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2020年5月24日 (日)

高徳本線配線図 その1(高松~造田)

以前、t_yosiさんからご提供いただいた1985年前後の四国主要駅の配線図をご紹介しました。
その後さらにt_yosiさんから高徳本線及び徳島本線各駅の配線図をご提供いただきましたのでご紹介したいと思います。

今回は高徳本線のその1で、時期はすべて1977年4月です。

まず高松駅。
01_20200524171401
・ちょっと見づらいかもしれませんが、以前ご紹介したものと大きくは変わっていないようです。

続いて栗林駅。
02_20200524171401
・一線スルータイプの配線です。

続いて屋島駅。
03_20200524171401
・こちらは上下本線が区別されているタイプですね。

続いて八栗口(やくりぐち)駅。
04_20200524171401
・棒線駅です。

続いて志度駅。
05
・上下本線が区別されているのですが、それぞれ逆方向の列車の発着が可能になっています。この時点では追い抜きや折り返し列車の設定はなさそうですが、どのような使われ方をしていたのでしょうか。

最後に造田(ぞうだ)駅。
06
・実際の線形と同じかどうかはわかりませんが、図は片開分岐器と両開分岐器の組み合わせで描かれています。

 

配線図はt_yosiさんよりご提供よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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コメント

四国の配線図、お待ちしておりました。

栗林駅は現在、高架化されました。
志度駅は現在、駅舎は橋上化され、この配線図では描かれていませんが、2番線の更に反対側(破線部分)に3番線があり、普通列車が退避する際に使用しています。側線(貨物線?)はもちろん残っていません。

すみもとさん
お久しぶりです。
40年以上も前の図ですので、今ではかなり変わっているのでしょうね。

スミマセン、私です。

新大阪止まりの新幹線に連絡していた急行‟鷲羽”で宇野へ行き、8月でも宇高連絡船に乗り継いだ時は、まだ暗くて高松へ着いた時に夜が明け、栗林公園と八島へ寄り、急行‟阿波”で徳島まで止まらず、四国にも‟181系”による特急が運行された。
DE50の普通列車があったが、乗れずに終わり、28系58系のディーゼルカーの急行が殆どで、1部の普通でもディーゼルカーで、始めて行った四国もかなり広く感じた。松山から堀江へ行って、呉線の仁方の国鉄フェリーで戻った。
その後宇高連絡船にフォーバークラフトとDE10の50系客車が有り、2回目は慣れた気分であった。

ニッシーさんはかなりあちこち旅行されたんですね。

JR四国の車両の型式にはカタカナを使わなくなった。マリンライナーでも、JR西日本の2両にはカタカナが有り、JR四国の方にはカタカナがなくても、床下を見て、クモハ223型とサハ223型である。国鉄から引き続きの電車もカタカナは消していた。
JR九州から、小郡(新山口)乗り入れがなくなった様に、各駅停車は瀬戸大橋を児島乗り入れもなくなった。旅客会社は区別された。

何回も言うけど、実名を書いて来ない見ず知らずの者に「ね」は控える様に!

余談ですのでスルーしていただいて結構です。

高松駅構内にある「連絡線うどん」、宇高航路のある時代からのうどん店だそうです。県内各所にうどん屋がありますが、今年はまだ現地を訪問できず、一度も讃岐うどんを食べることができていません。

ニッシーさん
当方の考え方については以前ご説明させていただいたつもりでしたが、不愉快に感じられたのであればお詫びします。
今後ニッシーさんのコメントに返事をする場合は、
ニッシーさんのコメントの文体をお手本ににさせていただこうと思います。
今後ともよろしくお願いします。

栗林駅は昭和51年11月に高架化されました
ですので、この配線図は高架時つまり今の状態が掲載されています

N/Aさん
栗林駅の高架化は早かったんですね。確かに他の駅に比べてきれいな1線スルーになっています。

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