« 山田線配線図 その3(川内~腹帯) | トップページ | 岩泉線配線図 その1(岩手刈屋~押角) »

2020年3月27日 (金)

山田線配線図 その4(茂市~千徳)

山田線の第4回目です。

まず茂市(もいち)駅です。
1977年4月(※1)
13197704r
・岩泉線の分岐駅です。下り本線は上り列車の発着が可能になっていますが、その理由はよくわかりません。時刻表1977年3月号を見てもそれらしい列車は確認できませんし。
・釜石方には入換標識が設けられています。一瞬、「第1種か?」と思ったのですが、後述の通り連動装置は第2種のようです。茂市駅では山田線列車と岩泉線列車の分割・併合が行われており、旅客の乗った車両の入換となるため第2種でも入標を設置したのでしょうか。
・転車台は見当たりませんが、そんなはずはなかろう、ということで国土地理院地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を確認してみました。R_20200323192501
USA-R1428-18(1948年5月)を一部加工してあります。
駅の盛岡方、山田線と岩泉線(この当時は小本(おもと)線)に挟まれたところに転車台と思しきものが確認できます。

1987年3月(※2)
13198703r_20200323193101
・1982年に貨物営業が廃止されました。この関係で下貨、下3と上3が撤去されています。このとき同時に岩泉線の貨物営業も廃止されています。
・安全側線も撤去されました。分岐駅でも発条転てつ器にしてしまうんですね。

2000年7月(※2)
13200007r_20200323193101
・転てつ器が現場扱いであり、第2種であることがわかります。
・その後岩泉線は廃止されてしまいましたが、Wikipediaによれば廃止後もしばらくは下4は折り返し列車用に使用されていたようですね。

 

続いて蟇目(ひきめ)駅と花原市(けばらいち)駅です。
1977年4月(※1)
1415197704r
・蟇目駅の貨物営業は1961年まででした。
・花原市駅は1961年の開業で、当初から旅客のみの取り扱いです。

1987年3月(※2)
1415198703r
・蟇目駅の交換設備が撤去されました。

2000年7月(※2)
1415200007r
・変化はありません。

 

続いて千徳駅です。
1977年4月(※1)
16197704r
・貨物営業は1972年までです。交換設備の他に下1が設けられています。但し側線です。

1987年3月(※2)
16198703r
・交換設備が撤去されました。

2000年7月(※2)
16200007r
・変化はありません。

 

配線図は
※1印・・・3RT生さん
※2印・・・KASAさん
よりご提供いただきました。
ありがとうございます。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 山田線配線図 その3(川内~腹帯) | トップページ | 岩泉線配線図 その1(岩手刈屋~押角) »

コメント

70年代中期の頃冬の山田線岩泉線釜石線周回旅行で早朝夜行列車で盛岡迄行き山田線始発の宮古行き(行き先は違うかもしれません)乗車北上山地を越えて茂市へ茂市で線宮古発岩泉線直通一番列車に乗り換え迄少し時間が有ったので跨線橋から少し写真を撮影しました当時茂市駅は未だ貨物扱いも有り岩泉線方面への貨車の継走も有り所狭しと貨車が留置されてまいた 岩泉線は途中駅での旅客列車の離合は無く一日四往復の旅客列車が運行されていた超秘境路線でした中間駅はホームが一つ有るだけの無人駅で一箇所だけ貨物扱いをしていた駅(駅名失念)だけが分岐を有していました旅客列車の離合は出来ません 北上山地中を進む岩泉線は終点迄の間人家が無い秘境路線でした 同じく山田線も北上山地を越える区間は殆ど人家を見る事が無かった様な気がします

yyoshikawaさん
北上山地周辺はまさに秘境なのですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 山田線配線図 その3(川内~腹帯) | トップページ | 岩泉線配線図 その1(岩手刈屋~押角) »

過去の記事

2025年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
無料ブログはココログ