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2020年4月19日 (日)

行き先が違う車両を併結しているのに分割後も同じ愛称名で運転される列車 その2

前回の続きです。今回は1978年10月時点です。

1968年時点に比べ、一つの愛称名しか持たない多層建て列車は減少傾向です。多層建て列車自体が、特にDC急行の多層建て列車は新幹線の開業による廃止や電化による電車化、特急への格上げ等によりかなり少なくなりましたので、当然と言えば当然ですが。

●最初は北海道。
1978101
・愛称名が整理されて「おおとり」は網走行きに、釧路行きは「おおぞら」になりました。「おおとり」は単独列車となりましたが、代わって「おおぞら3号」になぜか旭川編成が併結されるようになりました。

●次はブルトレ、鹿児島線と長崎線の分岐関連。
1978102
・「はやぶさ」に連結されていた長崎編成は「みずほ」に移動しました。
・関西からのブルトレは鹿児島線方面行きが「明星」に統一されて単独列車となり、鹿児島線編成と長崎線編成を併結する列車はなくなりました。
・このほか別愛称の多層建て列車としては東京~出雲市・紀伊勝浦(名古屋で分割)のPC特急「出雲3号・紀伊」、新大阪~熊本・大分(門司で分割)のPC急行「阿蘇・くにさき」があります。

●続いて長崎線と佐世保線の分岐関連。
1978103
・「あかつき」は関西からの長崎線方面行き列車に割り当てられ、2本の列車が長崎行きと佐世保行きの併結となりました。但し「あかつき3号」の佐世保編成は筑豊本線経由であり、門司での分割です。
・このほか別愛称の多層建て列車としては大阪~長崎・佐世保のPC急行「雲仙・西海」、博多~長崎・佐世保(肥前山口で分割)のEC特急「かもめ・みどり」、DC急行「出島・弓張」があります。

●続いて舞鶴・宮津線関連。
1978104
・このエリアは全体の雰囲気は大きくは変わっていません。DC急行が元気です。
・「丹後1号」の東舞鶴~敦賀間は普通列車です。

●続いて伊豆方面。
1978105
・ここも大きくは変わっていませんね。

●続いて関西線関係。
1978106
・「紀伊」と「しらはま」はなくなりましたが、「きのくに」の南海編成は相変わらずです。

●東北関係は表題に合致する列車はなくなってしまいました。別愛称の多層建て列車はたくさんあるのですが。

●続いて山口線・美祢線関係。
1978107
・「さんべ」は残りましたが、「あきよし」は山口線編成が小郡止まりの「つわの1号」となりました。

●最後にその他。
1978108b
・「大社」の金沢編成は福井発になったのですが、この福井発編成は天橋立までの連結です。こうなると福井編成に「大社」の愛称はふさわしくない気が・・・。

1990年8月以降は次回でご紹介します。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

夜分に失礼いたします。
久しぶりのコメントいたします。
ご承知の通り、大社号につきましては、この後福井発の天橋立編成は「はしだて」の名称がつきましたね。
この項で取り上げられている列車の殆どが現在は廃止されていますが、唯一伊豆号のパターンが特急踊り子号として残っていますね。

急行‟大社”とは、舞鶴にいた時に、名古屋から来ていた者がよく利用していた。東舞鶴~武生へ乗り、小浜線は名古屋行と金沢行に位置が逆で、金沢行の方は一度、第2機関区の方に待機して名古屋行が出て、ホームに戻りその間に米原~金沢行の急行電車”くずりゅう”が先発してしまう。
小浜線、宮津線では、急行とは名前だけで、複線電化の北陸本線では,ディーゼルカーでもかなりの猛スピードで走り、福知山線から尼崎で東海道本線に入った時と同様である。福井~天橋立間の急行‟はしだて”の最終日、敦賀まで乗り福井までは急行‟ゆのくに”の最終に乗った。475系電車の、大阪乗り入れが廃止になり、急行‟立山”は581系の一部寝台車になった。‟きたぐに”は、12系から14系の大阪~新潟間で、米原でEF65PFからEF81に交換し、EF70は敦賀以北になり北陸トンネルからEF70は縁が切れない。米原~田村間は車上切り替えまで、田村にEF81が待機して電車みたいに架線のない所を惰力で走り抜ける訳には行かず、年が明けてEF81の普通列車で田村で、前のパンタグラフを上げて、そのまま米原までいった。
話は逸れてしまった。が、客車や電車にもあったが、ディーゼルカーの急行の分割併合は、全国を探せば切りがない。

