« 貨物と荷物 | トップページ | 加茂(関西線)配線図 »

2020年5月13日 (水)

新堂・佐那具・伊賀上野・島ヶ原・月ケ瀬口・大河原・笠置配線図

いろいろとあちこち飛んでいますが、柘植駅の続きで新堂駅から笠置駅までを一気にご紹介します。

 

最初は1970年頃(?)。
1970001r
・新堂駅も佐那具駅も上下共用の中線があるタイプですが、佐那具駅には中線にホームがありません。
・この辺りは伊賀上野駅に向かって下る一方です。

1970002r
・伊賀上野駅の副本線は中線ではなく上り本線の外側です。単線区間の駅の最もポピュラーなレイアウトですね。
こちらの記事も合わせてご覧下さい。
・伊賀上野駅を過ぎると25‰が現れますが、比較的短距離でのアップダウンのようです。

1970003r
・島ヶ原駅も上下共用の中線タイプですが新堂駅や佐那具駅とはまた違った配線です。
・月ケ瀬口駅は色灯信号機です。地理的な理由があるのでしょうか。
・この辺りにも25‰のアップダウンがあります。

1970004r
・大河原駅は佐那具駅と同じ配線です。
・笠置駅の配線はちょっと変わっています。上下本線とホームのない副本線の組み合わせですが、副本線は下り専用で、下り本線が上り副本線を兼ねています。なかなか珍しい構成です。
・この辺りにも微妙な25‰のアップダウンがあります。

 

次に1988年3月です。
1988031r
・CTC化され、各駅は上り本線側から順番に1番線~で統一されました。
・新堂駅には中線(2番線)が描かれていますが、側線です。
・佐那具駅の中線は撤去されています。

1988032r
・伊賀上野駅の副本線は健在です。

1988033r
・島ヶ原駅の中線は残っているのかどうか微妙です。

1988034r
・大河原駅の中線も側線化されてしまいました。
・笠置駅の下り副本線は廃止されてしまいましたが、1、2番線とも上下両方向の列車の着発が可能になっています。

 

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 貨物と荷物 | トップページ | 加茂(関西線)配線図 »

コメント

また天鉄に戻ってきました。

新堂駅の中線は1988では側線になっていますが、現在は本線に返り咲き、下本になっています。代わりに本屋側の本線は撤去されました。

笠置駅は古くから奈良方面から笠置終着で折り返しがありました。そのため上り列車が下本に入線できるようになっていましたが、1978年頃は上り荷物列車が日中に下本(上副)に停車して、上り急行かすがを待避するスジになっていて、ちゃんと上り副本線らしい使い方をしていました。

名阪間では、東海道本線よりも距離が短くて、国鉄時代に東海道本線みたいな設備になっていたら、伊賀上野、亀山から通勤通学が出来ていたかもしれないが、3公社である為に国鉄法で近鉄に配慮が遅らせてしまった。現に近鉄大阪線では、三重県名張から大阪まで、通勤通学している。
島ヶ原に入ると、221系電車のイラストと、複線電化の看板が目に付き、三重県を筆頭に沿線の地方自治体が費用出すのか?と思う。言いたい事は、言っても実行しないのかである。
過去に東京までの、夜行列車列車があってか、2両のレールバスに対して、ホームが長い。とにかく石垣で,頭の低いトンネルと複線に出来る用地がなくて、かなり難しい。路線変更を必要なところもかなりある。

北東航21さま、 ニッシーさまのコメントに重複して恐縮ですが補足を。

 新堂の中線が上り本線となったのは南口の開設が絡んでいます。陸橋を南側へ延ばして南口を作りました。
 その代わり駅本屋を島ホームへ移しました。つまり陸橋は自由通路になりました。従来の本屋は遊んでいます。
 橋上駅ならぬ橋下駅ですが、ここも無人化されているかも。

