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2020年5月23日 (土)

奈良配線図

今回は奈良駅のご紹介です。

以前の記事も合わせてご覧下さい。

最初は1970年頃(?)。(※1)
197000r_20200522193401
・関西線用の5本の本線のほか、頭端機回り線付きの桜井線着発線があります。
・図の下側には扇形庫を含む奈良運転所があるのですが、名古屋方の入出区線を含めてこのあたりは省略されています。

続いて1975年頃(?)。(※2)
197500r
・細かいところですが、湊町方から桜井1番線に進入できるようになりました。

続いては1976年3月、逆に奈良運転所だけです。これは以前ご紹介したものです。
19760328r
・扇形庫付近が元機関区、その右側が元気動車区ですね。

続いて1988年3月。(※1)
198803r_20200522193401
・奈良運転所が廃止され、その部分がキレイになくなってしまっていますが、駅部分は大きくは変わっていません。

続いて2001年1月。(※1)
200101r_20200522193401
・桜井1番線の機回り線がなくなりました。

その後2010年に高架化が完成し、現在はこのようになっています。
R_20200522193401
・2番線は両側ホームとなり、乗り換えに対する配慮がうかがえますね。

 

ついでに未公開写真を2枚だけ。

19760328c01
・奈良電化から2年半後の1976年3月28日、奈良駅3番線の快速電車です。ヘッドマークを見れば一見大阪行きですが、よく見ると小さく「環状線」と書かれており実際の終点は天王寺です。天王寺行きとしてしまうと誤解してしまうのでちょっとややこしいですね。

19760328c02
・扇形庫の中のC1196です。今は新宮あたりにいるようですね。

 

配線図は
※1印・・・T.Mさん
※2印・・・KASAさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

関西本線で奈良を降りたのは、湊町~奈良間電化になって、白地にオレンジ色の‟113系”の快速が大阪環状線に乗り入れが始まってからである。
奈良は近鉄奈良線で行くものであった。天王寺から、35系ディーゼルカーを王寺で乗り継ぎ、高田へ行ってから、天王寺で奈良行表示のディーゼルカーを見て、放出でC11が数両の貨車を牽いて来て、貨物駅で入換え時に、奈良の表示を見た。5両の旧型電車は長尾までで、その先の京都府は未電化で繋がっていることすら解らなかった。一筆書き乗車が始まって、片町線で奈良まで行った。当時は機関区も蒸気機関車もあった。
奈良県は、大阪府と京都府に接している所開けてそれは近鉄線も同様である。奈良県内は殆ど、近鉄線が並行し、国鉄時代県内に全線電化になった。
駅が高架になって、旧駅舎は観光案内所になった。和歌山線、桜井線は‟227系”に対して、関西本線は‟221系”の方向になり、‟201系”の王寺までの電車は引退の話で、各駅停車も‟221系”なるのかである。奈良県は普通電車だけである。

ニッシーさん
1973年以前は大阪から奈良への道は今では考えられないくらい旧態でしたね。

1988年は「奈良・シルクロード博」が開催され、期間中は材料1番線に元竜華機関区のEF58 66が停められていました。
あまり宣伝もしておらず、ゴハチとシルクロードの関係性も不明ですが、車内を見学できるようにするため、桜井1番に枕木で車止めを設置し、材料2番線車止め付近に板を被せて、ホームから板、板からゴハチに階段が設置されていました。

「EF58 66 奈良駅」で画像検索すると当時の画像が出てきます。パンタ上げた状態で展示されていましたが、もとより材料1番線には架線が張られていません。

1960年代。5,6番ホームが増設されたのを覚えています。
関西本線のジーゼルに乗れば、奈良での乗り換え無し直通で湊町まで行けた時代です。しかし、国鉄奈良駅の近くにあった油坂駅で近鉄奈良線に乗り換え、上六から千日前の喜楽別館に行った微かな記憶があります。あやめ池に行く時にも油坂駅から乗ったのですが、しばらくして無くなってしまいました。