しげぞう@さん
伊豆方面は下田編成と修善寺編成に同じ名前をつけるのが伝統のようですね。

ニッシーさん
DC急行の分割併合の歴史はキハ58の歴史でもあるかのように思います。

テーマからの逸脱、ご容赦下さい。
「はやぶさ」から「みずほ」に移行した長崎編成ですが、ED76ではなくDD51の重連が牽引しているのを何度も見ました。
ブルトレ全滅、DD51も風前の灯の今、カメラに収めていなかった事が悔やんでも悔やみきれません。

キハ65さん
それって代打DD51ということでしょうか。突発的なED76の故障とか?

管理人様、
よく判りません。当時は今のようにネットから容易に情報が入手できる訳でもなく、私自身も運用に疎かった頃。しかし複数回見たというのは間違いありません。どなたか、ご存知ではありませんか(涙)。

企画室ネコ(のちのネコ・パブリッシング)発行の「国鉄花形DLの全て DD51」(昭和57年発行)に早岐機関区のDD51の運用が掲載されており、下り4005レの鳥栖→長崎は同区のDD51の牽引になっています。
運用表では単機ですが、添えられている写真は重連になっています。
なので重連は何かの事情かと思いますが、DD51牽引は正規の運用です。

北東航21さま
 ご教示、誠にありがとうございました。長年のモヤモヤを氷解させることができ、感謝申し上げます。
 早岐所属のカマというのも面白いですね。単機運用であったという事は、重連の相方が臨時の仕業なのか前位回送なのか・・・・・。ED76と互角のダイヤ確保のため、てっきり重連仕業だと思い込んでおりました。

済みません。ハンドルに「65」が抜けました。

キハ65さま
4005レで長崎に着いた後は、大村線経由の荷物列車を牽いて早岐に戻ってます。みずほの前は早岐→佐世保→諫早→鳥栖と貨物牽引です。
元々単機で運用組んでいたところ、ダイヤの維持が困難で閑散期以外は重連運用にしていたのかもしれません。
14系6両ですが、乗客の多寡によってかなり重量は変わります。理論上(運転曲線による基準時分)では可能でも、実際はかなり厳しいケースはあったようです。

理論と現実が異なった有名な例は20系あけぼのの板谷峠ED78単機牽引による空転多発の遅延で、調査の結果、20系が種々改造によって重量超過しており、牽引定数をオーバーしていたことが判明しました。この時も運用上は単機でしたが臨運用で重連牽引が常態化しています。

北東航21さん
情報ありがとうございます。
鳥栖と早岐のDD51は59-2まで配置されていたんですね。架線の下で活躍していたのでしょうか。

59-2までは夜行普通〔ながさき〕がありましたから、非電化の大村線用にディーゼル機関車が必要でした。〔ながさき〕は本編成の長崎発着が早岐から先はDLになってました(佐世保編成はED76)。
運用効率を目的として、架線下でも運用されてたと思われます。

北東航21さま
重ね重ね、ありがとうございます。
ながさき号は長崎旧線〜大村線経由で門司港までのルートで、元の長崎線そのもの。最後尾にオハネフ12が一両だけぶら下がってました。この寝台をマルスに乗せるために名称がついたと記憶しています。
高校の同級生が長崎で挙式し、私は翌日の講義のために無理してながさき号に乗ったのですが、箱崎駅で下車して自宅アパートに着いた途端に睡魔に襲われ、寝過ごして結局講義をサボった思い出があります。
福岡近郊区間の最長乗り回しでは、博多からながさき号で原田まで下り、筑豊線の始発を待つという行程だったようです。
ながさき号の最終日は吉塚から博多まで、大学の鉄研の面々と一駅乗車して名残りを惜しみました。

北東航21さん
ありがとうございます。大村線が関係していたのですね。

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