四日市配線図
四日市駅の配線図のご紹介です。
以前の記事も合わせてご覧下さい。
四日市 1979/12/27
最初は1965年2月(?)。
・湊町方で塩浜線が分岐しています。これは本線です。
・文字は書かれていませんが、塩浜線の上方が四日市港への線路です。こちらは側線です。
・名古屋方では大協石油の専用線が分岐しています。本線からのいきなりの分岐ですね。
・本線は上下本線のほか、下1、下2、上1、上2でしょうか。塩浜線からの進路がよくわかりません(汗)。
続いて1979年12月。以前ご紹介したものです。(※)
・1973年に伊勢線が開業し、これへの対応で中線が増設されました。
・塩浜線は本線からの直接の分岐に変更されています。
続いて1983年4月。
・大協石油専用線の分岐の仕方が変わりました。
・転車台がなくなってしまいましたね。
最後に1990年8月。
・継電化されたようです。
・大協石油はこの時点ではコスモ石油のはず。
その後1993年に名古屋方が複線化されました。
これに伴って本線や進路が若干変わっているようですね。
配線図は※印を除きT.Mさんよりご提供いただきました。
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昔は海側にも出口(東口)があったのですね、
位置的にJR貨物の四日市営業所が建って居る辺りでしょうか?
複線化以降、
下は相当いじってるとおもいます。
下1以外は入れないように見えて、
2,3も名古屋方から入れるはずですし。
下4,5の辺りは現在行き止まりではないはずです。
投稿: ゆかわあきら | 2020年1月16日 (木) 00時31分
関西鐵道時代四日市駅には関西鐵道の主要車輛工場が併設されてました 鉄道史資料保存会発行奥野晴彦著関西鐵道史に当時の配線図が掲載されています 当時関西鐵道工場は四日市に主工場と湊町駅構内に小規模な車輛工場を併設しておりました 当時四日市工場は駅東側の貨物仕分け線下六番から二十二番線辺りに大規模な工場施設を擁していました 建屋は車輛が入れる建屋が五棟其の他機械工場他が十三棟有り内一番大きな建屋の前後にはトラバーサーも有りました 当時何処の鐡道会社も自社工場で車輌の製造もしており当四日市工場でも車輛の修理と製造を行っておりました現在も四日市工場製の車輛がからくも存在してます 近年貨物鉄道博物館に収容された関東鉄道竜ケ崎線竜ケ崎駅構内に長年油倉庫として置かれていた鉄製有蓋車の車体残骸は由緒正しき関西鐵道四日市工場製関西鐵道452~458(鐵道院テワ1003~1009)です
投稿: yyoshikawa | 2020年1月17日 (金) 16時27分
ゆかわあきらさん
>東口
まったく気にしていませんでしたが確かにおっしゃる通りですね。廃止に際し利用者の反対はなかったのでしょうか。
yyoshikawaさん
>四日市工場
昔から四日市は鉄道の要衝だったのですね。
投稿: f54560zg | 2020年1月19日 (日) 16時11分
下街道踏切の部分はちょっと不思議ですね、
海山道踏切と混同してないかとか入換2番線?が下街道踏切をまたいでいるのですが現在も機関車が引き上げる際には使うのでしょうか。
投稿: 伊26 | 2020年2月14日 (金) 21時00分
伊26さん
下街道踏切は第1(本線部分)と第2(引上2番線部分)に分けられているようですね。わざわざ第2を残しているからにはきっと使われることがあるのかも。
投稿: f54560zg | 2020年2月16日 (日) 16時50分