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2020年1月29日 (水)

亀山配線図

亀山駅の配線図のご紹介です。

以前の記事も合わせてご覧下さい。
 亀山 1980/3/8

最初は1965年2月(?)。
196502r_20200119164001
・名古屋・和歌山方には大胆なクロスがあります。新津駅とかかつての福島駅とか旧塩尻駅も同じような雰囲気ですね。このようなクロスは鉄道模型の世界では商品化されていてよく目につきました(特に直角クロス)が、現実の世界ではなかなかお目にかかれませんので興奮します。
・本線はホーム部分が1、3、4、5、6番線、そしてこれとは直列に湊町方に操1~4番線があります。
・操1~3番線から名古屋・和歌山方への第1出発信号機は進行を現示するようですので、貨物列車はホーム部を通過していたのでしょうか。
・湊町方の第2出発信号機は?です。半自動で進行・注意を現示するように表現されていますが、湊町方は非自動のハズ。

続いて1970年頃(?)。
197000r
・湊町方の第2出発信号機はこの図でもアヤシイです。
・DC庫が拡大しています。

続いて1983年4月。
198304r_20200119164201
・湊町方の第2出発信号機、かなりそれらしくなりましたが、それでもまだ・・・。
・さらにDC庫が拡大、と思いきや、なぜかSが付いています。

続いて1988年3月。
198803r
・操1~4番線は着発機能を停止したようです。JR化時に亀山以西は貨物営業が廃止されたためだと思われます。
・但し名古屋方面と新宮方面を結ぶ貨物列車は亀山駅経由で運転されていましたので、ホーム部分でスイッチバックしていたのではないでしょうか。

最後に1990年8月。
199008r_20200119164001
・線路としては最初の1965年(?)の状態から大きくは変わっていませんが、おそらく使われなくなってしまった部分が多いかも。
・名古屋方面と新宮方面を結ぶ貨物列車は2008年からは伊勢鉄道経由となり、貨物列車が亀山駅に来ることはなくなりました(その貨物列車も2013年にはなくなってしまいましたが)。
・現在の空中写真を見る限り、車両基地部分には面影が残っているようですが操車場部分はソーラーパネルで埋め尽くされているようですね。

未公開写真を少しだけ。1980年3月8日撮影です。

19800308e05
・湊町方です。客1~4番線付近です。

19800308e02
・DD51が集まっているのは出区1・2番線ではないかと思います。

19800308e03
・DC・DL庫です。

19800308e08
・かつてのSL庫だと思うのですが。

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。

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コメント

亀山駅、待ってました。
あの第一・第二場内の意味がやっと理解出来ました。ソーラーパネルが広がっている辺りもかつて線路だったとは想像つかないですね。
元下り本線も殆どが撤去されており、只の引き上げ線になっていますね。

東押込線は意外なことに現役!313系のB400(2両編成)がお昼寝している様子がストリートビューにも映り込んでますね。

井田川〜亀山の下り第一閉塞信号機&場内、ここ数年はGを現示したこと無さそうですね。車掌や乗り慣れた乗客にとってはこの信号機での減速が到着の放送や降車の支度を始めるポイントになっているようですね。

明治43年管内各停車場平面図当時亀山駅には名古屋方構内に三線の客車庫が一棟有り湊町方の機関庫はやはり三線庫が一棟有りました湊町方の貨車組立ヤード群線は当時は未だ有りませんでした

かなり以前から、ブックマークさせていただいています。

特に関西本線関係は、興味深く拝見していました。
待望の亀山配線図、SLブームの最盛期に撮った写真と見比べて、興味津々です。

関西線名古屋方〜4番線は一応G現示も可能な信号機なのに対して
上り第二場内はY/YY現示の信号機ですか。

操車場部分にあった踏切も立体化によって撤去されていますね。

1番線から紀勢・関西下りに出発する列車というのは現在あるんでしょうか。

JR西日本と、JR東海の部分って、
これでは明確にはわかりにくいのですね。

多分東海車と西の車両の置ける位置は明確に分けられているような気がするし。
(キハ120は近カメ所属ゆえに)

上部に三重支店とJR西の境界があるものの、
構内の区分はよくわからないです。

亀山駅の国鉄時代は、紀勢本線全線が大阪の天王寺鉄道管理局になっていた。天王寺から、名古屋までの長距離鈍行があった。新宮まで‟はやたま”の愛称名で寝台車をつないでいた。
ブルドックのキハ81系を前後、名古屋~天王寺間の‟くろしお”があった。一度、串本~天王寺まで乗った。紀勢本線の三重県内はJR東海になり、亀山はJR東海になった。
米原は国鉄時代、名古屋鉄道管理局になっていた。北陸本線が湖西線絡みで、JR西日本になった。
名阪間は、関西本線が最短距離であり、東海道本線みたいな設備になっていたら、沿線も開けて、伊賀上野、亀山から大阪、名古屋へ通勤、通学が出来ていたかも知れないが、並行している近鉄に配慮させられたのか?

