小本線の列車ダイヤ 1968-10
時刻表から1968年10月時点での小本線の列車ダイヤを作成してみました。当時は浅内駅が終点です。
また山田線は起点は盛岡駅なのですが盛岡駅→宮古駅方向の列車の列車番号が偶数になっています。
・旅客列車は浅内駅まで行くのが5往復で、このほか朝に片道だけ岩手和井内駅始発の上り列車が1本(722D)設定されています。この722Dは721Dが岩手和井内駅で後部を切り離したものが折り返すパターンではないかと想像しています。
・5.5往復のうち3.5往復は宮古駅方面に直通します。残り2往復(728D~727D、730D~729D)は茂市駅で折り返します(青線部)。
・宮古駅方面に直通する列車は、下りの1本(721D、黄線部)を除いて山田線列車との併結です。すなわち茂市駅では分割・併合作業が1日6回行われます(赤線部)。
特に8時20分頃は623D~723Dと724D~632D、12時頃は629D~725Dと726D~636Dと、上下列車の解結が同一時間帯に行われます。結構あわただしい作業だったのではないでしょうか。
・貨物列車は浅内駅まで行く2往復と押角駅~浅内駅間の1往復です(時刻はちょっといい加減です(汗))。なぜわざわざ浅内駅から押角駅まで折り返してくるのかがナゾです。終端駅時代は普通に茂市駅方から貨物列車が発着していたハズですし。
次に山田線関係も見てみます。
・18時20分頃に茂市駅始発の1630列車という客車列車(!)があります。この車両がどうやって茂市駅までやって来るのがわかりません。よくよく見るとその少し前に茂市止まりの694列車(盛岡始発)という貨物列車があります。ですので、この694列車がそのまま1630列車になるのでは? 客車を盛岡から回送でつなげたまま・・・、あくまで想像です(汗)。
・茂市駅を通る山田線の急行列車は3往復あります。
611D リアス 釜石→盛岡
2603D 陸中 仙台→秋田
615D 五葉 盛岡→盛岡(循環内回り)
616D そとやま 盛岡→盛岡(循環外回り)
2606D 陸中 秋田→仙台
620D リアス 盛岡→釜石
注目は「陸中」ですね。仙台~秋田間の列車がなんでここを走っているの?って感じです。
これについてはまた別の記事でご紹介したいと思います。
また、茂市駅にはやってきませんが、宮古駅までは急行みちのくの一部が上野駅から直通でやってきていました。
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> 茂市駅始発の1630列車
ヨンサントオの時刻表は持っていませんが、昭和50年代まで釜石に客車の配置があり、花巻~釜石~宮古間で運用されていましたから、それがちょっと足を延ばしていたのでしょう。茂市へやって来るのは、たぶん宮古から回送です。
一般論ですが、あの時代の気動車主体の線区に少数走っていた客車列車は、通勤・通学対応の輸送力列車であることが多いです。従って盛岡~茂市間のように輸送量が段落ちする山越え区間に、わざわざ客車を走らせることは考えにくいですね。
投稿: クモイ103 | 2020年4月 2日 (木) 23時57分
1961年に貨物扱いが廃止されたとなっていますが、1968年の時刻表で押角発着の貨物列車が設定されているのは何故なんでしょうね?
復刻版を見ましたが、押角駅は小口貨物のみの取扱駅とされています。ちなみに、796列車も停車してますね。
貨物廃止は1961年は誤記で、スイッチバック解消かつ岩泉延伸の1971年なのでしょうか?
茂市発宮古行き1630列車は、43-10の貨物時刻表にも同じ区間の列車として記載がありますので、混1630列車かと思います。宮古発釜石行き1634列車も載っていますから、694〜1630〜1634は実際には1本の列車なのかな、という気がしますが、どこから客車が来るのかはかいめいできません。盛岡から繋げて来るとすると、帰りは回送?
投稿: 北東航21 | 2020年4月 4日 (土) 02時18分
北東航21 さん、貴重な情報をありがとうございます。
混合列車なら話はちょっと変わります。
貨物列車の一部区間に“おまけ”で客車が連結されることも、列車回数の少ない線区ではよくあることでした。
客車の運用はわかりませんので推測しますと、盛岡から“死重”を抱えて山を越えてくるよりも、やはり近くまで来ていた釜石の車両を使用したと考える方が自然でしょう。
茂市への送り込みは、宮古から上り貨物列車に併結ではないでしょうか。
投稿: クモイ103 | 2020年4月 4日 (土) 08時41分
押角駅~浅内駅間の1往復ですが、この区間は当時C58が運用されており、急勾配急カーブかつトンネルが連続した線形で重連運用ができない為、列車を2分割して押角峠を越える所謂「山上げ」が行われていたようです。
浅内駅から押角駅への定数は換算21両であり、それ以上の輸送量が設定された場合は、一部を押角駅まで7794レとして先行牽引し7795レは逆向単機として浅内駅へ。残りを796レとして牽引し、押角駅において先行分との組成を経て宮古駅へ向かったようです。
この辺り、ネコ・パブリッシング"「SL甲組」の肖像4"に詳しい記述があります。7794レにおいて蒸気上がりが悪い時は、岩手大川駅で貨車を何両か開放する事もあったそうで、岩手大川駅が当時どのような配線だったのかも興味深いところです。
投稿: poge | 2020年4月 7日 (火) 01時04分
皆様
>茂市駅始発の1630列車
確かに盛岡からの回送はちょっと無理がありそうですね。行きの回送もありますし。クモイ103さん説が有力かも。
>押角~浅内間貨物列車
pogeさん、貴重な情報ありがとうございます。分割して輸送していたわけですね。そうであれば押角駅の貨物営業が1961年廃止でも納得できますね。
投稿: f54560zg | 2020年4月 7日 (火) 19時40分