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2020年6月22日 (月)

循環列車(1968年10月)

以前急行「陸中」号という記事をご紹介しまして、その中でこの列車は「通しでの乗客は想定していない」といったようなことを書きました。仙台駅と秋田駅を釜石線・山田線・花輪線経由で結ぶわけですから当然そうであろうと思います。
そのような「通しでの乗客は想定していない」列車は他にもいろいろありそうですが、その最たるものが始発駅と終着駅が同一である、いわゆる循環列車ではないでしょうか。列車というものが移動の手段であるならば特異な列車であることは間違いありません。
そこで今回は時刻表1968年10月号から全国の循環列車を拾い出してみました(但し山手線と大阪環状線は除外しました(汗))。

実際に拾い出せたのは以下の地図(googleマップを加工)で示す6系統+オマケです。すべてDC急行です。
22r_20200621150301

 最初に急行「いぶり」。
01r
・灰色部はスイッチバックする駅を表します。
・始発・終着は札幌駅で、出発した方向とは反対の方向から戻ってきます。途中倶知安駅でスイッチバックしますので、戻ってきた時の車両の向きは出発時とは逆になります。
・胆振線内は単独列車ですがそれ以外はすべて他列車との併結です。函館線では「らいでん」、千歳線・室蘭線では「ちとせ」「とうや」との併結になります。列車番号が頻繁に変わるのもそのためですね。
・外回りも内回りも列車名は同じです。そのため札幌駅では10時25分(外回り)と12時10分(内回り)に、同じ「いぶり」という名前の始発列車が互いに反対となる方向に発車していきます。また胆振線の喜茂別駅では外回り札幌行き「いぶり」と内回り札幌行き「いぶり」が交換します。誤乗を防止するため旅客案内には工夫をしていたんでしょうね。

 

続いてしげぞう@さんにこの記事を作成中であることがバレた(?)急行「そとやま」「五葉」。02r
・列車名は外回りと内回りで別の愛称になっています。
・始発・終着は盛岡駅で、出発した方向とは反対の方向から戻ってきます。途中花巻駅と釜石駅でスイッチバックしますので、戻ってきた時の車両の向きは出発時と同じです。
・全区間単独列車として運転されています。

 

続いて急行「そと房」「うち房」。
03r1
・これはほかの循環列車とはちょっと毛色が違いますね。時刻表上は、列車名も列車番号も異なる列車が安房鴨川駅で接続するように書かれており、一見すると直通する循環列車のようには見えません。しかしながら時刻表の欄外にはさらりと『「うち房号」と「そと房号」は房総西線から房総東線へ直通運転します。』『「そと房号」と「うち房号」は房総東線から房総西線へ直通運転します。』と書かれているんです。ですのでこれを信じて循環列車の仲間に加えました。
・「そと房」「うち房」は季節列車を含めてそれぞれ9往復の運転ですが、このうち循環するのはそれぞれ5往復です(つまり外回り5本、内回り5本)。また外回り・内回り各3本は安房鴨川駅~館山駅間が普通列車となります。
・循環列車の始発・終着は新宿駅または両国駅で、外回り・内回り各2本が新宿駅発着、残り各3本が両国駅発着です。出発した方向とは反対の方向から戻ってきますが、途中大網駅でスイッチバックしますので戻ってきた時の車両の向きは出発時と同じです。
・各循環列車とも新宿駅または両国駅~蘇我駅間は2回走行します。
・ややこしいのは、外回り3本と内回り3本は新宿駅または両国駅と千葉駅間で併結となることですね。出発間もなくして千葉駅で別れた相棒と、房総半島を一周した後に千葉駅で再会して一緒になって帰ってくるんです。
例えば「そと房7号」と「うち房7号」の場合で言えば、
①新宿駅を「そと房7号」と「うち房7号」を併結した状態(209D)で出発し、
②千葉駅で分割され(「そと房7号」は209D、「うち房7号」は109D)、
③蘇我駅までは5分間隔で続行運転し、
④蘇我駅で「そと房7号」は房総東線へ、「うち房7号」は房総西線へと別れ、
⑤先に安房鴨川駅に着いた「そと房7号」(209D)は列車名を「うち房9号」(112D)に変え、
⑥江見駅で「うち房9号」と「うち房7号」はすれ違い、
⑦後から安房鴨川駅に着いた「うち房7号」(109D)も列車名を「そと房9号」(212D)に変え、
⑧蘇我駅からは同じ線路を4分続行で走り、
⑨千葉駅で「そと房9号」と「うち房9号」は併結され(212D)、
⑩終点の両国駅に到着
といった具合いです。
・その後1969年の千倉電化によって房総西線列車が電車化されたため循環運転は廃止されましたが、房総東線も電化された1972年には電車の循環列車として復活しました。この時は大網駅のスイッチバックが解消されていたため、戻ってきた時は車両の向きが逆になっていました。
・急行料金はどうなっていたのだろう・・・。