北東航21さん
確かになぜEF58?という感じですが、見学できるのは貴重でしたね。

moni5187さん
奈良から先は近鉄なんですね。

EXPO'70の前に、併用軌道解消の為に近鉄線は地下化されて、油坂駅の代わりに新大宮駅ができたのですが、遠くなってしまい、大阪へ行くのに乗り換えたことはありませんでした。
1975年頃(?)。の配線図ですが、当時の電化は奈良までで、気動車、電車間の接続が行われていました。1番のりば(桜井1番)に停車する、春日塗り113系快速大阪(本当は天王寺)行きを撮ってありました。湊町方からの桜井1番線への進入は、この為かと思われます。

moni5187さん
桜井1番線に関西線の電車が発着できるようにしたのは気動車・電車の乗り換えの便を図ったものでしょうか。

2番のりば(1)に、柘植方面からの気動車が着いて、対面の1番のりば(桜井1)の快速電車に乗り換えたと思います。正確を期すため、時刻表や写真をWebで探して裏を取ったのですが、なかなか見つからず。

快速大阪行きは、日中の4番のりばの発着で、気動車は対面の3番のりばの発着だったことは思い出しました。1番のりばで撮った写真が、大阪行き表示板のたたみ忘れの可能性も出てきました。あのHM上下方向にヒンジがあり、たたむと><型の春日塗り一色になり湊町行きになったのです。

湊町駅は港町駅にならぬよう、大阪駅は大坂駅にならぬよう、気を付けているのですが、油坂駅は、

正しくは、油阪(あぶらさか)駅でした。

油阪とは懐かしい、奈良は関西本線は高架になり、近鉄は地下になった。今、近鉄は大和西大寺~新大宮は‟平城京”の中を通り、過去には車庫を造る話があり、‟平城京”を避ける様に線路の移転の方向に話があり、大和西大寺は、近鉄奈良線から北は京都線南は橿原線と、主要駅である。が、西大寺と言う文化財が近くにあり高架に出来なくて、阪急電車の淡路みたいな訳にはいかない。
関西本線は、市内のややこしい所でないから高架にできた。細かい駅がないから、‟221系”で間に合う。大阪東線には間隔を見れば、間に合う貨物である。
王寺、奈良の高架下で貨物を取り扱いするにも、今の電気機関車では出力が高くて、少数の貨物には不経済である。

訂正、大阪東線は駅の間隔が短くて新快速に始まった。‟221系”電車は中長距離用で間に合うのか?

奈良は本線高架になって、桜井(万葉まほろば)線は1年遅れで高架になった。桜井線、和歌山線は‟227系”の新車になって、本線は‟221系”になる。近鉄と違って、細かい駅がないから‟221系”が使用出来る。新快速に始まったクロスシートで、長距離用の電車で特に大阪市内の駅の間隔の短い所で間に合うのかである。
桜井線は、奈良を出て高架を降りると、次の京終駅から奈良市内かと思うぐらいのローカル線の駅である。
近鉄は、平城京を避ける様に移転し地下にもできないのかである。奈良~木津関西本線で、木津は京都府で、奈良線は奈良県を通っていない。‟221系”
関西本線と支線になるのかである。

君はあれから何も、言って来ないね?言葉に敏感な先輩や上司から、うるさく言われたことないか。私も偉そう言える程文章や言葉に器用ではないけど、~ねの、「ね」は相手を見下すことなるのかである。言葉の文節ではないけど、授業でうるさく言われただけに!

1970年の配線図には1番線の木津方に出発信号機が描かれて、木津方に安全側線と下り線から上り線への片渡り線が描かれていますが、1975年の配線図では3点とも消えています。

1つなら書き漏れも考えられますが、この時点で1番線から木津方への逆線出発は出来なくなったと考えて良さそうです。下り本線から3・4番線への片渡りの位置は誤記っぽいですが。

おそらく設備は残していたと思われ、1988年の配線図ではそのまま復活しています。

記憶が定かではないのですが、加茂電化よりも前にふっかつしています。1984年頃には1番線発の木津方面の列車があったような

JR奈良駅の高架に際して、ややこしかった所は、
大宮跨線橋撤去だったかも。大宮通りは、近鉄線の地下化で国鉄線の上を跨線橋で西に伸びて、JR奈良駅の高架化で再び地上に戻ることになりました。そこで、跨線橋をジャッキアップし、高架は列車が通る隙間が無いギリ下に建設されました。そして、高架の営業開始の前日夜から早朝にかけ、跨線橋の交差部を撤去、一夜にして道路と線路が入れ替わりました。当時TVニュースでもやってましたので、結構注目だったようです。

JR奈良線が、奈良県内を通らない理由は、
19世紀の末、京都と桜井間を私鉄の奈良鉄道が全通させました。その後、20世紀初頭に関西鉄道を経て国有化され、奈良と桜井間は桜井線に、木津と奈良間は関西本線に、京都と木津間は、かつて京都から奈良を目指した、奈良鉄道の社名から奈良線になりました。という説、が有力かと思われます。JR関西本線の名前の由来が、名古屋から関西地方を目指した、関西鉄道の本線から来ているかと思われるように。

