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2020年2月 8日 (土)

松戸電車区 1977/11/29

松戸シリーズ最終回は、1977年11月の松戸電車区の様子です。

以前の記事も合わせてご覧下さい。
 松戸 1979/7/11

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・電気検測試験車です。多分これ目当てで松戸電車区にやってきたような記憶が。

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・こちら側はクモヤ190-1だと思います。

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・MM'のユニットが切り離されている姿はなかなかお目にかかれないような気がします。
・新製時は行先表示はなかったはず。後年の冷改時に設けられたものでしょうか。

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・103系の天下です。

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・入換用のクモヤ90004です。

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・こちらはクモヤ90055です。

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コメント

1977年では、もしかして松戸区には新製冷房車はおらず、数少ない冷房車は初期車を冷改したものばかりだったかもしれません。
写真3枚目のモハ103-278でも、冷房装置の周囲だけ屋根材の色が違うのがわかりますね。

この車両は、窓枠がユニット式でない初期車のラストナンバーです。
次のモハ103-279は、山手線に10両1編成が投入された試作冷房車の一員で、その時からユニット窓が採用され、窓枠に縁取りができました。

側面の行先表示はおっしゃる通り冷改時に設けられたものです。
その下の窓をご覧下さい。
103系の客窓は2段上昇式が基本です。
ところが冷改時に行先表示器が設けられると上昇できなくなり、上段は固定されてしまいます。

後に登場した量産冷房車では、その位置の窓だけ上段下降式に作られたので、上段が下降できない構造のこの窓は、冷改車を見分けるポイントの一つでした。
ただし試作冷房車は当初行先表示器がなく、後年の量産化改造で設置されたため、冷改車と同じく上段固定となっています。

連投失礼します。

この規模の電車区としては珍しく、クモヤ90が2両配置されていたのが、いま振り返って何故だろうと思います。後年クモヤ143に置換されても、やはり2両(11・12)が割り当てられました。配置両数が近い浦和電車区はクモヤ90009(→クモヤ143-1)の1両だけだったので、松戸区には何か事情があると思うのですが、わかりません。

松戸界隈にはあまり行ったことがなく、まして本線から見えない松戸電車区の様子など、うかがい知る機会もありませんでした。
地上車と地下車は編成も運用も完全に分離されていたのに、ここでは入り乱れて留置されているのが印象的です。モハのユニットをバラして置いてあることもそうですが、電車が編成単位でなく1両単位で管理されていた、当時の事情が表れている光景と言えるでしょう。編成単位の管理が当たり前となった今の時代しか知らない人には、感覚的にわかりづらいかもしれませんね。

貴重な画像を公開下さり、有難うございました。

電車区勤務の職員を駅から電車区まで輸送する役目があったかと思います。駅ホームに停車していたのを見たことがあります。

なるほど職員輸送はありそうですね。
クモヤ90なら客室はほぼ種車のモハ72そのままなので、設備は十分です。但しクモヤ143になると、職員控え室のような部屋が一応あるものの、狭いです。一度に何人くらいの職員が利用したのかわかりませんけど。

そういえば、幕張電車区で職員輸送していたクモハ40030は幕張本郷駅の開業に伴って職を失い廃車されましたが、松戸電車区→松戸車両センターは今でも職員輸送を必要としているのではないでしょうか。現在は事業用車の配置は無いようですが、出入庫する旅客車への便乗だけでやりくりしているのかな。

クモヤの送迎は大船ではよく見ること出来ました。
6番、7番の久里浜方に一両出入りししていました。

多分大船電車区向けなのかな?

一両単位管理は西日本は普通で、
103ばっかの奈良はしょっちゅう組み換えしてました。

1両単位の管理は別に松戸や西日本に限ったことではなく、全国どこの電車基地でも当たり前でしたね。
そんな中でも車両基地それぞれの個性があって、検査に伴う差し替えがあっても検査が終われば元に戻して一定の編成を維持する所と、どんどん差し替えて常に編成が変化し続ける所があったものです。

管理単位が異なるのは検査期限がモハとクハ・サハで違うからでした。無駄なく運用しようと思えばバラバラになるし、またバラバラにしたために手間と無駄が増える可能性もあります。
 その流れの移り変わりがいつごろだったでしょうか。今はほとんど(全部?)が編成単位ですね。

皆様、情報ありがとうございます。

>上段固定窓
上段窓の下端のストッパーの有無が見分けるポイントということですね。
ところで、恥ずかしながら。ユニット窓って、上段下降・下段上昇だと思っていたのですが、そうではないんですね?