続いて急行「のべやま」「すわ」。
04r
・列車名は外回りと内回りで別の愛称になっています。
・始発・終着は長野駅で、出発した方向から戻ってきます。途中小淵沢駅でスイッチバックしますので、戻ってきた時の車両の向きは出発時と同じです。
・長野駅~篠ノ井駅間は両列車とも2回走行します。
・全区間単独列車として運転されています。

 

続いて急行「こがね」「しろがね」。
05r_20200622191401
・列車名は外回りと内回りで別の愛称になっています。愛称の由来は何なのでしょうか。
・始発・終着は名古屋駅で、出発した方向から戻ってきます。途中米原駅と富山駅と岐阜駅でスイッチバックしますので、戻ってきた時の車両の向きは出発時と同じです。
・名古屋駅~岐阜駅間は両列車とも2回走行します。
・全区間単独列車として運転されています。
・今回ご紹介する中ではもっともスケールの大きい循環運転で、おおよそ570kmを10時間かけて走ります。

 

続いて急行「ひまわり」。
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・最も循環列車らしい愛称かもしれませんね。
・始発・終着は別府駅と大分駅で、厳密には始発・終着は同一駅ではありません。
・出発した方向とは反対の方向から戻ってきます。途中小倉駅でスイッチバックしますので、戻ってきた時の車両の向きは出発時とは逆になります。
・外回り「ひまわり」・内回り「ひまわり」とも大分駅~小倉駅間で門司港編成との併結になります。この門司港編成も列車名は「ひまわり」です。加えて外回り「ひまわり」は宮地駅~熊本駅間で「火の山3号」との併結になります。
・別府駅~大分駅間は外回り「ひまわり」・内回り「ひまわり」とも同じ方向で2回走行します。ですので時刻表の日豊線下り及び日豊線上りのページには同じ列車が2か所に掲載されるています。これは珍しいですね。
・豊肥線の肥後大津では外回り大分行き「ひまわり」と内回り別府行き「ひまわり」が交換します。これも間違えそう・・・。
・外回り「ひまわり」(別府発大分行き)は大分駅を発車するまでは、内回り「ひまわり」(大分発別府行き)は別府駅を発車するまでは、それぞれ「大分行き」「別府行き」という旅客案内は封印でしょうね。

 

オマケでもう一つ、急行「フェニックス」。
07r_20200622191501
・循環列車ではありませんが、「通しでの乗客は想定していない」列車であることは間違いないかと。
・宮崎駅と西鹿児島駅を小倉駅経由で結ぶこの列車、およそ725kmを12時間30分かけて走ります。この2駅間は普通に日豊線都城駅経由であれば126km、急行で2時間30分です。
・ところでこの急行「フェニックス」、小倉駅でスイッチバックするのですがその際に列車番号が変わらないんです。列車番号は鹿児島線内で下り方向が奇数、上り方向が偶数に設定されていますので、日豊線内では下り方向が偶数、上り方向が奇数の列車番号で延々と走ります。ちょっと大胆ですね。

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コメント

 上り下りの列車番号のこと。私にとって身近なのは北陸線列車が湖西線を経て山科から大阪へ向かうときです。
 番号を変えるのかと思ったら北陸の番号のまま大阪へ直通しています。
 現場で聞くと、番号の前に必ず「上り・下り」を冠するそうです。つまり「上り501列車」と。
 では、北陸から山陽へ直通するときは? 岡山発・糸魚川行のスキー臨がありました。

昭和47年頃ですが、季節臨時の急行で「アルペン」てのがありましたね。

1号が、大阪1038→米原→(北陸線)→直江津→(信越線)→2025長野2035→(中央西線)→名古屋→(東海道線)→米原→541大阪。

2号が、その逆回り。大阪2230→816長野829→1845大阪。

名前からして、スキーや登山客向けだったのだと思います。

管理人様 皆様 こんばんは。
なるほど、バレたと言うのはこの事だったのですね(笑)
ここに挙げられた列車は勿論一度も乗車したことはないのですが、小学生の頃に読んだ本に、「いぶり」「そとやま」「五葉」が載っていて、変わった列車だなぁ…と思った記憶が有ります。この3列車ならもしかしたら乗る事は可能だったのですが、生憎そんな機会には恵まれませんでした。
「いぶり」だけは、単独運転時、1両編成だったかと思います。
今もこのような列車が存在していたら、面白いでしょうね。