ニッシーさん
先日の「高松・栗林・屋島・・・」に記事で以下のようにコメントしました。
>当方の考え方については以前ご説明させていただいたつもりでしたが、不愉快に感じられたのであればお詫びします。
>今後ニッシーさんのコメントに返事をする場合は、
>ニッシーさんのコメントの文体をお手本ににさせていただこうと思います。
>今後ともよろしくお願いします。
ですのでここではニッシーさんの文体でコメントします。

君は何か勘違いしているようだ。
私が店員で君は自分を客だとでも思っているのか?
君は私の先輩でもなければ上司でもない。
そのような人に言葉遣いをとやかく言われる筋合いはない。
この文章は君の文章を手本にして書いたものであるから、これを読んでもし君が不快に感じるようであればそれはすなわち君が人を不快にしていることに他ならない。

と、ここまで書いて。
このような言い方は私はしたくないですね・・・。
言うよりも言われる方がまだマシかも、と思ってしまいます(汗)。

f54560zgさんへ拍手を送ります

管理人様、皆様、はじめまして。
いつも楽しく記事やコメントを読ませていただいております。国鉄最末期に産まれた私にはコメント出来るような知識や体験がなく読む専門になっていますが設備から見る当時の状況や歴史、取扱、そして皆様の思い出話は鉄道を趣味とする者にとって大切なものが詰まったものだと思います。
世の中が大変な状況にあってこのブログは私には心のオアシスのひとつです。
このようなコメントは不必要かもしれませんが私のように楽しんでいる者がいる事を知っていただけたらと思いコメントさせていただきます。
管理人様、皆様、様々な考えをお持ちかと思いますがこれからも管理人様と皆様の素敵なやり取りが見られる事を期待しています。

奈良駅の高架化工事が始まった頃から訪れる機会が無くなり、私の心象風景の奈良駅は今だ地平です(汗)。
この駅には意外と行っておらず、写真も乏しいですね…
旅行のルートで奈良線や片町線などを木津で乗り換えてしまい、奈良駅にタッチしなかったことも複数回あります。
「奈良・シルクロード博」の時には大阪府南部に住んでいたため、新大阪~梅田~西九条を走る103系の臨時快速を嬉々として取材に出かけました。
西九条あたりの前面?展望写真が手元に残っていますが、奈良へ行った形跡はなく、ゴハチのことも知りませんでした。

1983年3月、奈良駅3番線に立ってホームの無い2番線に留置中の101系を撮った写真があります。僅かに見えている1番線ホームの向こう(おそらく材料1番線あたり?)にワム80000が見えますので、この頃にはまだ車扱いの貨物があったのでしょうか。
ちなみにメインの被写体である101系は、前の2両がオレンジ色で前面に細い黄色の警戒帯が入り、緑地に白文字の「関西線」ステッカーが貼られています。前年の台風による王寺駅電留線の冠水で一度に60両の廃車が出たため、首都圏で解体待ちだった廃車予定車(オレンジ、カナリア)が急遽応援に送り込まれた結果の混色編成です。半年経ってもまだかなりの異色車が走っていました。

(以下本題から外れます。f54560zgさん、ご迷惑でしたらお詫びします。)

ネットにはネットの社会通念、社会秩序があります。
顔が見えない不特定多数の人が言葉を交わす公開の掲示板では、投稿の要領は管理人の方針に従うべし、というのは基本中の基本です。すなわち「郷に入らば郷に従え」であって、そこに老若男女の別はありません。

インターネットが普及してこのような掲示板が世に一般化してから、もうかなりの年月が経ちます。私はその初期のことは知りませんが、もしかして初期には、見知らぬ人同士の価値観の違いから多くの擦れ違いやトラブルがあったかもしれない、と想像はできます。おそらく多くの人の努力と我慢の積み重ねの末に、現在の「ネットの秩序」が形作られてきたことでしょう。

私がネットデビューした平成12(2000)年ごろには、すでにそのような秩序が出来上がっていました。まだ“中年”と呼ばれる範囲の中ほど(?)であった私でも、初めて触れるネットの世界で、掲示板に投稿された文章の数々を読むうちに、ネットの世界にはそうした秩序があることを理解していったものです。細かいところで、人に呼び掛ける際の敬称を「さん」とするか「様」とするかも、多くの投稿者が管理人に合わせているようであれば、私もそれに倣います。
まして、より人生経験豊富な方であれば、そのような配慮と洞察力はお持ちのはず、と普通の人なら考えるのではないでしょうか。