ゆかわあきら様ニッシー様同じ様な事が東京鉄道管理局と静岡鉄道管理局の分界駅は沼津駅でしたがJR発足時JR東日本とJR東海との分界駅は熱海駅になった其為時間によっては東京方面か函南三島沼津へ行くのに15輌編成の列車からいきなり2~5輌編成の列車に乗り換えさせられる乗客に苦痛を与えてます

 東海と西日本の境界はキロ程のとおり上り第1場内ですね。したがって駅構内はすべて東海になります。そうして動力車基地のみが西日本になっています。
 そうすると駅構内で東海の車両と西日本の車両を区別するのかどうか、現地確認しかなさそうです。
 車両の検修のみ西日本で、留置などは東海の担当とするのが現実的と思います。
 なお、動力車基地のみが西日本となった理由は亀山~奈良の気動車の基地が無くなるからです。奈良は高架予定が進んで機関区は廃止、代わりに新設された奈良電車区は電車のみ。
 そうすると基地新設をしないかぎり亀山が残るのみです。梅小路や向日町からの回送は無駄が多いし。
 柘植に運用のみ担当する基地を置く方法もありました。楽しい想像です。

たまたま、昭和15年の復刻時刻表を入手して、最大の驚きは亀山駅の賑わい振りでした。
名古屋~湊町間の本来の関西線列車も多いのですが、そのうえで目を引くのは山田(現伊勢市)鳥羽方面を往復する列車が引きも切らないことでしょう。
湊町、名古屋はもちろん、京都大阪神戸姫路、果ては宇野から草津線を経由して伊勢方面に向かう列車が数多く設定されています。
東京や京阪などの大都会を除けば、あるいは日本一の旅客列車取り扱い数だったかもしれません。

青春18切符で亀山へ行き、一筆書き乗車で柘植から草津へ乗り継ぎ、島ヶ原で交換のとき221系電車のイラストと複線電化を望む看板が目立ち、口で言うなら、地元が三重県を筆頭に負担する気があるかである。
唯、架線を張るだけではでは行かないのと、石垣を組んだ頭の低いトンネルも造り変えなければならない。京都府と三重県境の木津川沿いは、1本のトンネルで最短距離にする必要もある。
4両2組みの大和路快速の4両を加茂から、伊賀上野、柘植、関と快速で亀山まで行くか、125系電車1両で各駅停車と、外からの理想である。
亀山からは、名古屋へ行く電車は近鉄電車と並行してクロスシートに対して、津へ行くディーゼルカーは、ロングシートになっている。東海道本線でも、名鉄が並行しているのと、米原でJR西日本と連絡していることで、クロスシートになっている。

亀山機関区と言えば戦前から伝統的にC51型なのですが、無煙化が近付いて来る頃には他区より配置型式が多く、好感度の高い機関区でした。修学旅行で亀山駅を通った時、側線に留置された特徴的な C57型110号機やC50型とか数両の廃車群を見かけた思い出があります。
記事内画像の転車台、よく見ると桁上部が薄く補強され米原機関区や鹿児島機関区の転車台と似ているようです。
また、SL庫横の壁は古い矩形庫の壁を残したもので、うる覚えですが、風除けにしてるとお聞きしたような…。
JRの境界線ですが、C6217さんのおっしゃるように、おそらく動力車基地内で、民営化前頃に亀山機関区を訪問した時、案内の職員の方とSL庫の矩形庫の途切れた駅から左側の三線辺りに居たら、他の職員の方が何かプレート状の物を持参してレールの間に打ち込み始めました。案内の職員さんが聞くと、民営化に向けて会社間の境界線を表示しておかないといけないと言うことで、なぜ三線部分なのか職員の方も訝しがっておられました。

このコメントで、ニッシーさんの長尾項へのコメントがコメント欄の10段から落ちてしまい申し訳ございません。

皆様
たくさんのコメントありがとうございます。亀山駅への関心の高さを実感いたしました。

>東海車と西車の留置場所
確かに会社によって区分されているようですね。近カメ部には架線も張られていないように見えますし。新宮駅とかも区分されているんでしょうか。

>昭和15年の亀山駅の賑わい
昔はすごかったんですね。草津線~参宮線の列車が多かったというのはちょっとびっくりです。

>SL庫横の壁
亀山機関区で検索すると、庫の南側の壁だけがレンガでできている写真が見つかります。これがかつての機関庫の壁?

港町方の第二出発信号機(27R)ですが、昭和49年の図面ですと、半自動(保留現示)で、進行、停止の二現示のシンボルで描かれていますね。円の下の部分が黒く塗りつぶされています。

あと、細かいことで恐縮ですが、駅の管轄に関連して、JR化後しばらくは、本屋側の構内線路呼称が、国鉄時代のまま、1番線、2番線などの線路番号によるものでしたが、現在では、1番線側から、上り本線、上り中線、下り中線、下り本線、下り1番線、下り2番線、下り3番線となっていますね。

KASAさん
>第二出発信号機
多分それが正解ですよね。

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