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2020年4月 7日 (火)

1971年8月の急行「千秋」「もがみ」号

前回、急行「陸中」についてご紹介する記事を書きましたが、その流れで今回は東北地区でもう一つの名物列車だった「千秋」「もがみ」をご紹介します。

下図は時刻表1971年8月号から作成した列車ダイヤですが、下り列車のみで、連結順序はテキトーです(汗)。197108r_20200407191201  
1)7時30分、仙台駅を711D「千秋1号」「もがみ」が出発します。「千秋1号」は青森行き、「もがみ」は羽後本荘行きです。
2)7時57分、まったく同じ青森行き「千秋1号」と羽後本荘行き「もがみ」を併結した2711Dが米沢駅を出発します。
3)陸羽東線を走ってきた711Dと奥羽線を走ってきた2711Dは新庄で出会い、ここでシャッフルが行われます。仙台発の「千秋1号」と米沢発の「千秋1号」はまとめられて711Dとして奥羽線を青森に向かい、仙台発の「もがみ」と米沢発の「もがみ」はまとめられて2711Dとして陸羽西線を経由して羽後本荘に向かいます。
5)その後711D「千秋1号」は大曲で田沢湖線経由秋田行きの「たざわ1号」を併結します。この「たざわ1号」は仙台を7時25分に出発しており、仙台駅を5分差で出発して異なるルートを進んだ列車が4時間半後に一緒になるという、劇的な展開ですね。

中国地方にも「あきよし」とか「さんべ」とか個性的な列車がありましたが、機会があればご紹介したいですね。

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コメント

「もがみ」には苦い思い出があります。
昭和56(1981)年3月27日、かねてから時刻表で眺めて興味を持っていた新庄駅での“シャッフル”を体験すべく、仙台から「もがみ」の羽後本荘行きに乗車しました。
ところが陸羽東線に入って間もなく、たしか北浦駅で停車したきり動かなくなりました。
原因は何だったのか忘れましたが、数十分遅れて走り出したものの、新庄に着いた時には「千秋1号」は行ってしまった後でした。
青森行き編成は単独で千秋の後を追って行きましたが、私の乗った羽後本荘行きはここで運転打ち切り。
千載一遇の体験を逃したばかりか、その後の乗りつぶしにも支障をきたした、私の“黒歴史”です。

新庄駅でのシャッフル編成交換は動画があれば見てみたいものです。 構内入換で引上げして別番線へ転線するのを上り側と下り側で同時並行して行うものと想像します。

これ見てると、
普通列車って相当冷遇されたんだろうな。
1時間に1本あったら御の字の本数。

全く異なりますが、
近鉄と異なり乗り継いでも通し料金ではないから、
行先、経由の異なる列車を多数設定していたんだろうな。
近鉄の巧妙なる特急連絡もある意味芸術品。
列車によって中川、八木乗り換え、中川乗り換え、八木乗り換え、
吉野特急加えたら神宮前のりかえも含むわけで…。

コスモスさん
上りと下りで同時にやったら、単にホームが入れ替わるだけのような気がします。

昭和53年当時の運用表を見ると、
仙台発が、もがみ2両(小牛田機関区A32)+千秋1号4両(小牛田A1)
米沢発が、千秋2両(八戸A1)+もがみ2両(小牛田A31)
という連結順序になっているので、秋田・酒田方で小牛田A32と八戸A1を交換してますね。

昨日の私の投稿で、併結相手の列車名を一部取り違えていました。申し訳ありません。
青森行きは仙台発のものも「千秋1号」、羽後本荘行きは米沢発のものも「もがみ」ですね。

「もがみ」は羽後本荘到着後、そのまま上り「もがみ」として折り返す運用だったと考えられます。大幅遅延した仙台からの編成を新庄で止めておき、羽後本荘から仙台へ向かう乗客はいったん米沢編成に乗せ、新庄で乗り継いでもらって、所定の運用に復帰したのでしょう。急行券は通しで扱っただろうと思います。
一方「千秋1号」は何としても青森まで行ってもらわなければ次の運用に差し障りますから、後追いでも無理やり走らせたのですね。乗務員の手配は大変だったことでしょう。
今の上り「サンライズ」でも、出雲市発と高松発のいずれか一方が大幅遅延した場合、岡山で併結せずそれぞれ単独で東京まで走ることがあるようです。

北東航21さん、ご教示いただきありがとうございます。1976年1月号の時刻表によると、仙台発陸羽東線経由列車が9:57に到着し、10:02に米沢発が到着します。10:12に陸羽西線へ向かう列車が出発し、10:14に奥羽本線秋田方面行きが発車します。両列車が共に停車中の10分間でシャッフル入換が完了することになりますね。

クモイ103さん
それはそれである意味貴重な体験ですね。遅延時の運転整理の方法も判明して・・・(汗)。

北東航21さん、コスモスさん
秋田・酒田方で、旅客の乗った入換中の車両が横並びになるっぽいですね。

1960年代、ドイツ連邦鉄道のTee、ラインゴルト号とラインプファイル号も、客車特急なのに、シャッフルしまくりの運用で有名でした。オマケにいずれの列車も始発駅、終着駅が2~3ずつあるという。連結器だって、自連じゃなく、連環式ですよ? 
Lima製のHOの車輛で再現したことあります。

bad.Ⅳh-95さん
日本ではとうてい考えられませんね(汗)。

はじめまして、こんにちは。
以前から拝見していますが、コロナで外出自粛ということなので、ゆっくり眺めていました。
1973年頃、米沢に住んでいまして、夏休みにこの列車に乗って日本海側へ家族で海水浴に行っていました。
米沢を出る前は米坂線長井線で長井まで1往復し、その後山形では福島方にキハ3両を連結していました。
新庄では、福島方で3両の切り離しもあったはずですので、ゆかわあきら様が書き込まれてように秋田方ではシャッフル作業をしていたのしょう。
新庄でのこれらの作業、見てみたかったです。
ちなみに切り離しの3両は秋田からの「おが」に連結され上野へ向かっていました。

ひーさんさん、はじめまして。
複雑な気動車運用が行われていたのですね。情報ありがとうございます。

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