 この線区のトンネルは断面が大きくてそのまま電化できます。柘植から笠置へ向かうルートを建設するとき将来の標準軌化を見越して、当時のドイツ国鉄と同じ規格で建設したとの伝説が伝わっています。
 官鉄と異なる民鉄の先見性でしょうか。なお柘植より東方のトンネルは小断面で加太トンネルの蒸機時代の苦労話は有名です。


C6217様 御指摘の通り関西鐵道では標準軌化や電化計画等が有った事は確かです 関西鐵道は当時官鐵東海道本線に対抗意識有り々々の私鉄でしたので当然の事でした 唯明治末の私鉄国有化でそれらの計画は頓挫してしまいました 
若し私鉄国有化が無かったらワゴンリー製寝台車を運行する山陽鐡道プルマン型寝台車を運行した九州鐡道高速電鉄に変身した関西鐵道日本最大の路線長を誇る日本鐡道アメリカンナローゲージ風北海道炭鉱鐵道近郊電鉄化した甲武鐵道等 或は標準軌化が早い時期に出来たかもしれませんね


伊賀上野駅と周辺駅の配線図、お待ちしていました。

当方のブログ作成にあたり、駅以外の撮影地点につきましては、Gマップの距離測定やSTビュー、YTの前面展望、その他を駆使して、当時の記憶を呼び起こしたのですが、一気に答え合わせが出来まして、ありがとうございます。

1970年頃(?)の配線図から。

伊賀上野駅は、微妙に違うようです。
(畄1)ができたのは、1973年10月の無煙化以降で、その後しばらくは、(社2)と(社1)が車止め手前で合流していました。その頃だとすると、2(中線)と1(下本)の東側での合流は無かったです。4(上下待)と(畄4)は東側で合流していましたし。1988年3月の形。

月ヶ瀬口駅は昭和26年末の開業で、腕機式信号機の時代は終わっていたからだと思います。新堂駅以外の他の駅は、関西鉄道時代からです。

1988年3月の配線図から。

伊賀上野駅の(社2)と(社1)の車止め手前での合流は、1977年春の時点で、撤去されています。大河原と笠置間ですが、配線図上にも速度表示があり、渓谷区間ゆえの徐行運転だと思われます。

現在の配線図については。

どこかにあったと思いますが、新堂駅は、他の方々様のコメントのようになり、伊賀上野駅では、伊賀鉄道忍者線と完全に分離されたりと、寂しい限り。本線の風格と面子とプライドを保っていた黄金時代に、流星号で戻りたいところです(^^;)。


補足です。

伊賀上野駅の(社2)と(社1)の車止め手前での合流の撤去時期ですが。1973年10月21日に、撤去された写真を撮ってありました。関西線の無煙化に合わせ、伊賀線の電機が撤退し機回しが不要になった10月1日。直後に撤去されたようです。

たび重なるコメントで、大変失礼いたします。

"(畄1)ができたのは、1973年10月の無煙化以降で、"
と、コメントしましたが。

1973年5月の時点で、短い留1が存在していた写真を撮ってありました。
当方のブログ、"D511045荷物列車"の左隅に見えます。
https://ict.easymyweb.jp/member/moni5187/default.asp?c_id=45555

その後、西側へ延長工事がなされ、
当方のブログ、"伊賀線の電機デ8の活躍"の2枚目の手前が工事中です。
https://ict.easymyweb.jp/member/moni5187/default.asp?c_id=45060

10月の無煙化で貨車移動機の留置線になりました。
こちら様のブログ、"伊賀上野 1980/3/16"の5枚目に貨車移動機。

ですので、1970年頃(?)の伊賀上野駅の配線図へのコメントは、無かったことで、よろしくお願いいたします。

moni5187さん
貴重な写真ありがとうございます。
何気ない写真の片隅に重要なモノが・・・、ってこと、結構ありますね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 貨物と荷物 | トップページ | 加茂(関西線)配線図 »

過去の記事

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