« 猊鼻渓・柴宿・摺沢・千厩配線図 | トップページ | 鹿折・上鹿折・陸前矢作・竹駒配線図 »

2020年6月16日 (火)

小梨・矢越・折壁・新月・気仙沼配線図

大船渡線の第3回目です。

まず小梨駅。
1977年4月(※1)
09197704
・ほぼ棒線駅ですが、かつては交換設備があったのかもしれません。

1987年3月(※2)
09198703
・常時鎖錠の分岐器がなくなりました。

2000年7月(※2)
09200007
・変化はありません。

 

続いて矢越駅。
1977年4月(※1)
10197704
・棒線駅です。

1987年3月(※2)
10198703
・変化はありません。

2000年7月(※2)
10200007
・変化はありません。

 

続いて折壁駅。
1977年4月(※1)
11197704
・交換可能駅です。
・不思議なのは通過信号機が設けられていないことです。時刻表1977年3月号を見ると、急行「むろね」や「からくわ」は折壁駅を通過しているんですよね。図の記載ミス? 運転停車? それとも特殊な取り扱い?

1987年3月(※2)
11198703
・信号機が色灯化されましたので、これなら通過ができますね。

2000年7月(※2)
11200007
・変化はありません。

 

続いて新月(にいつき)駅。
1977年4月(※1)
12197704
・棒線駅ですが、この駅も昔は交換設備があったのでしょうか。

1987年3月(※2)
12198703
・変化はありません。

2000年7月(※2)
12200007
・変化はありません。

 

最後に気仙沼駅。
1977年4月(※1)
13197704_20200614214701
・本線は全部で4線です。一ノ関方から進入できるのは下り本線と下り2番線、本吉方から進入できるのは気仙沼本線と下り2番線だと思います。盛方から進入できるのは上り本線と下り2番線のようです。
・一ノ関方に出発できるのは上り本線と下り2番線、本吉方に出発できるのは気仙沼本線と下り2番線、盛方に出発できるのは下り本線と下り2番線だと思います。
・本屋の盛方の「気1」「気2」は何? 気動車庫?
・転車台は描かれていません。昔の空中写真を見てもよくわかりませんでした。そうは言っても転車台がなかったはずはないと思います。「下貨」「庫」あたりがアヤシイと思うのですが。

1987年3月(※2)
13198703_20200614214701
・信号機が色灯化されました。進路も一ノ関方→上2、気仙沼方→下本、上2→一ノ関方、上本→前谷地方、上2→盛方、盛方→上2が増えています。
・誘導信号機も設けられています。
・第1種連動装置になったので入換標識も設けられています。

2000年7月(※2)
13200007_20200614214701
・側線はかなり整理されてしまいました。
・入換標識はすべて入換信号機との共用になっています。列車用の誘導信号機はなくなりましたが車両用の誘導信号機が設けられています。

 

配線図は
※1印・・・3RT生さん
※2印・・・KASAさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 猊鼻渓・柴宿・摺沢・千厩配線図 | トップページ | 鹿折・上鹿折・陸前矢作・竹駒配線図 »

コメント

 折壁駅の通過信号機のこと、規程で「通過手信号」という用語がありました。この場合は関係あるのでしょうか?

大船渡線の話題からそれてしまいますが、天北線の敏音知駅など通過信号の設置がない所では、手信号で通過列車を通していましたね。ホームの上で駅長さんが緑の手旗を掲げる脇を、急行「天北」がタブレットを授受しながら通過する姿が印象的でした。

f54560zgさん、こんにちは。
長らくご無沙汰しており申し訳ありません。
(COVID19関連で動きがとれなくなっております・・)
こうして公開いただきますと新たな発見があり、また多くの皆様からのコメントで大変勉強になります。ありがとうございます。

さて、「通過手信号」を用いていたことには間違いないと思います。「通過手信号現示位置」の表示のある場所で手信号を現示するのですが、駅長さん一人だけ出面の閑散線区では、駅長が通票受柱の所で通過監視をして、青のフライ旗がホーム柱のホルダーに挿してあるだけ、の所もありました。

C6217さん、たまさん
情報ありがとうございます。そうですね、手信号という手がありましたね。失礼しました。

3RT生さん
お久しぶりです。3RT生さんからご提供いただいた配線図をご紹介させていただいております。重ねてお礼申し上げます。

鶴見線以来ご無沙汰しております。
通過手信号、懐かしいです。

そこで思い出したのは1980年ころ、いまだ通票閉そく式だった八高線拝島で、通過の下り貨物列車(セメント返空)に対して、やはり八王子方ホームの端で通過手信号を駅長が現示していた記憶があるのですが、そのころの拝島はすでに色灯信号機化されていたはずで、現示していた手旗も緑ではなく白旗だったような気がします。