しろがね号・・・高山先着なので、雪を頂いた北アルプスのイメージで、白銀。
こがね号・・・金沢先着なので、加賀百万石のイメージ。稲穂を意識して、黄金。
のようです。

「こがね・しろがね」「ひまわり」は数年で循環運転しなくなります。
残った「いぶり」「そとやま・五葉」「すわ・のべやま」は48-10改正でも残っていますが、これらは自由席のみの急行列車です。

房総は電車化で「なぎさ(内房先回り)・みさき(外房先回り)」で普通列車となる館山ー勝浦間を挟んで前後で同じ列車名を名乗ります。ただし列車番号は普通から急行になるタイミングで変わります。

例;
新宿ー101M急行なぎさ1号ー館山ー282Mー勝浦ー202M急行なぎさ1号ー両国

これらの房総循環急行は指定席はなく、自由席グリーン車のみ連結です。

「こがね・しろがね」「ひまわり」が分割されたのは、この運行形態だと指定席をマルスに収容できないというのもあったと思われます。

C6217さん
>岡山発・糸魚川行のスキー臨
当時の時刻表を見てみましたが、行きは奇数、帰りは偶数で書かれていました。但し付録のページなので列車番号の変更が省略されているかも。

ねこまるさん
>アルペン
なぜこれを1本の列車にするのでしょうね。

しげぞう@さん
一瞬ドキっとしました。

bad.Ⅳh-95さん
なるほど、北アルプスと加賀百万石ですか。

北東航21さん
指定席のある循環列車はマルスとの関係もあるんですね。


皆さん、こんにちは。

ねこまる様
>アルペン
>なぜこれを1本の列車にするのでしょうね。

当時の鉄道ジャーナル誌にアルペン2号の乗車ルポが掲載されていました。(大阪発の先に夜行 内回りルート) 12系客車だったようです。
一周させた理由として、「長野で客車留置ができなかった」というようなことが書かれていたと記憶しています。
 

皆さん、こんにちは。

C6217様 上り下りの列車番号のこと。
JR西日本 大阪地区では、上り下りが混在しているのが現状です。

阪和線:天王寺→和歌山方面が下り
関西線:JR難波 天王寺→奈良方面が上り
大阪環状線:内回りが下り

大阪駅で電車を待っていると、環状内回り(下り) 桜島線直通(下り) 関空紀州路快速(下り) 大和路快速(上り)が15分サイクルで運転されています。


たまたま片町線が木津→京橋方面が下りだったので、そのままJR東西線から福知山線や山陽線に下り列車として直通できているのは幸運だったのでしょう。
乗務員氏にとって、乗務途中に列車番号の奇数/偶数が変わるのは、混乱の元になるのではないでしょうか?

480042さん
列車番号だけでは列車の進行方向がわからないというのは駅員さんにとっても悩みですね。

>全区間通しの客は
ちょっと前のピクトリアル誌に往年のDC急行特集がありましたが、そのなかで、しろがね号、こがね号向けに岐阜から岐阜まで、の環状乗車券が常備されていた写真が出ていました。
3日か4日くらいの通用期限で、岐阜市周辺のアパレルメーカーの営業さん達が重宝していたようで。

bad.Ⅳh-95さん
>全区間通しの客
そのテの方々以外にもいらっしゃるものなんですね、失礼しました。

現在発売している「鉄道ピクトリアル」の2022年3月号に「国鉄の気動車循環急行あれこれ1」が掲載されています。

「いぶり」は運転開始時の列車編成順序が掲載されており、室蘭・千歳線内では両ホロで連結されていた(気動車は通常片ホロ)ことがわかります。

ただ本文に「倶知安と伊達紋別で列車の進行方向が変わり、札幌到着時にはもとに戻る。」と誤記されていますが。

北東航21さん
続きが楽しみですね。
旭川という循環列車は知りませんでした。

「旭川」は、1962年5月から1968年9月末まで運転された列車で、1966年3月には急行に格上げされました。『旭川→遠軽→名寄→旭川』で循環運転していました。キハ22の単行運転だったようで、上下とも旭川~名寄間で「礼文」と併結していました。趣味で乗る以外は、全区間乗り通す客は無いでしょうね。

「旭川」、結構さいはての循環列車ですが、需要があったのでしょうか。

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