半田・東成岩配線図 | トップページ | 飯田線配線図 その1(豊橋~豊川) »

コメント

貴重な配線図をありがとうございます。

日本油脂線の閉そく方式ですが、

「世界の鉄道 ’69」(朝日新聞社刊)の巻末(184~189ページ)にある

「日本の私鉄専用線電気機関車使用路線一覧」
(1968年3月末調べ)

をみますと、「日本油脂武豊工場」の閉そく方式欄は、空欄になっています。ただ、「なし」と明記されている専用線・専用鉄道もあるので、今一つ、はっきりしません。

一方、鉄道ファン1979年3月号(通巻第215号)の130~131ページにある記事

「日本油脂専用線近況」(名取紀之)

によると、「本線は直流550Vシンプルトロリー式で、閉塞はなく・・・・」

と明記されています。さらに同記事によれば、国鉄駅に一番近い第一工場内で、専用線関係の業務を掌握していたとあります。

武豊港の貨車用ターンテーブル現地に復元保存されておるのは喜ばしい事です 鉄道施設の保存はなかなか難しいものです 各地の貨物駅に有ったジブクレーン 門型クレーン テルハ 貨車トラバーサー ターレットカー 貨物滑り台 小型アント 貨車移動用バール等 何時の間にか消え去りました

武豊駅の日本油脂武豊工場専用線は全長約2㎞引き込み線規模ではなく専用鉄道レベルでした 工場通勤用や工場間人員輸送に好ましい小型のボギー電車を運行していました(総括制御でクハもありました) 確か津島軽便堂ホームページに日本油脂武豊工場専用線の画像がアップされてます

yyoshikawaさんがご指摘になられた「津島軽便堂」ホームページの日本油脂専用線(http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/JNR-taketoyo/nihon-yushi.html)を見てみました。このページで人員輸送用の電車の素性について、参考になる「ローカル駅の坪庭」というページの日本油脂専用線 (http://teramatiisejosai.travel.coocan.jp/nihonyusi.html)にリンクが張ってありました。

皆様
情報ありがとうございます。
>専用線と専用鉄道
両者の違いは、後者には閉そくと信号があることだと思っているのですが・・・違うのでしょうか?

>日本油脂専用線
ホーム上の線路、感動しました。

うちにも世界の鉄道'69ありますので、急いで確かめたらKASAさんの云われる通り、閉塞欄は空欄でした。
専用線の跡地は、知多武豊駅の南方で名鉄河和線をくぐり、武豊駅から日本油脂の工場敷地まで、GoogleEarthで見ればわかる程度に残っています。
あと、武豊町立の児童文化館の前庭に、ちびELとおもちゃのような電車が保存されていましたが、残っていますかね?

bad.Ⅳh-95さん
「空欄」ということは、「特になし」ということなんでしょうね。

話は変わりますが全盛時代の三井三池専用鉄道規模としては日本油脂武豊工場専用鉄道よりも線路延長が長く大牟田市を半周し各炭鉱と科学工場等をめぐる為通勤等用に63電車擬きトレーラーを凸型電気機関車が牽引してました
嘗ての満州の撫順炭鉱専用鐡道も露天掘り関係の通勤用に電車運転してました 独特な切妻電車モニタールーフ木造電車不気味な姿の鋼製電車等がありました 中国に移管後旧満鐵ジテ改造電車が活躍してました

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 半田・東成岩配線図 | トップページ | 飯田線配線図 その1(豊橋~豊川) »

過去の記事

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