可能性があるとすれば、東福生へのタブレット授器はそこから60メートルくらい先にあった運転事務室付近にあり、下り列車が進入する際はカーブやこ線橋により機関士から見にくいため、通過タブレットが授器にセットされていたことを示す単なる合図だったのかもしれません。

どなたか詳しい方がおられましたら、ご教授願います。

ちなみに、通過時刻は15:56頃でした。通学帰りの青梅線が時間調整停車しているうちに、通過していくので、よく見ていたはずなのですが、肝心の旗の色が思い出せません・・・・・・。

牛福羽作@羽村さん
もし白色旗を使用していたのであれば、おそらく停止位置指示合図ではないかと思います。列車に対して停止する位置を指示するものですね。
白色旗を使用する鉄道信号は多分これしかないのではないかと思うのですが・・・。

何気に見つけて拝見しましたので。本屋盛方の気1,2は気動車庫です。

気仙沼線がまだ全通前で本吉止まりだった頃、大船渡線は一ノ関所属の車両のみ使用に対して、気仙沼線は小牛田の車両のみを使ってまして、その小牛田車は大船渡線定期列車にも使ってなかったんで(入出区回送もなかったみたい)小牛田車の一部が気仙沼に常駐みたくなってたはずです。

気仙沼線全通後、小牛田入出区がやりやすくなったんで、この車庫は取り壊されました。

通りすがりさん
情報ありがとうございます。
本吉までの気仙沼線は盛鉄局なのに仙鉄局の車両で運用されていたんですね。さながら小牛田運転区気仙沼派出、といった感じでしょうか。

昭和の鉄道員さんのブログで、通票授受しながら飯田線駄科駅を通過する急行伊那の画像が上がりました。
https://shinano7gou.at.webry.info/202005/article_27.html

ホームで緑赤のフライ旗を持つ駅長か助役が見えます。
受器の外方で、赤を絞って緑を表示している手から先の部分が写り込んでいます。

手元の飯田線線路図(昭和52年)を見たところ、
駄科駅には通過信号機は設置されていませんね。

飯田線全駅に通過信号機がないかというと、そうでもなくて、たとえば大嵐駅や門島駅には通過信号機が設置されています。

NZさん
昭和52年の大嵐駅というと佐久間ダムの付け替え後ですから、豊橋方の場内信号機は大原トンネル(延長5,063m)内でしょうか。

>北東航21 さん

下りの場内信号機は、1L(本線)、1R(行違線)とも80K292Mで大原トンネル内に、
上りの場内信号機は、4L(本線)、4R(行違線)が同一柱で81K132Mで第一大嵐トンネル内に、
設置されているように書かれています。

Wikipediaの写真と比較してみると、小和田方への出発信号機は移設されているようです。手元の線路図ではトンネル内にあるように書かれていますが、写真ではトンネルより手前に設置されています。

NZさん、ありがとうございます。
トンネル内、さぞや蒸気時代は見難い、と思ったんですが、飯田線にそんな時代はなかったです(笑)。

北東航21さん
ご紹介ありがとうございます。いい雰囲気の写真ですね。

NZさん
通過信号機を設置した駅とそうでない駅と、何が違うんでしょう・・・。

昭和52年(1977)の飯田線の通過信号機設置駅

各駅の諸元も調べてみました。

Th:1線スルー配線
Y :両開き配線
K :片開き配線
Rx:構内の半径xメートルの急曲線(<600m)
Tn:構内のトンネル
H :手動信号機
A :半自動に準ずる信号機

長山  :Th ー    ー  H 
東上  :Th R300 ー  H 
三河槙原:Th R200 ー  H
大嵐  :Th R250 Tn A
門島  :Th R360 Tn H
大沢  :Th R160 ー  H
伊那本郷:Th R150 ー  H
羽場  :K  R300 ー  H
伊那新町:Th R300 ー  H

1線スルータイプの駅に通過信号機が設置されている場合が多いですね。急曲線がある駅が多いですが、飯田線の駅はたいてい急曲線があるかもです。
逆に、1線スルーなら、急曲線があれば必ず通過信号機があるというわけでもないようです。

このころは、何度か飯田線に行きましたが、当時線路図を持っていればもっと楽しめたのになぁと思います。

NZさん
私は飯田線はほぼ訪問できませんでしたので残念です。買収国電線区ですと国鉄標準ではないような特殊な連動装置が使用されていたのではないかと思います。

f54560zg様 北東航21様 遅くなって申し訳ありませんが、改めて情報ありがとうございます。
やはり拝島も白旗ではなく緑旗だったんですね。ちなみに、YouTubeで1987年の天北線の動画がアップされていたのを見たところ、曲淵を急行天北が通過する際も、駅長が受器付近で緑旗で合図していたので、間違いないと改めて確信しました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 猊鼻渓・柴宿・摺沢・千厩配線図 | トップページ | 鹿折・上鹿折・陸前矢作・竹駒配線図 »

過去の記事

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