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2020年4月17日 (金)

行き先が違う車両を併結しているのに分割後も同じ愛称名で運転される列車 その1

何を言っているのかよくわからないタイトルで申し訳ありません(汗)。

先日の1968年10月の急行「陸中」号の記事で、急行「みちのく」が弘前行き・盛行き・宮古行きを併結していながら分割後のいずれもが同じ「みちのく」を名乗って運転されていることについて触れました。
「陸中」のように、行き先が違う車両を併結した列車(いわゆる多層建て列車)の多くは行き先ごとに別の愛称名を付けられているのですが、「みちのく」のように同じ愛称のまま別れていく列車も少数ながら存在します。
今回はそんな「行き先が違う車両を併結しているのに分割後も同じ愛称名で運転される列車」、別の言い方をすれば「多層建て列車のうち、一つの愛称名しか持たないもの」を集めてみました。

集める際の条件は、
・下り列車のみ。
・併結時はもちろん、分割時点においてはいずれもが特急または急行列車であること。
・新幹線は除外。
・国鉄線・JR線に限る。分割駅から一方が私鉄に乗り入れるものは除外。
・定期列車であること。
・類似列車が複数あるものは代表例のみとする。
としました。

これらの条件下で、1968年10月、1978年10月、1990年8月、2015年4月の時刻表を調べてみました。
モレもあろうかと思いますのでご指摘いただければ幸いです。

最初に1968年10月の時刻表です。
なお赤字は特急、黒字は急行です。

●まずは代表的なものから。
19681011
・表題に当てはまる、この時点での最も代表的な例ではないかと思っています。併結区間の函館~滝川間が405kmであるのに対し、分割後の滝川~網走間が293km、滝川~釧路間が311kmと、分割後の運転区間がともに長く、分割後の2列車の対等感が高評価です(笑)。
・少し前までは「白鳥」が代表格だったかもしれません。

●次はブルトレ、鹿児島線と長崎線の分岐関連。
19681012
・こちらも有名な列車なのですが、分割後の鳥栖~西鹿児島間が289kmであるのに対し鳥栖~長崎間が130km程度と短く、主従関係を感じてしまうところが個人的にはマイナスポイントですね。

●続いて長崎線と佐世保線の分岐関連。
19681013
・実はこの時点では、特急列車で異なる愛称名の列車を併結した列車はほとんどありませんで、唯一の例が大阪~西鹿児島・宮崎(小倉で分割)の「なは・日向」です。「はやぶさ」「「あかつき」「さくら」「かもめ」が同一愛称なのであるのに対し似たようなルートの「なは・日向」は別愛称なわけで、この違いが何とも微妙です。
・急行では博多~長崎・佐世保(肥前山口で分割)の「いなさ・弓張」は別愛称です。同一愛称の「出島」「西九州」との違いも微妙です。

●続いて舞鶴・宮津線関連。
19681014
・これ以外にも複数の類似列車があり、小浜線方面も絡めた各種併結パターンがあります。
・このエリアの多層建て列車はすべて同一愛称となっており、別愛称にする思想はなさそうです。

●続いて伊豆方面。
19681015_20200415213201
・これ以外にも複数の類似列車があります。
・今回ご紹介する中では唯一の電車ですね。
・似たような目的で設定された多層建て列車は東北線・高崎線にもあるのですが、東北線の場合は「日光」「なすの」、高崎線の場合は「ゆけむり」「草津」「あかぎ」といったように行先に応じて別の愛称が与えられています。

●続いて関西線関係。
19681016a
・「紀伊」の奈良~王寺間は普通列車です。「客車列車で3分割までやるか?」と、ついつい感じてしまいます。
・「きのくに」はこれ以外にも類似列車があります。

●続いて東北関係。
19681017
・東北地区は多層建て列車の宝庫ですが、この2列車以外はすべて別愛称列車の併結です。なぜこの2列車だけ同一愛称なのでしょうか。上野発がポイントのような気もしますが、同じ上野発でも「いわて」「ざおう」「ばんだい」といった別愛称をつけられた併結列車もありますし。