現在相当ご高齢の方から見れば、ネットの世界の歴史は「若い」かもしれません。しかし、そこにはこの世界を切り拓いてきた無数の先人の努力があることを肝に銘じ、それを踏みにじるような行為は厳に慎みたいものです。

君は管理人であるならば、文章の語尾の「ね」は相手を見下していることになるから、実名を書いて来ない見ず知らずの者には控える様に、言いたいことはそれだけで、事を大きくしてしまうとはね。こんな言い方にどう感じる。
天王寺の阪和線ホームから、ディーゼル特急くろしお急行きのくにが出ていたこと言い、急行電車の塗装を変えた新快速が新大阪に停まらなかったことを知らなかったとは、昭和を知らない世代か?
関西人でなくても、マニヤだったら解るだろう。

クモイ103さん

材料1番線は駅本屋横に建屋があり車掌区などの現業部署が入っていました。その天王寺方に隣接して貨物上屋があったと記憶しています。
おそらく建屋もかつては貨物の積卸場だった可能性が高いですね。
材料1番線と2番線のダブルクロスも配線図上は消えたり復活したりしてるので位置関係の記憶は曖昧です。

(以下本筋とは逸れる話で誠にすいません)
個人のWebページは作成者さん(管理人さん)の領域なので、いわば家のようなものだと思っています。なのでそこに外から入ってきて、あれこれと居丈高な物言いをするのは厳に慎みたいと感じています。
稀にそういう管理者さんも見かけますが、自分に合わないならば、そっと去るのが見ず知らずの人が集まっているWebの世界では洗練されたマナーだと自分自身は思っています。
私もこちらのサイトではコメント書くようになったのは最近ですが、ここの方々はストレスなくコメントをやり取りされていて、むしろ私が邪魔をしていないか心配しています。
今後も管理人さんを始め貴重な資料を苦労して集めていただいたのを、引き続き拝見させていただくのを楽しみにしております。

管理人さま、ニッシーさん
当方1200BaudのNIFTY-Serveの時代からですから、かれこれ30年ほど経ってしまいました。ですので、現在のネットの仕組みにつきましても、十二分に熟知しているつもりです。

当時、あそこのフォーラムでやっていると、草の根BBSで知り見に行きますと、揚げ足の取り合いだったことが多々ありました。発端は論争で不利になった方が、しょうもない文法の誤りや、誤字脱字を重箱の隅を突くように指摘して、おっ始めるパターンが多かったかと思います。シスオペさんが権限を発動する前に、うまく納めてはいました。

以上「懐かしいパソコン通信~ダイアルアップとともに」になってしまい、奈良配線図と関係が無く失礼いたします。


北東航21さん
下本から木津方への発車の件ですが、下本に気動車が到着した後、快速に乗り換えましたので、その後、どうなったかは謎のままです。1973年5月に、改札を入った辺りから三条通踏み切りに向けて、D51831の発車シーンを撮ってあり、出発信号機も写っていました。それって3番用だと思うのですが。

北東航21さん

材料1番線付近の施設についてご教示ありがとうございます。やはり貨物扱いが行われていた可能性があるのですね。
(昨日は材料1番線と申し上げましたが、改めてよく見直せばワムはホームの向こう側にあまり離れておらず、材料2番線に思えてきました。)
「材料線」と言うと、なんだか普段全く車両の出入りがなく保線機械の置き場になっているようなイメージを勝手に持ってしまいます(違っていたらごめんなさい…)。しかし、ここは元は桜井2番線・3番線だったわけで、しっかり使われていたのでしょう。

皆様
大変不快な思いをさせてしまって申し訳ありませんでした。拙ブログを引き続きご覧いただけますと嬉しく思います。今後ともよろしくお願いします。

moni5187さん
鉄道を高架化する場合、それまで鉄道を跨いでいた構造物との干渉は悩みのタネですね。列車が通る隙間のない状態で建設された線路って見てみたかったです。

ニッシーさん
いずれ機会があれば私が撮影した天王寺駅1番線に停車している「くろしお」の写真をご紹介したいと思います。
また、新大阪を通過する新快速に乗車して、妙な優越感を感じた記憶があります。

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