>本線から見えない
確かに車窓からは見えないので、ナゾの電車区ですね(笑)。

>職員輸送
なるほど、他の現業機関でもありそうですね。旅客車の車両基地なら利用できそうですが、操車場とか機関区とかでは行われなかったのでしょうか。

>1両単位
さすがにMM'のコンビを変えることはないですよね。

> ユニット窓

103系だけでなく、113系等の近郊型でも二段上段式でした。
上段が上昇式の場合、その下辺に取り付けられた手掛けが外から見えるので判ります。
改めてよく見たら、写真1枚目の右端にちょっと写っている車両が、ユニット窓の二段上昇式ですね。

> MM'のコンビを変えることはない

普通はなかったですね。
ただ、松戸区の103系MM'ユニットといえば、“その筋”では有名な話があります。
非ユニット窓の初期車であるモハ102-169が事故廃車され、残された相棒のモハ103-105が、代替新製車とコンビを組むことになりました。
ところがちょうど試作冷房車と量産冷房車の間にユニット窓・非冷房のグループが作られていた時期だったので、代替新製車のモハ103-445はユニット窓となり、この異形MM'ユニットは常磐線名物となりました。

また時代は下ってJR化間もない頃、山手線にMM'×3の6両のみ存在した超多段制御試作車910番台のモハ103が電装解除でサハ化され(→松戸区に転入)た時、あぶれたモハ102のうち2両が、一時期他線区で一般のモハ103と組んでいたことがあります。これは長続きせず、間もなく廃車されたようですが。

代替新製車の形式が間違っていました。
誤「モハ103-445」→正「モハ102-445」
度々の誤記で申し訳ありません。

JR化以後、JR東では電車区(車輛センター)で車輛の管理検修部門と運転部門との分離が図られ、運転士と車掌の乗務員を同一組織所属にした運輸区の設置が進み、、運輸区事務所が駅構内に置かれる例が多く、乗務員の駅から電車区までの輸送需要が減ったのだろうと推測されます。かつての松戸運転区は、現在は快速線運転士は我孫子、緩行線運転士は綾瀬の運輸区に移転され、松戸には乗務員現業機関はありません。

 お節介な解説を。 ユニット窓とは建築関係の定義では、窓と窓枠が一体となっていてユニットを取り付ければ装備完了となるものをいいます。
 ただし、近郊型の2段窓はユニット枠をはみ出て枠外の上段へ移動可能です。これをどう呼ぶべきか迷います。でも工作を考えるとユニットに含めても良さそうですね。
 どなたか詳しい方、ご教示ください。

 松戸電車区は住宅に囲まれた凹地ですが、ここは鉄道工事に必要な土の採取地でした。丘陵なので山を削るより便利だったのでしょう。
 昭和初期にそんなに土の需要があったのか、どこかで大工事が行われたのでしょうか?
 また基地とする計画でこの用地を準備したのか、偶然の結果なのか、まだヒントを見つけていません。

皆様
ご教示ありがとうございます。

> ユニット窓
C6218さんのおっしゃる通り、窓枠からはみ出さないものとずっと思っておりました(汗)。

>MM'のコンビ
廃車や改造を含めるといろいろありそうですね。写真の191もそのひとつかも?

高性能電車(今では性能的には旧形ですが)103系山手線に最初に投入時101系での失敗である全電動車方式を変更し(当時主に変電所能力が低かった関係)MT比率を高め電動機出力を上げた設計された 103系は山手線投入時8輌編成が基本で103系試作車はTc+M1+M2+Tc+Tc+M1+M2+Tc編成 M1+M2ユニット間は同一番号が付けられてましたその後の正式な増備編成から中間のTcをTに変更されました 当初山手線投入時は編成内の番号は奇数向き偶数向きで順番に附番されてました 其の後に京浜東北線に103系投入時に当時京浜東北線の73形旧型国電では5輌基本編成に増結3輌編成を繋げた編成が主でした(一部増結編成の無い編成もありました)其為京浜東北線用103系では初めて奇数向きクモハを制作し投入しました此処から103系M+M間のユニット番号の同一が外れてきました 其の事が新性能国電にしては珍しい個体差の要因となったのでしょう 