●続いて山口線・美祢線関係。
19681019a
・これは単純に分割するだけでなく、違うルートを通ってまた一緒になるケースです。

●最後にその他を一括で。
1968109a
・「大社」は別の愛称をつけた方が良いように思うのですが、それ以外は単独で運転する区間も短く、わざわざ別の愛称をつけていない理由がわかるような気がします。
・特に「青島」「ひまわり」は、門司港始発を設定すること自体の意味合いを理解することが難しそうです(汗)。
・「天竜1号」には、上表のほかさらに多治見からやってくる列車が塩尻で併結されるのですが、これは「きそ1号」という別の愛称です。
・中央東線の急行は、新宿方では本線は「アルプス」、飯田線は「こまがね」と区別されていますが、長野方では区別なく「天竜」1本です。
・「いなわしろ」は会津線内の2列車はひょっとしたらキハ単行かも。上りは会津若松での3分割っぽいです。
・「能登路」は輪島方面と能登線方面の車両を併結した列車が複数あるのですが、多くは能登線内が普通列車となっており、急行同士の併結は上記の下り1本のみでした。

1978年10月以降は次回でご紹介します。

(2020/4/18、「能登路1号」を追加しました。)

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

天竜はのちにかもしか?になり、快速みすずに変化していきましたね。
115系時代まで、松本分割で上諏訪行き、飯田行きに分割していました。

列車の長編成で、2~4両毎に行先がバラバラとは、ディーゼルカーの急行によくあった。最初に見たのは和歌山線の高田で、和歌山行と奈良行が別れて、あの時は不思議に感じた。
身近では、大阪駅からディーゼル急行の‟だいせん”1号であり、豊岡で後2両を切り離し鳥取で,因美線からの2両を前に併結したりで、浜田まで行、乗っていた列車は、大社行であった。鳥取、島根県境で、“伯耆富士”こと、大山(だいせん)を見た。‟宍道湖”に沿って出雲市へ着き、ここで別れて、今は無き大社線に入り、大社に着いて駅舎は違う意味で残り、同様に奈良も高架になっても以前の駅舎は観光案内所になっている。
福知山では、京都発の急行‟白兎”に大阪発の‟因幡”後の‟いでゆ”を併結した。西舞鶴で、京都発急行‟丹後”が宮津線と、小浜線に分割併合していた。敦賀発の2両の急行‟わかさ”が3番ホームへ入って、2番ホームの急行‟丹後”が入り列車名を統一して、2番ホームの急行‟丹後”に併結して京都へ行き、ある車掌に直接同じホームにと聞くと、危険防止のためと聞いた。
特急は、最初はボンネット型の‟キハ81系”で始まり、分割併合を考慮して貫通型の”キハ82系”が増備された。大阪発‟白鳥”は青森行と上野行に別れて、後に付属編成が新潟停まりになった。九州行では、‟なは、日向”が小倉で分かれ、‟かもめ”
も小倉で分かれ、長崎行と筑豊本線経由の佐世保行に分かれて、‟まつかぜ”は付属編成が鳥取まで送り迎えしているみたいであった。
ディーゼルカーの中間車は特急の”キハ80系”とグリーン車、急行ではグリーン車だけで、普通にもあったが、短編成に具合悪くて増備されなかった。急行型のディーゼルカーで運行上の都合でローカル線の列車にグリーン車が入っていても、乗せなかった。
電車で、貫通路を確保していたのは、知る限りでは横須賀線が‟113系”の時に品川~錦糸町間を地下へ入ることで、基本編成と付属編成が幌を繋いでいた。今は近畿圏の電車では通り抜けが出来なくて、JR東西線の地下を207系電車が気になることで、全電車を321系にできないかである。

理由は簡単で、
「国鉄→JR側 のマルス=コンピューターの 都合」です。

「始発駅から、分割する駅まで は、
1つの名称で足りる」事から。

「分割後 も、1つの名称 であれば、
販売=マルス側が混同しない こと」で。す

>管理人さん

「2020年3月14日現在、あります」です。
-----------------------------
「2020年3月14日 ダイヤ改正」で、

下り列車 で、
「E257系2000番台=9両編成 は
「新宿方面or東京→伊豆急下田」です。

下り列車 で、
「185系 は、
新宿方面or東京駅→伊豆急下田駅・修善寺駅」
=
「185系」は、「東京駅の始発の時点から
「下田編成」「修善寺編成」は、通り抜け不可」で、
熱海→伊豆急下田/熱海→修善寺は、別です。
---------------------------------
つまり、
「行き先が別々 の電車特急 を、
東京→熱海では連結し、
赤みから先 は、別々の行程 であり、
全区間を 同じ名前「踊り子」で運用している」で。

