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2020年4月10日 (金)

山田線配線図 その5(宮古)

山田線に戻ってその第5回目、宮古駅です。

過去の記事もご覧ください。
 宮古 1978/7/18

1977年4月(※1)
17197704r
・宮古線と宮古港貨物線、それとラサ工業の専用線が分岐しています。
・宮古線は1972年の開業ですがその取り付け方はいかにも間に合わせといった感じで、着発は下り本線に限られます。
・宮古港線は構内運転ですね。票券閉そく?
・宮古港への出発は114Lと思われますがどの線路が出発線なのかがよくわかりません。東突込線?
・宮古港からの到着は、車停から判断すると上1~上3ですね。
・1969年時点では宮古機関区と釜石客貨車区宮古支区が設けられており、機関区にはC58が16両配置されていました(客貨車支区には営業用車の配置はなし)が、この時点では機関区は存続していましたが車両の配置はなく、客貨車支区は廃止されてしまっていました。転車台もすでにありません。
・上1の釜石方の107Lは開通てこでしょうか。125R(125Lの間違い?)、126Lは何でしょう?

1987年3月(※2)
17198703r
・宮古線は田老~普代間の開業と同時に三陸鉄道に移管されました。西突込線にホームが設けられるとともに上本からの発着のための渡り線が設置されています。
・宮古港線、ラサ専用線は廃止されました。貨物営業は1986年に廃止されました。

2000年7月(※2)
17200007r
・構内に大量の入換信号機(それも一部は誘導信号機付き)が設置されました。車両入換が旅客車だけになり、作業を簡素化するためでしょうか。

今では釜石方も三陸鉄道に移管されてJRの路線としては終端駅になっていますので、線路配線も変化があるのではないでしょうか。

配線図は
※1印・・・3RT生さん
※2印・・・KASAさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

宮古駅は山田線沿線で最大の駅で有り茂市より分岐する岩泉線や宮古から分岐する宮古線(現三陸鉄道)の宮古臨港線等の仕立駅であり山田線の主要車輛基地でした 私達が冬の岩手三陸の旅で岩泉に有る龍泉洞を見物する為岩泉線往復乗車の後宿泊の為宮古を訪れたのです 盛岡から急峻で人煙稀な北上山地を越え陸中海岸へ下ってきて沿線で初めての大きい町宮古に着くと駅構内は今迄の山田線沿線の駅に比べ其の規模は比べ物無しでした 駅で下車して山田線を少し釜石方向へ歩くと臨港線が分かれて行き丁度臨港線から貨物列車がやってきたDE10が牽引していたソコソコの長さの貨物列車であり此れは期待が有ると思い臨港線沿いに散歩した沿線には高いコンクリート製の防潮堤が伸びていた チリ地震津波の被害からの経験で作られた物でした沿線にはチリ地震津波記念碑が作られていたのを見た 宮古の臨港線はそんなに長距離ではなく直ぐに港に到達した 臨港線によっては長大な線もあるが宮古の臨港線は短くコンパクトでしたので模型的でした見物後旅館へ行き一泊翌日釜石経由盛岡行き急行陸中発車時間迄間があったので再び臨港線見物に行きました 終端は丘の麓で止まってました丘の上に登ると臨港線が俯瞰出来ました 丘の片隅にはラサ工業のホッパーが有りましたが線路は引かれてませんでした

yyoshikawaさんは宮古港駅まで行かれたんですね。私も行きたかった・・・。

宮古駅は三陸鉄道に全面移管されました。釜石駅がJR管轄のままである一方、宮古が全面移管されたというのは意外でした。みどりの窓口は三陸鉄道委託で残っていますがJR社員は営業だけでなく運転関係も含めていないようです。
配線関係では留置1-3番線はなくなり、釜石方の材料線もなくなっています。
上り1番線、2番線の釜石方は行き止まりとなりました。おそらくこの2線がJR側が自由に使える線路ってことなんだと思います。上り1番線の釜石方で車両が昼寝しています。
上り3-5番線は盛岡方が行き止まりになっています。上り5番線から釜石方に車両基地への線路が分岐するようになりました。よって出入庫するには2回方向転換が必要になっています。
それ以外は特に変わっていません。

運用的にはなかなかアクロバットで三鉄側は縦列停車などもあります。閑散線区の割には結構列車が集まることがありますね。

釜石駅の配線がまったく変わらなかったことに比べて、宮古駅は車両基地ができたからか、手が入りました。
三鉄としては釜石駅がダイヤ作成上のネックになっているようです。臨時列車運転にもJR側と協議が必要なようですし。

KJさん
情報ありがとうございます。ずいぶんと変わったようで、JRは肩身が狭そうですね。

三鉄移管後の宮古駅の配線ですが2000年を基準に補足しますと
・54号・58ロ号間と上1・2の釜石方、上3~6の盛岡方は線路が撤去
・54・55・56・58ロ・159・160の各転てつ機と6LI、104L、105Lが撤去
・盛岡方からは3LCが本線、3LA・3LDが副本線に
・久慈方からは3Lが本線になったほか、信号機が3本でしたので上り本線への進路も出来たようです
・上1は107Lあたりに入換信号機(両方向)
・JRと三鉄の分界点は51~52間でしょうか
動画から読み取ったのがメインですのでまだあるかもしれませんが長々と補足でした。

銀河鉄道信通課さん
情報ありがとうございます。
JR線の列車は基本的には本屋に面したホームには発着しなくなってしまったのですね。

昨日、現地に行きました。
JRは基本3番線ですが、快速リアスに限っては1番線に発着するようです。

さくらさん、情報ありがとうございます。

131Rと125R(L?)、132Rと126Lは正式名称がわかりませんが突放入換に関するてこのように見えますね。

125Rを設定することで引き上げ側を鎖錠、この状態で125Rを各線に設定したり復位したりで突放を繰り返していたのではないでしょうか(その間125Rは設定したまま)
131Rも132Rも線表が2段式で下段は2と書いてあるようなので、引き上げ側は「上東入」と本線のどちらも選べたものと思われます。

〉125Rを設定することで引き上げ側を鎖錠、この状態で125Rを各線に設定したり復位したりで

すみません、これ

125Rを設定することで引き上げ側を鎖錠、この状態で131Rを各線に設定したり復位したりで

の書き間違いでした

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