旧型国電程ではありませんが新性能国電中103系は個体差が可也あった形式です通勤用車輛であるので総数が多かったのと製造年代が長期に渡った関係で試作型 初期量産型 試作冷房型 量産冷房型ユニットサッシ型 ATC対応高運転台型 高運転型 一灯型 二灯(豚の鼻)型 地下鉄直通対応型 72更新型 等多岐に渡っておるのは皆さんご承知の如くです
異端車72更新型は後日101系廃車電装をもらい高性能化されましたが他の103系と違い高運転台電動車パンタ方向が他の103系とは逆端に装備されてましたね

 この頃の京浜東北線は10両運用だったのに7両+3両の編成になったのは東十条電車区と蒲田電車区の検修庫が10両を収容できなかったためです。このためにクモハと下り向き専用のクハが登場しています。
 これはその後に他線区に転用するとき編成短縮が容易となって助かっています。
 基地の拡張が困難なためにあれこれと難題が出てきたのでしょう。蒲田区の留置線はグニャグニャと曲がっていますが10両化以前は整然とした配線でした。
 田町電車区の検修庫はこだまなど特急電車が11両化されたとき継ぎ足しをしたため後まで違和感を残していました。

 上記はC6217です。叩頭百回。

103系に限らず、日常的な仕業検査程度でMM'ユニットの組み替えはまずなかったと思いますが、事故や改造などといった“非日常”の場面ではありました。
組み替えの事例が最も多かったのはおそらく101系でしょう。当初中央線の付属編成が2連でクモハ同士のユニットが組まれていたものが早い段階で3両となったためクモハ+モハへの組み換えが発生したのをはじめ、その後もかなりの組み替えがあった様です。末期になると各車両の状態を見て廃車や改造種車を選別するための組み替えも発生、そして1980年、のちに国鉄→JR最後の101系となる南武支線への投入にあたりクモハ同士のユニットが復活して、101系設計当初に掲げた全電動車の理想が最後に首都圏の片隅の短小線区で実現した皮肉も印象的です。
特急用の181系にはクモハはありませんが、かつての事故廃車?の影響でユニットの番号違いをずっと引きずり(組み替えも行われていた模様)、加えて最末期に「とき」のモロ格下げでモハの200番台が出た際にはなんと0番台と200番台の異形ユニットも組まれて、結局1982年11月に上越新幹線に役目を引き継ぎ引退するまで、ユニットの番号は完全には揃っていませんでした。
あと詳しくは知りませんが、165系にはクモハ165があり、またモハ164に特殊仕様車があったので(簡易運転台付きの500番台・パンタ部分低屋根の800番台)、もしかしたら使用状況の変化などに伴う組み替えがあったかもしれません。

京浜東北線は10両まで編成増強しましたが、それが限界でした。
すっと後のJR時代になり、山手線では6扉車サハ204の本格投入に伴い11両編成となりましたが、京浜東北線はいろいろ検討したものの11両化は断念したそうで、10両のまま既存のサハ209をサハ208に差し替える対応となりました。
私個人の見ている範囲ですが、延伸困難なネックとなったのは南浦和駅の2・3番線と大宮方の引上げ線ではないかと思っています。あと東十条や蒲田の中線も苦しそうですね。

重ねての連投失礼します。
話がどんどん逸れているので松戸電車区に戻します。
ここの検修庫の有効長は10両分でしょうか?
駅との間の出入庫は15両編成が多いと思いますので、少なくとも300m以上の留置線が何本かあるのでしょうけど、古い基地で敷地も限られているでしょうから、構内の車両の取り回しには苦労がありそうですね。

京浜東北・根岸線で厳しいのは、
横浜駅
(南行は急カーブ故に無理、出来ても北行)
関内駅
(どちらも伸ばせる余地、用地がない。未だ駅構内木枕木だから実質橋梁上にある駅)
石川町駅
(北行は出て急カーブ、南行はすぐトンネル)
山手駅
(前後直近にトンネル)
洋光台、港南台
(半地下駅のため、延長するなら線路を修正しないと・・・)
と、根岸線内は延伸不能箇所がおおく、出来ても相当手間がかかるためと予想されます。

スレチガイすみません。

皆様、貴重な情報ありがとうございます。
>ユニット組み替え
MM'では最短でも4両編成になってしまいますが、昔は長編成が当たり前でしたから。その後短編成化の方向に進むにつれM→Mc化されるなどしてどんどんぐちゃぐちゃになっていきましたね。

>松戸の検修庫
おっしゃる通り古い基地ですよね。どうなんでしょう。15両化されたのもオドロキ「でした。

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