>管理人さん

急行「伊豆」以外 にも、

東京~熱海の間 には、

「別々の名前」です が
「下り列車」では、
東京→静 岡 は   「東海」で、
東京→御殿場 は「ごてんば」で、
東京→国府津 は、2列車の連結 で。

1968年時点ということで、「白鳥」(大阪~直江津~青森・~上野)が廃止になっているのが残念!

上野行‟白鳥”は、金沢から信越本線本線経由の同じ80系の‟はくたか”で運行していた。
‟まつかぜ”は、京都から大阪へ寄り、福知山線経由で福知山から、山陰本線を通って博多まで行き、82系特急のいろんな列車で、最後まで原型を残した。山陰本線でも、他は‟キハ181”に換わる中で、鳥取への送り迎えが、米子までの3両の付属編成になり、米子近辺は新幹線で岡山へ乗り継ぐ時代であった。80系の後、181系で米子までの運行となった。
1度大阪~博多間の山陰本線経由を乗ってみたかったが、キハ82系引退前に下関~福知山まで乗った。
白鳥で、大阪~上野(北陸本線経由)まつかぜ”で大阪~博多(山陰本線経由)を全線乗っていた者は、好きな暇人だったのかと思う。

いなわしろ1号(越後川口発になってますが、会津川口発ですね)の会津線は、キハ単行です。小牛田機関区のキハ52でしたが、末期は急行運用のため首都圏色にならずに一般色で存知されていました。

東北方面の急行の列車名の付け方は、本線が福島あづま、仙台まつしま、盛岡いわてと終着駅毎、支線直通が、会津若松ばんだい・新潟いいで、山形ざおう・秋田おがです。
このうち、ばんだい・ざおうは併結相手が多岐に渡るのと、本線筋に愛称統一すると、いわて号山形行きや、まつしま号会津若松行きとなり、具合が悪い。

逆に、「みちのく」は支線直通も含めて仙台以北まで行くこと、1日1本で同じ愛称にしていると思います。

目線が東京目線なのですが、鉄道管理局をまたぐ列車の命名は本社主導だったようなので、仕方がないのかな、と思います。

天竜と木曽の関係も、天竜が長野局管内発着なので、長野局が主導して本社に具申したと思いますが、木曽は名鉄局が絡むので長野側の意向だけではどうにもできず。。。

皆様
>白鳥
本文でも書きましたが、個人的にはチャンピオンですね。

>越後川口
失礼しました。ご指摘の通りです(汗)。

>鉄道管理局またぎ
なるほど、ナワバリ的なものもあるのですね。

ヨンサントーで、沖縄復帰を祈願して、82系特急‟なは”が,運行して、食堂車を入れて7両で、小倉までは、宮崎行‟日向”と併結して、13両編成で、同じ特急‟かもめ”が、長崎行と佐世保行となった。小倉で分かれて、長崎行が食堂車を入れて7両で、小倉まで併結して、佐世保行は筑豊本線経由となった。
新幹線岡山開業後も、そのまま残り鹿児島電化後も‟なは”は‟日向”と併結して、しばらくディーゼルカーで運行していた。‟なは”と‟日向”分離して‟なは”は電車になって、‟日向”はそのままのダイヤで運行した。新幹線博多開業前に宮崎電化で、‟日向”も電車化された。‟かもめ”は電車化されることなく、廃止された。
長崎本線、佐世保線が電化されて、博多から長崎行ディーゼルカーの急行‟出島”が‟かもめ”となり、佐世保行の弓張は‟みどり”で特急電車となった。が、485系電車で通り抜けできなかった。
‟なは”は‟きりしま”の名前を引き継がれて、更にブルートレインになって、最後は機関車のヘッドマークを沖縄県に寄贈した。キハ185系の特急のキハは全て先頭車になって、行先がバラバラの編成は、ディーゼルカーが殆どであり、電車は2両1組の回路になり、編成が自由には往かず、客車はその度に機関車が必要になる。

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