加茂(関西線)配線図
今回は加茂駅の配線図のご紹介です。
以前の記事も合わせてご覧下さい。
最初は1970年頃(?)。
・本線は4線で、1・2番線が上り、3・4番線が下りときれいに使い分けられています。
・5番線から名古屋方に伸びる側線の先にかつては転車台や駐泊設備があったようです。
続いて1988年3月。
・湊町方が電化され、電化/非電化の境界となりました。
・2番線がなくなって3番線以降が順次繰り上がっています。
・始発・終着列車への対応のため、各線路の使われ方が上下列車に対してより柔軟になりました。
最後に2001年1月。
・ホーム配置が変更され、2番線は両側ホームになりました。
・名古屋方には車両入換のための入換信号機が設けられています。
柘植配線図の記事のコメントにもありましたが、その昔は機関支区が設けられた運転上の重要駅だったようです。
その後機関支区が廃止されて普通の中間駅になってしまいましたが、最近(?)になって電化区間の終端となり、再度重要駅にカムバックした感がありますね。
配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
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分岐器の形状としては1980年の図が一番実態に近く、当時も今も笠置方の31イは片開き、木津方の36イはY字両開きです。
今は通過列車はないですが、かつて急行かすが等の下の通過列車は速度制限なしで構内に入ってきますが、36ロ〜36イに制限があるため、グッと速度を落としました。
下り引上は元々の大仏経由の本線で1898年開業で1907年休止のち廃止です。加茂ー大仏開業から半年後に加茂新木津(片町線木津ー西木津間にあった駅)が開業し、1907年までは木津方に本線が2本並んでました。その名残のY字分岐です。
投稿: 北東航21 | 2020年5月18日 (月) 09時40分
往時の転車台の様子は、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで見ることができますね。撮影時間が異なる2枚を使い、立体視出来たりします。
その昔、奈良へ行く際には、左手の車窓から、C5756、大仏鉄道跡、鹿背山トンネル旧線跡、と結構楽しめました。帰りは、駅前の国鉄バス近城線を見ながら、信楽への思いを募らせたものです。
何かの本で、加茂から信楽への道床は完成していたものの、結局線路は引かれず、信楽からの延伸計画は未成に終わった。と、読んだ覚えがありまして。空中写真で探してみたのですが、道床跡らしき痕跡は見つけられず。全くの記憶違いで、未着工のようです。
投稿: moni5187 | 2020年5月18日 (月) 23時01分
その昔、関西本線を、
「名古屋→桑名→四日市→亀山→伊賀上野→
奈良=133.9kmを走っていた」といわれる
気動車での「急行かすが」号、いまや、忘却のかなた。
投稿: | 2020年5月21日 (木) 10時00分
moni5187さん
加茂から信楽に至る鉄道は未着工ですね。近畿地方で完成間近まで建設されたのは五新線の五条ー城戸間でしょうか。最終的に国鉄バス専用道として使われましたが、あそこのバスは、近畿自動車局加茂自動車営業所五条支所だったはずで、加茂と繋がりがないわけではありません。
投稿: 北東航21 | 2020年5月27日 (水) 22時22分
北東航21さん
その昔、和束川沿の府道を信楽まで走った際、いかにも鉄道風のトンネルを通った覚えがあり、記憶違いの発端になったようです。鉄道用語では道床ではなく路盤でした。
そして、萌の朱雀とごっちゃにしてしまってました。専用道の廃止が伝えられてから、(ネット上で)映画も含め結構追いかけていたのですが、結局現地に赴くことはできず、最終日に現地からのツイートを見て終わってしまいました。五新線に関しては、こちらのブログの「五条 1980/3/9」奈良交通バスに変わった頃の記事。のコメントでも盛り上がっていますね。
投稿: moni5187 | 2020年5月28日 (木) 20時00分